私の読む 「宇津保物語」 菊の宴
「藁盗人の才を持っています」
兵部卿の親王が
「こてふく風は、あないりがたのやどりや」(意味不明)
と言って、被り物を被って立ち上がって奥に入るので、それに習ってみんなが入る。
絵解
この画は、寝殿に姫達が居られて、会場を見ている。親王達や上達部、酒を勧めて多数の人がいる。
才の男達に男達が脱いで被り物として肩に掛けたやる。遊女が廿人ほど着飾って琴を演奏する。
さて、会が終わって召人達がみんな帰り上達部も帰る、藤侍従仲忠は仲純侍従の曹司に入って臥し、
「御前で、兵部卿の宮がおすすめになるので、何も分からないほどに酔いつぶれました。
仲忠は何も憶えていません。酔いに紛れて言うことは罪に成りません。神も許すと言います。咎めてくださるな。
仲忠ある日春宮殿で悲しい気持ちになりました。このまま死んでしまうのかと思うほどでした。
どうして今日まで生きているのやら」
仲純侍従
「なんということを、怪しいぞ」
「横たえた牛の気持ちがする」
「貴方は帝のお婿さんになった方ではありませんか、何をお考えか」
「心がそこに無ければ何も成らないと申します。源中将の君こそ羨ましい」
源侍従は
「角が折れて負けた牛ですね」
侍従笑って
「むく犬みたいに当てにならないことを待ってね・・・・・・」
源侍従仲純
「勿体ないことを仰るな。貴方は、只今世の一人者で、帝も正頼も、天人のように大事な方だとお考えになっている人ですよ。そういう方だから、あの時内親王をと仰せに成られたのです。
その様な幸いを持つ貴方が、なぜその様な戯言を」
侍従仲忠
「全く勿体ない話ですが、心身からあて宮を想う気持ちだから、どのような理由でも女一宮をとは、考えられないのです」
「くすりのきねはいかにぞ」(意味不明)
「実のなる桃を食べたような気持ちがする。
今日の暁に奥で琴を弾いていたのは誰だ、と思った。仲忠は死ぬかと思ったよ、凄い音であった。どうしてもっと早く死ななかったかと思った」
源侍従は
「琴を弾いていたのは、仲純の妹の九姫だよ」
「有り難い琴の音を遙かにお聞きした。侘びしいこと。是非とももっと聞きたい」
「嫌々、貴方がお褒めになるほどの腕ではありません」
「中々難しいものです、世に一二の名人が弾いたのかと思いましたよ。大変に哀調を帯びて今風の所がありましたね」
などと言う内にあて宮への想いがますます深くなっていった。
絵解
この画は、中の御殿。公達、大殿のお方(正頼の妻の左大臣の娘)子供達が居る。仲忠侍従が仲純の曹司で話をしている。
大宮、近々に母の嵯峨院大后の宮の六十の賀の宴を開こうと思って、かねてから計画をしていた。
厨子、屏風を初めとして調度品を清らかに美しく飾り立てる。大后が六十歳におなりになるのは、年が明けてからであるのでお祝いをして上げようと考えたのである。大宮は主人の正頼に、
「一日、兵部卿の宮にお会して、嵯峨院へ兵部卿の宮がお伺いになるかどうかをお聞きしましたところ、宮は、
『何時も参ります。大后は、
「大宮がどうして来ないのか」
と、何時も仰ってます。
「世の中は無常なのに、私の命も先が見えてきたように思うので若い孫達にも逢いたい」
と、仰るのに、大后が、あきれるほど私がお伺いしませんので、そうお考えになるのは尤もです、
どうかして、私の思うとおりにお祝い事をして、子供達を連れて行きたいと思います」
「何も心配にはびません。お祝いの準備はみんな出来ていますから、来年が六十のお祝いの歳ですから『子の日の祝い』を兼ねて行ってらっしゃい」
「そうですね、子の日を兼ねるのはよいことです。色々な道具は揃いましたが、被物(かづけもの)と法服のことがまだ充分では御座いません。(法服は仏事の後に僧に礼として上げるもの)」
「被物は何でもありません、直ぐにも用意が出来ましょう。先ずは、精進落としの料理のことを先にして、同時にその法服のこともお考えになっては」
「そうなれば、大后に差し上げる折敷料理のことを、そして舞の童のこと、考えてください」
「御前の料理のことは、太政大臣の娘(もう一人の正頼の北方)に任せ。童舞いのことは、五姫の旦那の民部卿に頼んであります。事が始まると急がせなさい。私がおりますのに、その甲斐無く貴女がご心配なさるとは情けないことです。
かねてから、唯の一つも欠けること無く用意して、年が変わればすぐに、お祝いに参加しようと準備をしておりました。
私の急ぎの用ばかりを何時も貴女にさせて、お祝いのことをしないで、ご心配をお掛けしましたね」
正頼は恐縮して言う。大宮は、
「どういたしまして、もう大体準備できたのですもの。急ぐことの多くをしていただいたので、ゆっくりで良いことは後回しにしようと思います」
そこで、正頼は長男の左大弁忠純、お婿さん達を呼んで、
「私が早くより考えていることは、此処にお出でになる大宮が、年来気になさっている母后の祝賀のことを、正頼が世間並みにしなくても良いような宴会などをして、肝心な賀の祝宴の準備を未だにしないで、今以て下らないことが重なって、未だに用意が出来ていない。
私は、ますます不要なことが多くなるやも知れん・・・・・・・・・・・。
来年大后は六十歳におなりになられるので、正月上の子の日に若菜を奉る年中行事の日がある、その日にお祝いをしようと、どのようなことをすればよいだろう。お祝いの日に童の舞をさせようとお考えだが、どういう風にお決めになったのだろうか。
正頼は物の数にも入らぬ身でありながら、このように皇女を妻としていただき、大后を義母と呼ぶような事となり、罪滅ぼしに、お祝いの一切を北方の大宮に心配を掛けないようにしたいと思う。
大宮が気の毒で、愛おしいから」
民部卿は
「本当に、そう思いに成るのは当然のことです。舞の童のことは、実正が承ったことでありますから、私の手許の十四人は、よろしう舞うようにとは言い聞かせてあります。残りの六、七人は正頼様の子供さんお二人いらしゃいますね。実正の弟、右大臣忠雅様の御子、また左大弁忠純様の御子、その中の誰かがお舞をなされませ、
舞い以外のことも多々ありましょうから、それは私が致しましょう」
などという。
正頼
「皆様方は、一つずつ分担をしてください。あなたは、童の舞のことをお引き受けになって下さい。
この、あこまろに、舞を教えるようにしてください」
民部卿宮
「宮あこ君は落蹲(らくそん)を舞われると良いと思います。舞の師を呼びまして、お教えさせましょう」
右大臣は、威儀の御膳、帝に捧げるお膳、のことを担当する。
左衛門の督(かみ)には、はこ、のこと
一つずつ正頼は言いつけた。
絵解
画面は、大宮が母后の御賀のために準備をしているところ。御衣や被物を裁ち縫わせておられる。急いでしかもご丁寧に。君達の御衣やその他の関係の者達の物も誂えている。
作品名:私の読む 「宇津保物語」 菊の宴 作家名:陽高慈雨