私の読む「宇津保物語」第六巻 吹上 上
林の院の絵。広く趣きのある濱に、色ある限りに咲く花の木が並んでいる中に、清く美しく大殿が聳えている。そこに主賓と主人が立ち並ぶ。袍を着た正装の男が十人立ち並んでいる。君達一人の前に二人づつ立つ。
君達が歌を作っておられる。主人が涼の先生である大学寮の次官が、詠み上げる。君達は琴を演奏して歌を誦う。仲忠の漢詩は素晴らしい。被物三箱を持ってでてくる。仲忠から始めてみんなに与えられる。
こうして三月十二日に、濱で漁師がする、上巳の祓いを見物する。漁師達は海女を集めて、海中から採った良いものを差し出させ、漁師の親方が現れて大網を引かせる。
その日の折敷は、銀の折敷廿、打敷、唐の羅(うすもの)、綾、縑(かとり)という絹糸の目を細かにして固く織った夏の衣用の布、を重ねた。金属の杯を持って各人毎に酒をつぐ。
供の者達には蘇芳の机を二台ずつ並べた。
こうして、君達は琴を演奏して、供の者達下部、童は笛を吹き合わす。大いに遊んで夕暮れに、大きな釣船に漁師の使う栲縄(たくなわ)という楮(こうぞ)の繊維でつくった縄を一舟一杯に積んで沖へ出て行くのを仲頼が見て
「これは、このように見えても仲頼の志よりも短いものだ」
と言うのを涼が笑って、
くる人の心のうちは知らねども
頼まるゝかなあまの栲縄
(操る漁師の心の中は知るよしもありませんが、長い栲縄をを頼もしく思いますよ。おいで下さった貴方のお心はともかく、栲縄に勝ると仰るお言葉に信頼いたします)
仲忠侍従は「此処まで参ったことには劣らないであろう」と
道とほき都よりくる心には
まさりしもせじあまの栲縄
(遠い都から遙々来た私たちの長い長い心には、海女の栲縄は及びもつかないでしょう)
仲頼
こゝにくるながき心にくらぶれば
名にや立つらん沖の栲縄
(此処に遙々お尋ねした志の長さに比べたら、栲縄は及びもつきませんが、しかし比べたということで、栲縄は有名になるでしょう)
と詠っているうちに日が暮れてきた。
涼はこのように楽しいところに裕福な生活をしているけれども、良い友達に出会わすことが初めてであるので、大変嬉しくて仲頼、仲忠、行正がいつまでもこうして此処に居てくださればいいと思うのであるが、とてもそのようなことは出来ない方々である、と考えているところに、渚から都鳥が連れだって飛び去り、浜千鳥が泣き叫ぶのを聞いて、涼は、
みやこ鳥友をつらねて帰りなば
千鳥は濱になく/\や経ん
(折角来てくれた友達が都鳥のように一緒に帰ってしまったなら、残された千鳥の私はなくなくこの濱に暮らすことでしょう)
仲忠侍従は
「貴方をどうしてそのままに置いておくようなことを致しましょう」
雲路をばつらねてゆかんさま/”\に
あそぶ千鳥の友にあらずや
(都への雲路を翼を列ねて一緒に参りましょう、遊び友達の同じ千鳥ではありませんか)
行正
君とはばいかに答へん濱にすむ
千鳥誘ひにこし都鳥
(帝がお尋ねになったらどうお答えいたしましょう、濱に住む千鳥を誘いに来た都鳥がご一緒にお連れしなかったら)
などと、一夜を明かす。
絵解
画面は林の院が建っている同じ東の浜辺にある渚の院、おおきな背高い大殿、潮の満ち引きの場所に建ててある。
周りは趣のある島々が巡っていて、頭を包んだ女達が海水を汲んで、塩を造る釜に流し込み塩を造る。
彼方此方に点在する海女の家は海草を沢山掛けて干してある。泊木(はつき)、枝のある木二本を柱とし、これに竿や縄をかけ渡し乾す。
三月二十日、藤井の宮で藤の花の宴が催されて、君達が出席する。着衣は、両腋が縫っていない青の白橡(つるばみ)、綾の袍(うえのきぬ)、蘇芳の下襲、綾の表袴(うえのはかま)、螺鈿(らでん)の太刀、太刀の緒は、五色の糸で平たく組んだ紐、唐組の緒をつけて、涼、仲頼、仲忠、行正四人に与えて、四人の馬副(うまぞい)廿人、紫の衣、白絹の打ち袴(槌で打って艶を出した)、着させて、四人に廿人づつ従う。
客人の前駆(御前さきがけ)には衛府の将監達が、
青色の袍に柳襲(表が白、裏が青、又は表裏とも薄青)を着て、涼の供には侍十人、青色の松葉の袍に柳襲を着て、童四人は青色の袍に柳襲を着せた。
当時の紀伊の守は、蔵人(殿上人)から選ばれた人で、仲頼等が紀伊へ向かったことを知って、吹上の御殿に介(すけ)達をつれて、藤井の宮に向かった。
全員が到着して、その日の宴席は種松が迎えの主人である。招待された四君に紀伊の守を加えて、紫檀の折敷廿、轆轤(ろくろ)を使った杯を並べ、敷物や打敷きは特別に織った綾である。
熱帯産の蘇芳の木を轆轤で削って造った杯を載せて二つ、お供の人の前に並べて酒盛りが始まった。箸を使いながら紀伊の守が仲頼に言う
「此方にお出でになったことを存じ上げませんでしたよ」
「願掛けを致しまして、その願ほどきに粉河寺に参りたいと思っていましたが、果たさずにおりましたところ、この吹上御殿のことを知りまして、神参りだけでは物足りなく思っていましたので、これ幸いと俄に此方にまかり越しました。
私の方から参上いたさねばと思っていましたのに、失礼を致しました」
「この吹上御殿にお出でにならなければ、お会いすることは出来ませんでした。
京の方には変わったことがありませんですか。
あきれたことに、前任の紀伊の守がめちゃくちゃな仕事をしてくれたので、此方に赴任をしまして、朝廷の官吏達が騒ぎまくり、その後始末のことで公事に煩わされまして、人が良く言う田舎者になってしまいました。
正頼大将にはお変わりはありませんか」
「大将殿は今のところ平穏に過ごされています。京は別に変わったことはありません。前の紀伊の守は、愁訴を致されていましたよ」
少将仲頼はこのような話をお互いにして、何時もするように音楽を合奏し、杯を酌み交わし、涼や仲忠達は歌を詠む。題は、
「折藤花知松下歳(藤の花を折りて、松の千歳を知る)」
紀伊の守
藤の花かざせる春をかぞへてぞ
松のよはひも知るべかりける
(毎年春になると藤の花が咲いて、松のかざしになるが、その春を数えれば松の年齢を知ることが出来る)
あるじ、涼
春雨のにほへる藤にかゝれるを
よはひ有る松のたまかとぞ見る
(美しく匂う藤の花に春雨の露が限りもなくかかっているが、その露は千歳の松の玉かと思われる)
侍従仲忠
藤の花そめくる雨もふりぬれば
たまの緒結ぶ松にぞ見えける
(藤の花を染める雨が降ってくると、松に架かった藤の房が、丁度光る玉を貫く緒を結んだように見える)
少将仲頼
みぎはなる松にかゝれる藤の花
かげさへふかくおもほゆるかな
(水際の松に架かっている濃いい藤の花が、水に映る影さえも深い色に思われる)
良佐(ろうすけ)行正
まとゐしていづれひさしと藤の花
作品名:私の読む「宇津保物語」第六巻 吹上 上 作家名:陽高慈雨