私の読む「宇津保物語」第六巻 吹上 上
春日で音楽会を開かれた際の、胡笳(こか)の調べに仲忠涙を多く流しました。
鴬が遠くでなく声、遠くから響く松風の音に長閑な曲を上手く和すると鳥・獣・山伏・山の人、耳を立てて聞き惚れた」
仲頼
「その中でも、源宰相実忠の我を忘れて聞いておられた様子を見て、私は年を重ねながら、物の哀れ、を知らずに過ぎてきたことを深く思い知りました」
主の涼は
「本当に、どのような気持ちでしたのでしょう。間接にお聞きするだけで感動しますのに」」
絵解
第一の画面は、吹上の宮全体図である。南面大きな野邊の畔、松の林が二十町ばかり、木の高さが揃っていて姿が同じようである。野が広い、鹿や雉が多く遊んでいる。
東面は、海岸の畔、花の林が二十町ばかりが続いている。花の垣根の側まで波が寄せて、満潮時は花の垣根まで満ちて、干潮時は花の林の東の果てまで引く。潮が満ちると花の木は海中に立つ花の木に見える。砂浜は綺麗である。木の根は品よく見える。
色々な小さな貝が美しく敷き詰められたように見える。
宮の西大きな河の畔、二十町ほどの紅葉林が背丈が揃って数も同じである。
宮の北面、大きな築山の畔、山の上から下まで常磐の木で葉の色がそれぞれ綺麗である。木の数は南と同じ本数である。
第二の画面は、宮の内部は、四面を巡る三重の垣。三つの陣の表毎に檜皮葺の門、三門が立っている。馬場殿、大きな池、大きな築山の中に反り橋がある。池を巡って花木が植えてある。柵が結んである。傍らに、東西の厩、別当を置いて大層な飼い馬10匹づつ。鷹屋には鷹十羽づつ飼っている。
第三の画面は、大殿町、檜皮葺で金銀、瑠璃で飾り立ててある。大殿、渡殿、言うまでもなく光り輝いている。涼の常に住む大殿は心して造られている。
客人の三人が涼に琴を差し上げている。涼は拝舞して受け取る。少将仲頼は箏の琴、良佐は琵琶を差し上げる。
こうしているうちに、濱の畔の花が満開になった。みんなは花を見るために吹上の宮の東にある林の院に出てきた。その日の饗応の接待は種松自身が招待した。本日は全員が直衣姿で、供の者は袍を来て桜の下襲の礼服である。徒歩できた。
前に並べたお膳の料理は総て種松の妻が指示して造らせたものである、給仕を始め、沈の折敷廿、轆轤(ろくろ)でこしらえた沈の香木の杯、敷物、打ち敷きの模様が斬新である。給仕をする女性は正装をして青みの勝った白橡唐衣と草で摺り込んだ綾の裳、綾の掻練袿、袷の袴である。
大人の女性はは髪は背丈ぐらい、色白く廿歳より下の者が十人、同じ青色の表着に、蘇芳の汗袗、綾の袴、綾の掻練袙一襲。袷の袴を穿いた童、髪の長さがみな同じで歳は十五より下で、背丈が揃って姿も同じような十人。
男の者が階段の下まで並び、次々と運ばれる料理を順送りに上に送り上げて、下仕が御簾の所まで運び、童がそれを御前の前に運ぶ。大人4人がそれらを持って客達の前に運ぶ、いずれも、高く美しく盛り上げた盛物四盛り、折敷一個において遠くから運んでくるが、少しの狂いもなく正客と主人の前で動作をする。なかなかの童部(わらわべ)である。
音楽を奏し、仲頼達も演奏を楽しんで、唐詩つくりをして、読み上げ、君達が琴の演奏に合わせて声を揃えて誦(ず)す。
少将仲頼は、このような楽しい席に楽器の演奏の上手い者達が集まって、一番の琴の名手と笛の奏者が掻き鳴らし吹き鳴らし、美を尽くして遊ぶのであるが、仲頼はあて宮を見初めて以来病気になるほどに思い詰め、慰める手がないほどに嘆き続けているので、花に吹く風がものすごい勢いで吹いてくるように感じていた。
浜辺を見回してみると、花は今が盛りである、風に吹かれて競うように散っていき、海上を漕いで走る舟が近づいてくる。それらが花と一つになって見えるので仲頼は、
行舟の花にまがふは春風の
吹きあげの濱を漕げばなりけり
(行く舟が花かと間違えるのは春風の渡る吹上の濱を漕ぐからである)
あるじの涼は、
春風のこぎいづる舟にちりつめば
まがきが花をよそにみるかな
(春風が漕ぎ出る舟に花を散らして積み込むので、垣の花を忘れてそればかり見ることよ)
仲忠侍従
ゆく舟に花の残らずふりしければ
われも手ごとにつまむとぞ思ふ
(舟の行く手に花がすっかり散り敷いてしまったので、私もその花を両手につかもうと思う)
良佐行正
風吹けばとまらぬ舟を見しほどに
花ものこらず成りにけるかな
(風が吹くので舟が止まらずに走るのを見ているうちに、花もすっかり吹き散らされてしまった)
などと詠っていると、吹上の宮がら種松の北方が練り香を山の形に作って黄金の枝に銀の桜を咲かせ、立ち並ばせて、花に戯れる蝶を沢山止まらせて、その一つに、
桜花春はくれどもあめつゆに
知られぬ枝と見るぞかなしき
(桜花は春が来れば美しい花を咲かせますのに、雨露の恵みも受けない一枝を見るのが心細く悲しゅうございます)
と、品の良い美しい童に託して林の院に届けてきた。みんなが見て、蝶一つ一つに書き付けた。
仲忠侍従
あめ露の梢をわかずかかればや
花の枝とは人の知るらむ
(あめつゆは公平で、梢を区別することなくかかりますから、立派な枝には花が咲いて、人がそれと認めるでしょう)
少将仲頼
春風の吹上ににほふ桜花
くもの上にも吹かせてしがな
(春風の吹く吹上に咲き誇る桜花を、雲の上にも咲かせたいものです)
あるじの君涼
さくら花雲におよばぬ枝なれば
しづめるかげを浪のみぞ見る
(この桜は雲に届くような立派な枝ではないから、分相応の影を濱の浪だけが見てくれるのに満足しましょう)
良佐行正
桜花そめいだす露のわかねばや
そこまで匂ふ枝も見ゆらん
(桜花を染める露は、分け隔てをしないせいでしょうか、奥の方まで花が咲いて匂う枝がみられるようです)
松方
さくら狩ぬれてぞ来にし鴬の
都にをるは色のうすさに
(都の桜は色が薄くて気に入らないので、鴬は雨にぬれてもここまで桜を尋ねてきました)
近正
人づてにきゝ来しよりも櫻花
あやしかりけり春の風間は
(人から伝え聞いて来たよりも、桜の花はなんとあでやかなことだろう。風に散らぬその間の怪しいまでの美しさよ)
時蔭
白雲と見ゆる櫻も有るものを
およばぬ枝と思はざらなむ
(現に白い雲と見える桜もあるのです。「雲に及ばぬ枝」などとご謙遜なさいますな)
種松
なでおほす甲斐もなきかな桜花
にほふ春にもあはずと思へば
(私の桜花が光に匂う春に会えないのだったら、大切に育てる甲斐もない気持ちです)
というようなことで、一夜を遊び明かした。
客人への被物(かづけもの)は種松の妻が用意した。色も珍しいし美しい綾物が用意された。
絵解
作品名:私の読む「宇津保物語」第六巻 吹上 上 作家名:陽高慈雨