私の読む 「宇津保物語」 菊の宴
(秋の錦に織りなした席に人々は団居しているが、汗になりながら稲を刈り集めているのを見ようともしない)
十月網代ある河原に船ども漕ぎうけたる 左大辮
漕ぎつらね氷魚はこぶとて網代には
おほくの冬をみなれぬる哉
十一月に雪ふれるに人ぬれたり 兵衛督の君
ふりにけるよはひもいさや白雪の
かしらに積る時にこそ知れ
十二月佛名したる所 (左衛門の督の君)
かけて祈る佛のかずしおほかれば
年に光や千代もさすらん
(祈願する佛の数が多いから、年に一度の佛名会ではあるが、恵みの光は千代を経ても注ぐだろう)
などと詠んで少将仲頼が屏風に書いた。
辰の刻(午前七時)頃から祝賀会が始まった。幔幕の中に舞台を設置する。笛、笙、鼓を鳴らす。楽所から楽人、舞人も参集する。
舞を舞う正頼一族、他の貴族の君達は、青色の表着に蘇芳襲の汗袗を着て、綾の袴を履く童装束。
楽所の楽人や舞人は、。闕腋(けってき)衣の武官礼服、袖から下の両わきをすべて闕(か)いて縫わずに仕立てた、襴(らん)のない袍(ほう)、表は白、裏は青の柳襲を着て参上する。
こうして暫時時間が空いて、手あぶりの火鉢が配られる。沈木の火桶、銀の缶、沈木の柄の火箸、練り香を鶴の形にして帝、妃の前に運ぶ。
暫くすると正頼左大将が、折敷六十、同じ黄金の華足(けそく)、色々な物数を尽くして持ってこられる。上達部殿上人が手伝う。
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折敷
ヒノキの片木(へぎ)などで作った盆で,おもに食器をのせるのに用いた。語源については〈折敷(おりしき)〉あるいは〈食敷(おしき)〉の略などとする説がある。前者は古くカシワなどの木の葉を折り敷いて食器としたための称,後者は〈食(お)し物〉をのせる敷物の意とする。奈良時代の文献には見いだせないが,平城宮址からは薄い片木の縁(ふち)をつけたものが出土している。完形品はないが,大別して方形角丸(すみまる)につくったものと楕円形のものとがある。
華足(けそく)
華形の装飾のある、机・台などの脚。正頼が運んできたのは湾曲した脚に雲形などを彫った黄金製の物。
作品名:私の読む 「宇津保物語」 菊の宴 作家名:陽高慈雨