私の読む 「宇津保物語」 祭りの使い
(ネット国語辞典から)
「大勢の中で私だけは疎遠になさったので、何時もひどいと思わないときがありませんが、今度こそ私は破滅するようなことがあっても辛抱できますまい」
「本当を申しますと、見られるほどの娘があったらと思うのですが、そういう娘がないので、残念に思っています。もう暫くしましたならば、大きくなりますから貰っていただきたいと申し上げる折もあるでしょう」
「それまで私が生きていられなかったら、それまでですね」
と言って立ち上がって去った。
暁に、上達部、親王達に女の装束、お供の人には白張り袴、兼雅右大将には馬、鷹などを差し上げなさった。こうして全員が帰っていった。
絵解
この画は、催馬楽「妹与我」
妹(いも)と我(あれ)と いるさの山の 山蘭(やまあららぎ) 手な取り触れそや 香を増さるがにや 疾く増さるがにや
(あの娘と私と、二人で入る、入佐の山、そこに生えている山蘭(やまあららぎ)は、手に取って触れてはいけない。もっと匂いが良くなるだろうから。すぐに良くなるだろうから) (ネットから)
はゝはらはら(ハヤシ詞)
と唄いながら帰る。楽の者と人長が左右に並び立つ。人長が持って舞う、榊、幣、杖、篠、弓、剣、鉾が飾ってある。河原に浮かれ女が多数集まっている。
そうして、殿に帰る。東宮から常夏の花を折って次のように、
ひとりのみ我がふす宿の常夏は
常に折りうきものにぞ有りける
(ただ一人寝る宿の床はいつも居心地のよくないものです)
今は生きているのさえ嫌になっています。
あて宮
しら露の置きかはるなる常夏を
いづれの折にひとり見るらん
(毎晩新しく白露が置く常夏を、いつになったらお一人で御覧になる折があるでしょう。毎晩女君が立ち替わり待っておいでになる床に、一人居などと仰っても信じません)
例の宰相(実忠)照りつける日盛りに
大空も我がごと物や思ふらん
草木こがれて照れる夏の日
(夏の激しく照る日に草木が焼けて色が変わるほど、大空も私のように思い悩んでいるでしょう)
あて宮
時の間に入らぬ宿なくてる日には
君さへなどかおとらざるらん
(いつの間にか何処の宿にも照り射す日には、貴方でさえ負けないとどうして言えましょう。日ほどではなくても、通い所はいくらでもおありでしょう)
兵部卿の宮より、タ立のひどいときに、
年ふれどいとゞつれなくなる神の
ひゞきにさへやおどろかぬ君
(文を差し上げるようになってから随分久しくなりましたけれども、いよいよ冷淡におなりで鳴神の響きにさえあなたは平気で何とも思わないのですね)
あて宮
ひゞけどもつれなき人はおどろかで
あま雲のみもさわぐべきかな
(言われるとおり私は雷がどんなに響きましても、冷淡な人は一向に驚かないで、ただ天空だけが大騒ぎしています)
右の大将兼雅、海に向かって漁人立ている洲濱に、このように書いた、
和田海のそこに見るめの生ればぞ
我さへ頼むふかき心を
(海の底に海末松藻女(みるめ)を見る目が生えていますから私は深い女の心を信じています)
あて宮、魚を捕る漁師達がいる洲濱に、
あさりする漁人はなにぞも海といへど
いか成るそこにおふる見るめぞ
(すなどりをする漁人はどういう人でしょう。海と言っても何処の海の底に生えたみるめでしょう)
平中納言より
見る人はを鹿のつのにあらねども
なぐさむ程のなきぞわびしき
(私はほんの一寸の間でもあなたにお会い出来たら心が慰められるだろうと思いますが、その僅かなときさえ与えられないのが侘びしいのです)
あて宮
思ふらんことはしられで夏ののに
角おちかはるしかとこそきけ
(思っていらっしゃることは知りませんが、貴方が仰る鹿というのは、夏になりさえすれば角が落ちて新しく生えると聞いていますが)
藤侍従、祓をしに難波の浦まで行って、それより
まどひつゝ摘みに来しかど住吉に
生ひずもあるかこひ忘草
(恋に惑いながら恋を忘れようと忘れ草を摘みに来ましたが、住吉には生えていませんでした)
あて宮
あだ人の心をかくる岸なれや
人忘草つみにゆくらん
(住吉は移り気な人心に掛ける岸ですよ。恋忘れ草でなく、お相手の女の方を次々と忘れる、人忘れ草
を摘みにいらしたんでしょう)
三の親王
なくせみも燃ゆる螢も身にしあれば
よるひる物ぞ悲しかりける
(恋になく蝉も、恋に身を焦がす蛍も、私の身体の中に存在しますので、昼も夜も悩み悲しんでいます)
という歌を姫達が読んでいるのを、仲純が取り上げて、端に書いてあて宮に渡す
人はいさなこしの月ぞたのまれし
せゞの禊に忘るゝやとて
(人はどうであれ、私は夏越の月を頼みにしました。瀬毎にする祓いに恋忘れをするかと思って)
だが、誰も見向きもしなかった。
少将、水無月晦(6月末日)に、
衣手もほさで過ぎぬる夏の日を
惜しむにさへもぬれまさるかな
(涙でぬれた袖も干し終わらないのに過ぎてしまった夏の日を惜しむにつけて、袖はぬれ優るのです」
兵衛良佐行正は、七月一日に
しげかりしたきだに有るに言の葉の
秋たつけふの色はいかにぞ
(夏の木々が繁茂するようにお文を繁く差し上げても一向にご返事を下さらなかった貴女は、秋が来て言葉が色づく今日をどう御覧になりますか)
大臣を退いた三春高基(藤原の君に登場、けちな男)から、あて宮女房の宮内の君へ、
「暫く何も申し上げずに過ぎました。そちらに参上したいと思いますが、貴女のお勤め先の人目がうるさいから、内々ご相談したいことが有ります。一寸お出で下さい、車を差し向けます」
宮内の君は、あて宮の許を退出して高基の許を訪問した。高基は、
「正頼ご一家はどのようなご様子ですか」
「只今の所はお変わり御座いません。先日お祓いをなさいまして、そして続いて夏のお神楽を催されました」
「何処でなされましたか。公卿たちの何方がお集まりになりましたか」
「桂川の河原、右大将御殿の近くで。お出でになったお方は、殿上人達全員、兵部卿の宮、源宰相実忠、右大将兼雅、何時もお集まりの方々でした」
「それは大がかりな催しでしたね。そういうことと知っていましたならば、少しばかりですが酒肴を持って参加させていただきましたのに。
一体、左大将正頼殿は、このような風流人を集めて宴を張って金の浪費をなさるので、人から謗られ、費用も嵩むのです。
近衛大将と任命された近衛府は、盗人、物を貰うのが好きな人だけが集まり、人の衣を剥ぎ取り、飯や酒を探し回って只で食らう。大将の娘婿は皆風流物で、その道に打ち込んで居るもの、近衛府の兼任で嫌いな大臣公卿と、貴人、風流人、と関わって、少しも実務を執ろうとはしない。
作品名:私の読む 「宇津保物語」 祭りの使い 作家名:陽高慈雨