私の読む 「宇津保物語」 菊の宴
ひとりのみ夜な/\霜の寒きには
しのぶの草は生ひずやあるらん
(霜が冷たくて忍ぶ草は枯れるでしょう。独り寝の夜々、霜のように冷たい貴女のつれなさに私は生きながらえることは出来ますまい)
このように文を寄越すのも分不相応なので有ると思うがはっきりしないので、
と。文を送るのであった、があて宮は返事は書かなかった。
源宰相実忠より
あさな/\袖の氷の解けぬかな
夜な/\結ぶ人はなけれど
(夜々誰とも契るわけではないのに、朝何時も涙で
袖が凍っているのです)
えたいが知れず不気味である。
と文を送るが返事はなかった。
そうして晦には国々の荘や料地から節会の供え物として食べ物やその他が多く送られてきた。
絵解
第一の画は中大殿に姫達が居られて、雪が梅の木に降り積もっているのを御覧になっている。長閑な暮れ方。女房が多数控えている。
第二の画面は、政所。節料を家人一同に配り先祖の御魂祭りの準備。松・木・炭・餅などがある。
大宮が朔日(正月元日)の準備に忙しい、
こうして年を越して朔日に娘達は着飾って、父親の正頼に挨拶参りをする。大変に厳かである。
絵解
この画は、東大殿に姫達が参上して、正頼に挨拶をしている。中大殿より東大殿に移りなされる、髫髪(うない)二人が几帳を持っている。女房廿人ばかり、この人達は正頼の婿達へ節の料理を勧め酒をついでいる。
こうして、正月一八日の賭弓(のりゆみ)で正頼が饗応することになり、丁寧に招待をするように正頼は大宮に仰る。
「どういうようにして立派にしようか。去年の還饗(かえりあるじ)右大将は立派にやってのけた。三条殿の仲忠の母は立派な心がけの人である。この侍従仲忠の母よりも立派にもてなしをなさいませ」
大宮
「そうですねえ。本当に立派な仲忠の母であり、天下に有名な色好みの右大将が大切にしている人ですもの、並み一通りの人ではないことは分かっています。」
と言って、被物の準備を急がせなさる。
絵解
この画は、大宮が布を裁って、被物を縫う者に渡している。人々が裁縫している。
饗応の準備を政所がしている。正頼北方宮が話し合っている。
こうして、大后の宮の六十の賀は正月二十七日第一の子の日に開催決定された。そのために準備する物は、
御厨子六具(むよろい)、沈・麝香(じゃこう)・白檀・蘇枋の香類。香の唐櫃、覆いは織物か錦とする。箱、練り香、薬の壺、硯道具、御衣、夜具、
装飾、夏冬春秋夜の御衣、唐の御衣、御裳、箸台、ちち 心葉(器物の覆い)、銀の置物、蒔絵の胴の琴。色に従って大事に清らかに並べおいた。
御手水の調度品、銀の杯、御盥、沈を丸く削って編んだ簾の盥の覆い、銀の水差しはむぞう(匜)、
沈の木の脇息、銀の透箱、唐綾の屏風、蘇枋紫檀の骨の几帳、几帳帷子夏冬春秋用、錦の縁取りの綿入れの座布団、座。言葉では言い尽くせないほどの立派で高貴だ。
台六具、毛のように細い彫りが施されて金が埋め込まれた台六具、このほか初めての試みの物が多い。
このようにして二十六日に参上した。
車廿、糸毛車十台、黄金造りの檳榔毛十台、髫髪車二台、下仕えの車二台。
御前には、天下の人残らず、四位、五位百人、六位のものは数が分からない。
御装束は、大宮、女御(長女)から今宮(十姫)までは、赤色に葡萄染(えびそめ)の襲の織物、唐の御衣、綾の裳。
あて宮はおなじ赤色の唐衣、五重襲(いつぎぬ五衣。襲袿、表着と単衣の間に着る。五つとも同じ色で裏は同じ赤の平絹。五つとも色違いのもある)、表の御衣、白の綾の表袴。
供人は、青丹の唐衣に柳襲、山藍で摺った裳、上下の関係なく着用した。
参上して大宮は大后の宮に、
「これと言った重大なこともない物ですから、何かと雑用に追われたようで気が向かずに、大変長くご無沙汰申し上げました。
先頃、ご病気と承り直ぐにお伺いするところ、宮中に仕える仁寿殿が殆ど危ないことで、慌ててしまいまして」
大后の宮
「私はたいしたことはありませんでした。いつもの熱が出ただけです。仁寿殿はどうしたことでしたの」
そうして夜、大后が賀を受けられる席を設けて、調度品もそれぞれの規定通りに置かれて光り輝く。
御屏風の歌
正月子の日したる所に岩に松生ひたる上に鶴遊べり 左大将(正頼)
岩の上にたづの落せる松の実は
生にけらしなけふにあふとて
(岩の上に鶴が落とした一つの松の実が、岩に根付いて成長した上を鶴が遊んでいる)
二月人の家に花園ありいま植木す
民部卿
植ゑそむる人ぞしるべき花の色は
幾世みるにか匂ひあくとは
(こうして花園に植えている人こそ、花の色はいつ見ても飽くことを知らない美しさだと知るであろう)
三月祓したる所に松原あり 源中将
みそぎする春の山邊になみたてる
松の代々をば君に寄すらん
(禊ぎをする春の山邊に並び立っている松の久しい命を君に差し上げましょう)
三月祓いは、三月三日に河原で祓いをするのを上巳の祭りとも言い、水で祓いをするから、禊(みそぎ)ともいう。
四月神祭るところに山人の(木樵か、山賤(やましづ))帰る 頭中将仲忠
神まつる榊木折りつゝ夏山に
ゆきかへりぬる数も知られず
(神祭る山に榊を折りながら夏山に数を知らぬほどに往復する)
五月人の家の橘に時鳥をり
我宿のはな橘を時鳥
千代ふる里に思ふべきかな
(私の宿の花橘にきた時鳥は、千代にもなる長い間住んだ自分の里だと思っているようです)
六月人の家に池あり蓮(はちす)生ひたり
少将仲頼
池水もみどりも深き蓮葉に
長閑に物ぞおもほゆるかな
七月七夕祭りたる所に 少将行正
ひこ星の帰るに幾代あひぬれば
けさくる雁のふみになる覧
(織女に会って帰ってくる彦星と、行きずりに会って、今朝ここに来た雁は、織女へやる後朝の文となるだろう)
八月十五夜月のまどかな美しい夜。かりかりと雁が声あげて名乗っている(画の説明) 侍従なかずみ
秋ごとに今宵の月ををしむとて
初雁の音をきゝならしつる
(秋になると今夜の月を惜しんで、啼く初雁の音を、私は毎年聞き慣れてきました)
九月紅葉見る人の山邊にあり、田かりつめり (人が皆紅葉見に集まって、一方の稲刈りを誰も見ていない画面)
中将さねより
おりしける秋の錦にまどゐして
刈りつむ稲をよそにこそみれ
作品名:私の読む 「宇津保物語」 菊の宴 作家名:陽高慈雨