私の読む 「宇津保物語」 祭りの使い
(待っていた五月に折角の橘が腐ってしまったので、がっかりしています。こうなっては夏越しの祓いのある六月も私には何の興味もありません)
五月雨の降る五月が過ぎるのも恐ろしいぐらいです。
あて宮の兄仲純
うら山しやがていりぬる夏虫や
絶えぬ思ぞわびしかりける
(火を慕ってそのまま火に飛び込む夏虫は羨ましい、私のように火に飛び込むことも出来ないで、始終思い悩んでいるのは頼りない話です)
少将仲頼
ながめつゝつひに朽ちにしたちばなは
つねに空なるみとやなりなむ
(物思いに沈みながらとうとう腐ってしまった橘は、これからずっと、からっぽのみになるでしょう)
良佐行正
山も野もしげくなれども我が宿に
まだことの葉の見えずもあるかな
(山も野も夏になってから急に繁茂してきましたが、私の宿にはまだ葉が見えません)
そうして六月の頃になる。正頼大殿は池が広く深く色々な草が岸に繁っている。
島の木の枝が水の面に伸びている中之島に、片足は池に入れ、片足は島において池に突き出した立派な釣殿を作って、綺麗な舟を並べて浮き橋を造り、暑い日の盛りには人々は釣殿で涼まれる。
正頼は
「十二日は宮中はお休みの日で、参内しない、この釣殿で皆さん、お涼みさせよう。美味しそうな果物をお出しして」
と言いつけて釣殿に正頼は渡る。
招かれた正頼の子供達が参内姿のままでお出でになる。
正頼は扇に
枝しげみ露だにもらぬ木がくれに
人松風のはやく吹くかな
(枝が茂って露さえ漏らないほどの木陰で、あなた方を待つ風が早々と吹いています)
と書き付けて民部卿の宮に差し上げようと、侍従仲純に渡して使いとする。招待をしたのである。
民部卿親王は御覧になって、右大臣忠雅に、
こがくれに寒く吹くらん風よりも
うちなる枝のかげぞ涼しき
(寒いほど吹くという釣殿の木陰の風よりも、うちの小枝、貴方の娘、妻の蔭の方が涼しゅう御座いますよ)民部卿北方は正頼の五女。
釣殿より、このようです。
右大臣忠雅が御覧になって、中務の宮に、
風わたる枝にぞたれも涼みぬる
もとの影をもたのむものから
中務親王は御覧になって、次のように詠って、正頼の三女の夫実正民部卿に差し上げた。
こがくれて影にまとゐるもも松の
根より生ひたるすゑにあらずや
(木陰にあい寄る百の松は、皆一の根から生えた木々ではありませんか)
源実正民部卿
大かたのかげとは見つゝこち風の
吹く木がくれとしらずぞ有りける
(ありきたりの木陰だと見ていましたので、春のように和やかな東風が吹くところだとは思いも掛けませんでした)
左衛門督
我たのむちとせのかげはもらずして
松風のみぞ涼しかるらむ
(正頼大将が詠われるように、露も漏らない木隠れが千年も続いて、松風のみが涼しいことでしょう)
藤宰相実正
まとゐする千とせのかげのうれしさは
もるともなげの松のかげかは
(私達が団楽する千年の蔭が嬉しいのは、漏れない木陰だからでなく、団楽そのものの喜びです)
源実頼中将、正頼四姫の夫、実忠の弟、
人ごとに千とせのかげをそふる松
幾代かぎれるよはひなるらん
(一人一人の婿達に千年の齢を掛けて蔭にしてくれる松は、限りのない寿命なのでしょう)
以上のように各人が返歌して娘婿六人が釣殿に集まった。
「姫達も此方へ来るように」
と言われたので、北方を初めとして、婿殿の北方と女君全員が順番に船橋を車で渡って、釣殿内部に御簾を掛け、几帳を立てて集まった。
上達部や御子達は簀の子に座り、姫達は琴を、男達は笛を吹き琵琶、琴、石盤を打ち合わせ、胡笳の調子に合わせて演奏をする。池に網を投げ、鴨をはなして鯉、鮒などを捕る。大きな菱の実、鬼蓮の実を摘んで、大きな楊桃(やまもも)梅、姫桃を中島から収穫し、クルミを水から掬い上げなどをして、涼み楽しむ。主人役の正頼は
「今日のような集まりに風流人が一人もいないのは淋しいことではないか。仲純、誰か仲忠を呼びにやれ。兄弟の契りを結んだ仲純と仲忠は、興のある催しには必ず出席するがよい」
驚いて使いを送ると、仲頼、仲忠、行正三人が笛を吹きながら舟に乗って池を渡って釣殿に到着した。正頼は綾の衣を脱いで仲忠に与え
ふかき池の底に生ひつる菱子つむと
今日くる人のころもにぞする
(今日、深い池の底に生えた菱を摘むためにお見えになる方に衣をあげるのです)
仲忠侍従
そこ深くおひける物をあやしくも
うへなる水のあやしと見る哉 (仰せのように底深く生えてる菱を、不思議にも水の上の模様だと見ていました)
正頼は仲忠に与えた衣と同じ物を仲頼、行正に与えた。
正頼の姫達が居る前なので、みんなは気を遣って楽器を演奏しながら、何回も何回もなく水鳥の鳴き声を仲忠が聞いて箏の琴を演奏しながら詠う、
われのみと思ひし物をにほどりの
独(ひとり)浮びて音をも鳴かな
(私だけだと思ったのに、水鳥が一羽同じように淋しく鳴いていることよ)
かすかに琴を弾いて詠う、あて宮は琴を弾いて
にほ鳥のつねに浮べる心には
音をだに高くなかずもあらなん
(水鳥のようにいつも浮いたお心なのに、高い声でおなきくださるな)
歌を詠み合っていると、内裏から使者が、
「藤侍従はすぐに昇殿しなさい。宣旨であります」
「今が一番興がのって良いとこなのに、こういうときに生憎のお召しであるよ」
と不足を言って
「直ぐに参上いたします」
と、答えて参内した。
こうして正頼は、長男の宰相左大弁忠純に言う。
「賀茂社で神楽を演奏する日が近くなったが、水が深く、蔭が多いところを練習に選びなさい」
「加茂川には蔭はないようです。右大将兼雅の桂殿が宜しいようで、珍しい趣向を凝らして美しいそうです」
「そうだろう、兼雅殿が心を込めて造営なさった、と聞いています。その道、その道の専門家に工事をさせる事でも、右大将の癖で特に念を入れて気の利いたことを為さる、見応えがあるだろう。気持ちがあるなら気持ちに従うのだ。趣味芸道にも勝れ、公人としても器量も具わっておいでの方だ。
人品人柄から見ても、御子達、上達部が多数参内なさる中に、右大将兼雅と侍従仲忠二人一つの車でお出でになり宮中で下車なさる姿は実に稀に見る見事さであった。中でも侍従仲忠をお見上げしたときは」
正頼は
「いつもは欲しいとは思わないが、仲忠のためには良い娘が欲しいと思った」
と、言う。
会が終わって姫達がそれぞれ戻られる。正頼は内に戻って、北方大宮に、
「どうして涼みにお出でになりませんでした。釣殿を造りまして御覧に入れようと思いましたのを、折角の錦も闇の中では栄えないように、貴女がいらっしゃらなくてつまらなかった」
北方の宮
「皆さんは釣殿で、私は此処で涼んでおりました」
枝ごとにわかずや風の吹きつらん
作品名:私の読む 「宇津保物語」 祭りの使い 作家名:陽高慈雨