私の読む「宇津保物語」第 四巻 吹上 下
山伏忠こそ
そらなるをみつゝ入りにし山邊には
雲のおりゐる谷もなかりき
(殿上の生活に未練を残しながら山に入った私の、落ち着く場所がありようも御座いませんでした)
式部卿の親王
空にみつ雲のかゝりし秋霧を
山のそこよりいでんとやみし
(空一杯にひろがった雲に秋の霧がかかっている。その谷の底からまさかあなたが現れようとは思いもかけませんでしたよ。出てきてようございましたね)
中務の親王
空よりもたづねて雲のかゝるてふ
くらぶの山をたのむなりけり
(空からわざわざ下りて雲がかかるという暗部の山は、高い峰で頼もしいからですよ。帝は暗部山に住む忠こそを信頼遊ばせばこそ、帝はわざわざお求めになられるのです)
右大臣(忠雅)
入る人を墨染になす山よりや
くらぶてふ名を人のしるらん
(入る人を僧にして衣を黒く染める山だから、それでくらぶという名が付いて、人も知るようになったのであろう)
左大将(正頼)
風ふけば空にあそびし白雲を
たゞにおりゐんとやは思ひし
(殿上で親しくしていた忠こそが、まさか谷に下りて僧となっているとは思いもかけなかった)
夜が明ける。滞在する間涼は色々と手を尽くしてお持てなしをする。そうして帝が京にお帰りになるときに涼を供に入れて上られた。
言うまでもなく種松は、上達部や親王達に、着物の入った櫃、馬、厨舟(本船に付随して割烹(かっぽう)をするための小型の舟)、などを差し上げた。帰途も楽しく遊びながら道中をした、
院の御門(嵯峨院)紀伊國から京に戻ると、今の帝朱雀帝が管弦風月を楽しむ神泉苑で紅葉の賀を催したいが如何でしょうかとの消息をしてこられた。
右大将兼雅は三条堀川に住む息子仲忠の母の北方に、
「紀伊の国の源氏涼と共に都へ上ってきたが、神泉へ帝が大行幸をなされ、嵯峨院も共にお出でになる。当然、管弦のお遊びがあり仲忠も琴を演奏するのであるが、同じ演奏をするなら他人よりも勝れた方が良いであろう。前に、
『しばらくは世に知らせまい』
と、貴女が言っておられた琴、「南風」と「はし風」をこの際お出しになりませんか」
北方は、
「亡くなられた父俊蔭がとうとうお出しにならなかった琴を、私の代になってわざわざ取り出すことは、父に対して心苦しく感じます」
「世に稀な名器の音を、一度仲忠に帝の御前で演奏させても良いのではないか、仲忠に過去にも将来にも滅多にない機会を逃さないようにしてやりましょう」
と、兼雅は北方から秘器の一つ「南風」を出して貰って、兼雅は行列の供をした。
院の帝嵯峨院も参加された。世の中の音楽の達人がみな集合した。選ばれた文人は全員が参加した。嵯峨院は、
「『不思議な珍しいところがある』と、誰彼が申すもので、行ってみようと、言うところへ行ってみたが、この凉が住むところであった。本当にみんなが言うとおりで、世の中に同じ所がないような場所であった。その様なところに凉をそのまま置いておくことは無い、と思い供に加えて連れて参った。殿上を許されてお側に侍らせて下さい」
帝は「かしこまりました」とお答えになって宣旨を下して昇殿を許された。
コメント
紀伊の国で本稿の主人公として現れた神南備涼。涼の文字を使っているが凉(すずし)が原本に使われている。
私は涼を使ってしまった。どちらも涼・凉「すずし」と読める。
いい加減なことで申し訳がないが、両方の文字がこれまで混じっているのをお許し願いたい。
宴が始まる。文人は題を出されて、上達部、殿上人、文人達は作詩をして文台箱に置いた。
藤原季英(すえふさ)は特別に題を頂いて、一人舟に乗せられて池の中で作詩をする。そうして面白い詩を創る。その詩が見事なものであったので、帝は季英に進士の位を与え、
そうして官吏採用試験科目に方略試験を加える宣旨を下した。
管弦が始まり上達部はもてる技を総て出して演奏をする。嵯峨院は、涼(すずし)仲忠二人が何もしないで見ているので、
「上達部が手を惜しまずに出し尽くして演奏をしている、お前達二人が手をこばねいて居ることではないぞ、琴を演奏しなさい」
朱雀帝が、
「私から申しつけましょう。わけても仲忠は琴を賜っても弾こうとはしないことが数々御座います」
と、嵯峨院に言って、仲忠をお呼びになり、
「『今日のような晴れの日にも演奏をしようともせず、仲頼や行正等は手の限り演奏をするのにお前のような名手が何もしないでいることはまかりならん』
と、嵯峨院が申しておられる。此処で一手演奏をなさい」
と、仰せになって、「せた風」胡笳(こか)の調子に合わせて仲忠に与えられた。
かって、俊蔭が当時の春宮であった帝に差し上げた「花園風」を同じように調子を合わせて、源氏涼に与えた。仲忠は、畏れながらと、
「此処に居られる皆様方は、今日のような晴れの日にと、もてる技を披露なさるのでしょうが、私は、時々弾きます手は、帝、院の御前で出し尽くしましたので、今日のために、取って置いた手法などは御座いません」
と、申し上げる。帝は、
「残しておいた手がないのであれば、先に演奏したのを弾いたらどうだ。才能というものは他人の聴く前で上手いという定評を受けるのが良いのである。今夜御前で演奏しなくては何も成らないではないか、早く演奏をしなさい」
と言われるが、仲忠は演奏をしようとはしない。
朱雀帝は、
「仲忠には、天子の位も役に立たないか。蓬莱にあるという不老不死の薬を取りに行けと使いの役を仰せつかっても、勅命は絶対であるから、除福はその島へ渡ったではないか。
とにかく演奏をしなさい」
と言われたので仲忠は畏まってお受けしてそれでも涼に譲って、なおも弾こうとはしない。院の御門(嵯峨院)が
「涼よ、調子合わせをしなさい」
涼は困ったなと思いながらも、家伝の胡笳の一節をかすかに弾き始める。仲忠はやっと琴を取り上げて僅かに弾いて合わせて、胡笳(こか)の手法を弾きだした。夜が更けゆくに従って琴の音が高く響きだした。人々が聴き入る中に二人は胡笳の手法を弾き納める。御門から始め聴き入る者達は涙を流していた。院の御門から杯を賜る。
秋をへてこよひの琴は松が枝に
巣ごもる蝉もしらべてぞなく
(ときが経てやっと今夜思いが叶ったよ、松の枝に巣籠もってなかなか出なかった蝉が調べに合わせて鳴いたのだから)
仲忠
秋ふかみ山邊にかゝる松風を
めづらしげなく蝉やきくらん
(山邊に吹く松風を蝉は珍しいなどと聴いてはいないでしょう)
院の帝(嵯峨院)
ながき夜のふくるもうれしあさ露を
おとす小松のかげにすゞめば
(秋の長い夜が更けるのも嬉しいものだ。すがすがしい朝露を落とす小松の蔭に涼むのだから)
涼は嵯峨院から歌を頂いて、
風をいたみ露だにおかぬ小松には
宮人すゞむかげやなからん
作品名:私の読む「宇津保物語」第 四巻 吹上 下 作家名:陽高慈雨