私の読む「宇津保物語」第 四巻 吹上 下
(風が強いので露さえ置かない小松ですから、宮人がお涼みになるような蔭がなくて恐縮に存じ上げております)
二の親王が琵琶を弾いている仲頼に歌を与える。
かげごとに人のみ凉む松よりは
風も常磐に吹きわたらなん
(松の蔭毎に誰もが涼んでいますが、松よりは風が常に吹き渡ってほしいと思います)
仲頼は歌を頂いて、
松ちかみ吹きくる風もあれまさる
秋のかげには誰か凉まむ
(松蔭は身近にありますのに誰一人あれまさる秋の蔭に涼む者が御座いましょう)
三の親王は、箏の琴を演奏している行正に、
木枯の風もふきつと松虫や
しげき木かげと人に見ゆらん
(木枯らしが吹いたというので松虫が茂みの蔭に集まったのだと思いますよ、箏の琴が素晴らしいからみんなが耳を傾けたのです)
戴いた行正は、
年ふれど色もかはらぬ松よりは
いかで吹くらん木枯の風
(何年たっても美しい緑の松から、どうして木枯らしの風などが吹きましょう。見事な皆さんの技術には私の箏など到底及びません)
四の親王は和琴を弾いている仲純に、
おしなべて松風にしもしられねど
わが身すゞしきかげにもあるかな
(一般には松風としても認められないようですが、その松風にもまして私にとっては貴方の和琴が涼しい蔭で御座いましたよ)
歌を頂いて仲純は、
かくれ沼の草葉もさやぐ風をさへ
松のひゞきにいかゞたとへん
(隠れて見えない沼の草葉が密やかになるほどの風を、どうして松風の響きに譬えようなどと思いましょう)
と、四人は被物を賜って、四人ともに階段の下に降りて、お礼の舞踏をする。
こうして涼と仲忠の琴の音はぴったり揃う。兼雅は北方から得た「南風」を帝に見せて、
「この琴は仲忠がまだ見たことがないものであります。彼に渡してください」
帝は兼雅が言うとおりに「南風」を仲忠に与える。仲忠は調子を見ようと簡単な曲を弾くと、天地を揺するように響き渡る。帝を始めとして会場に集まったみんなが驚く。仲忠、
「今となってはこれが最後だ。この琴このまま静まろうとは思われない。同じことなら大地も驚くばかりに弾いてやろう」
と、思う。
涼は、「弥行(いやゆき)」と名付けた琴を、師匠から頂いていて、「南風」に劣らない名器である。涼はこの琴を院の帝に差し上げた。
帝は涼の差し上げた琴を、「南風」に調子を合わせになって涼に与える。
仲忠は、かって祖父の俊蔭が波斯国(はしこく)に漂着してその地で七人の衆生から習い憶えた琴の手を。
涼は「弥行(いやゆき)」を端で見ていると妬ましくなるほど素晴らしく弾く。
そうすると、雲上より響き渡り、地の下より振動が伝わり、風、雲、月、星が騒ぐようである。飛礫(つぶて)のような雹(ひょう)が降り、雷鳴が鳴り響く。雪が一辺に積もり始めた。そうして暫くして収まった。
仲忠は、七人から祖父俊蔭・母親・仲忠と伝えられた秘曲を全部演奏をした。涼は「弥行(いやゆき)」が伝える秘曲を総て演奏した。
かって祖父俊蔭が造った琴二双を並べて置いて大きな木下に宿って日本のこと父母のこと思いながら、音の好い二双の琴を弾いてみると、春ののどかな日であるのに、山を見ると緑の霞がかかり、林を見ると木の芽が開いて、花園は花盛りに。
楽しそうに晴天の昼頃琴を弾きならして大声で歌うと大空に大きな音がして、紫の雲に乗った天人が七人連れたって下界に降りてこられた。
と伝えられた通りに天人が地上に降りてきて舞い始める。仲忠、その振りに合わせて琴を演奏する。
朝ぼらけほのかに見ればあかぬかな
中なる乙女しばしとめなん
(夜明けの淡い光にほんのりと見ても、天女の美しさは見飽きがしないな。中の乙女を暫く留めたいものだ)
天女、もう一度舞ってから天に上っていった。
帝は何も考えられずにただ見ておられた。仲忠、凉の二人に琴の賞として正四位を与えられ、仲忠を右近中将に昇進させた。涼も同じく中将にされた。
涼は、帝の子供であるので当然源氏である。琴が無くともこの位は与えられる。そうして涼の祖父種松は、五位を与えて紀伊の守にされた。
朱雀帝が正頼に、
「今宵、仲忠、涼に与える物は国中探してもないものであるが、正頼だけは与えることが出来るね」
正頼、
「恐れ入ります、宮中にもないものを、正頼がどうして持っていましょう、与える物はありません」
帝は機嫌良くお笑いになって、
「正頼は娘を多く持っておられる。特に大事に可愛がっておられる娘、今夜の褒美として、涼と仲忠に与えられては、これに優る者はないであろう」
院の帝が聞いておられて、
「世でもてはやされているあて宮(九姫)こそ今夜の最もふさわしい褒美〔禄〕ではないか。涼にはあて宮。仲忠には、正頼の一姫の皇女〔朱雀帝の皇女)がおられる、娶せたら」
涼と仲忠急いで階段を下りて礼舞いする。
涼と仲忠は叙位の文書を帝の御前で頂く。
帝は、仲忠の位記の上に歌を書かれた。
松風のとく吹きほさば紫の
深き色をばまたも染めてん
(琴の松風が早く吹いて染色を乾してしまったら、紫の深い色を更に染めよう。秘曲をすっかり弾くならば、位は望みのままに与えようぞ)
仲忠、
むらさきにそむる衣の色ふかみ
ほすべき風のぬるきをぞ思ふ
(紫に染める衣の色は深いので、それを乾かすほどの暖かい松風は吹くまいと存じます。有り難い仰せではありますが、私の技術は甘いもので御座います)
凉の位記に院の帝が歌を書かれる。
秋ふかみ野べの草葉は老いぬれば
若紫をいまはたのまん
(秋も深くなって、野邊の草は枯れてきたから、若紫を頼みに思うよ。私は年寄りになったから、お前を頼みにしますぞ)
凉、
さかりだに花の草葉の露をこそ
けふ紫の色はそめけれ
(花が盛りになりましたのも露のおかげで御座います。今日こそ露が紫色に染まりまして感謝に堪えません)
種松の位記に左大臣源季明、
立田姫もみぢの笠をぬふことは
ひと木有る松を露にあへこそ
(立田姫が紅葉の笠をこしらえたのは、たった一本の大事な松が露に堪えるようにという思し召しからでしょう)
種松、
佐保山のみどりの峯にかくれたる
松のかげにもいまは入りぬる
(いいえ、私の方が涼のおかげを蒙る身となりました)
などの歌があって、涼と仲忠は下に降りて舞踏する。種松は五位であるが昇殿を許される宣旨を戴いて、すぐに昇殿した。その種松の行動に院の帝が驚いておられた。院は、
「仲忠朝臣の手は、俊蔭朝臣の手より勝れている。涼は、かたちを変えた手法だ。胡笳(こか)と言う調子は俊蔭と弥行(いやゆき)と二人が並び立っている頃の弥行の手法である。弥行が亡くなって三十余ねん、その手法が絶えて継ぐ者が無し。涼はまだ廿才過ぎたばかりであるのにその琴を弾く手は弥行と同じである。どういうことか」
と、尋ねられる。
中将になった涼が答える。
作品名:私の読む「宇津保物語」第 四巻 吹上 下 作家名:陽高慈雨