私の読む 「宇津保物語」 祭りの使い
いふごとにいらへぬ人はつらからで
思ひそめたる身をぞ恨むる
(訴える度に一度としてご返事をなさらない貴女よりも、そういう貴女を思い初めた自分を恨めしいと思います)
と、言うのであるが、あて宮からの返事はない。
五月五日の早朝、仲純は菖蒲の長く白い根を和歌に添えて、歌を贈る、
涙川みぎはのあやめひく時は
人しれぬねのあらはるゝかな
(貴女を恋う涙の川の水際の菖蒲を引いたら人知れず秘めていた根が露わになりましたよ)
と言うのだがあて宮は聴いてくれない。仲純侍従は、
「貴女が真面目なお考えでいらっしゃるのを、私としては思い通りのお心と安心して、自分としても忍ばねばと思うのですが、堪え忍ぶことが出来ませんので、死ぬ身だと思って申し上げているのです」
泣きながら言うのであて宮は大笑いして、
「どうしてそういう事ばかりおっしゃるのです。私をだれと思いなのですか、貴方の妹ですよ」
正頼は五月五日の節に供される供御(くご)、節供(せっく)を豊かな荘園を持つ受領に割り振った。
一の娘仁寿院とその子供達までの分は近江守が節供の御用を承る。あて宮以下の君達には伊勢守、正頼と北方の大宮には紀伊守、娘婿七人には大和、山城守、もう一人正頼の北方である大臣の娘には播磨の介、未婚の男の子供達には備前の介、客人達には丹馬の守と担当させた。
五月五日、まず西の大殿にいる正頼に近江守が、浅香の香木で作った折敷を廿人の御前に並んで侍る四位五位の人たちが取って御前に来る。下仕え廿人はみんな髪が背丈よりも長く美人である。装束も派手な下仕えは釵子(さいし)と言うかんざし、元結いで髪を括って廿人が御前に参る。赤色の細長の袍、綾の袴を着た子供と、唐衣の袍を着た大人が参内して、親王達の前に台を据える。廿人の童が一人一人の前に来て、面白い薬玉を置く。薬玉を賜った廿人は階段を下りて御礼の舞を舞う。
そうして男の方々には、正頼の正殿に近い池の畔に厩が東と西に四町通してある。厩の頭が預かって雑事をする者もおおく、大馬を十頭ずつ飼っている。本日馬較べをするので、関係者に正装束を着せて、左から右からと馬を引いてきた。
正頼は、
「男達は乗馬して試してみよ」
という、
娘の婿達が丁度揃っている。
「どうせ乗馬をするなら競争しましょう」
と、一番手には式部卿の宮と、右大臣忠雅とで競い忠雅が勝。
二番手は、冠者の親王と正頼、正頼が勝。
三番手は、三の親王と民部卿で親王が勝。
四番手は、四の親王と八姫の婿左衛門督、督が勝。
五番手は、五の親王と三の姫の婿頭宰相親王が勝
六番手は、六の親王と左大弁の長子忠純、親王が勝
七番手は、兵衛督と四男の左衛門佐連純、督勝。
八番手は、五男兵衛佐顯純と兵部少輔、佐勝。
九番手は、九男式部丞正純と七男侍従仲純、仲純が勝。
一〇番は 皇太后宮大夫八男の基純と右衛門尉、基純が勝。
そうこうして、正頼の左厩の検査をした。
「明日は近衛府の手番(てつがい)、騎射(うまゆみ)・射礼(じゃらい)・賭弓(のりゆみ)などで、射手を一人ずつ組み合わせて競わせることです。賞品の馬の脚を検分しましょう」
と、馬を引いて、厩の頭、助、下役を来させた。正頼の部下の左近中将、少将、東歌の上手い者までが現れた。正頼は、
「これは面白い、。帝がお聞きになったらどうだろうか」
と、幔幕を張って、上席より始めて、中少将、馬寮頭、助が並んで、馬寮の馬に左近の尉以下が騎乗して弓を射る。騎射が終わると、音楽が得手な舎人達が左右に分かれて駒形を舞う。
正頼は大きな毬を舎人の中に投げ込むと、舎人達は毬杖(球場)を手にして毬を打って遊ぶ。舎人達は一勝負が終わると勝ち手達は舞う。
競技が終わると馬を池に入れて冷やす。秣を与えていると右大将兼雅が、組み合わせをしようと馬場に到着する。
正頼は「右近の馬寮が参りました」
聞いて、
「これは面白い」
と言って、左の馬寮から左の馬を引き出して、佐から始めて馬に乗り駒形を舞う者まで連れて迎え、兼雅大将の車の前で、音楽を奏し駒形を舞わせて出迎える。
正頼がそれを聞いて、
「雅楽寮の楽の音が近くに聞こえる。次男の祐純の笙であろう。右の近衛の人が大勢来るのであろう。迎えに出よう」
牛飼いの者が
「右大将殿が、右近衛の馬寮を連れてお出でになるところです」
と申し上げる。
正頼
「これは大変に面白いことである」
腰の太刀をしっかりと結び直して衣の裾をあげて、笙の笛を取り、左近の馬寮の者達を引き連れて音楽を盛大に奏して迎えに出る。
右近の者達は左近の馬寮の大勢が出迎えたのを見て急いで馬から下りる。
楽を奏しながら左右を見ると広い大路に若い勢いのある大将達が、左右の近衛の馬寮を連れて楽を奏しながら御殿に入っていく。
夕焼けの美しい京の大路を、優美な武官達が大将から下役までが飾り馬に乗馬して舞いながら楽しそうに練り歩く。
殿の東の階段から左の司西は右の司、昇段して、右近衛は南面、左近衛は北面して着座。
杯が始まる。前の机に盛った料理に箸を付ける。
このことを帝がお聞きになって、
「正頼の所で臨時の宴があるようだから使いを出そうと思う。手許に何かが有れば正頼に与えよう」
と言われるので、脚のある長方形の櫃に女性のかぶり物多数に、白袴を添えて大袿十襲を入れて、
「このような残り物しか準備できませんでした」
と皇后が帝に差し上げた。
帝はそれに加えて内蔵寮にある絹三百匹を唐櫃に入れ、司の衣を十櫃に入れて蔵人所にあるお菓子を更に櫃に入れ、正頼に与えようとすると、使者に立つ殿上人蔵人が一人もいない。
「今まで此処にいた男達は何処へ行ったのだ。佐(すけ)では少し位が高すぎる」
と言われて蔵人の兵衛佐行正を呼ばれて、正頼大将にこのよう言うようにと送り出す。
「急な客が来たようだからご馳走をどうなさるかと心配しています。引き出物不足ならば此方に沢山あるから自由にお使い下さい」
と伝言を述べると、土器に歌を書く
ところ狭き身はよそなれどあそぶなる
宿に心をわすれもやるかな
(私のように世間の狭い身は、貴方の所にも行けないが、楽しそうな宿に私も心だけは行きますよ)
と行正に渡して行かせたが、実忠の父である左大臣の源季明と平中納言の二人が夜になるまで帝の側に侍っているのに、
「大将正頼を訪問するがよい」
と、言われる。
二人揃って挨拶して退出、使いの行正が正頼の所へ向かうのと共に、正頼大殿へ訪問をした。
正頼は、帝の書いた土器を見て、畏まる。
使者の蔵人行正を待たせて、自分は庭に降りて舞踏して贈り物受領の挨拶をして、行正に大袿(おほうちき)肩に掛けて被物とした。
大袿は、禄(ろく)・かづけものとして人に与えるために、特に裄(ゆき)・丈を大きく仕立てた袿。受けた者は身に合わせて仕立て直した。
正頼は、
雲井よりふる白玉を袖にいれて
見る人さへぞ心ゆきぬる
作品名:私の読む 「宇津保物語」 祭りの使い 作家名:陽高慈雨