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私の読む 「宇津保物語」  梅の花笠

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(山彦さえ答えないような遙かな空で鳴いている田鶴(たづ)は、誰もいない天の河原にただ一人淋しく臥しているのですよ)

 このところ、里に住むのも甲斐がなく、内裏にばかりいます。

 あて宮は

 こたへうくおもほゆるかな葦田鶴の
つるてふ名をもひとりなかねば
(お答えしにくいと思いますよ、葦田鶴が、私が鶴だとさえお名乗りにならないですもの)

 平中納言より

 水まさる淀の真菰のおひの瀬に
深く物おもふ春にも有る哉
(水の勝る淀に真菰が生い育つ楽しい筈の春に、私は深い物思いに沈んでいるのです)

 この度はあて宮は返事をしなかった。

あて宮の甥である三の親王は、このように色々の人があて宮に懸想文を送るのを聞いて、

 巣立つとも見えぬ物から鴬の
山のいろ/\ふみもみるかな
(鴬はまだ巣立つとも見えない幼さで、色々の山を踏んでお出でのようですね)

 と言われるがお答えはなかった。
                       

 仲忠侍従は内裏の使者として水の尾の清和帝の御陵に参詣して帰る途中で、変わった松に藤の花が絡みついているのを見て、枝から折って持って帰り花弁に書き付けた。

 おく山にいくよへぬらん藤の花
かくれて深き色をだにみて
(この藤は奥山にどれほど久しい年月を経たことでしょう。密かに咲いた花の深い色さえ知らないで)

「私はこの花の通りだとだけでもお伝え下さい」

 と、あて宮付きの女房孫王の君に、

「これらをあて宮にお見せになって、この花は貴女があて宮からお貰いになって下さい、すぐにお渡しして」

 と、渡して内裏に出かけた。

 あて宮は藤の花を見て、仲忠は多くの懸想人の中でも非の打ち所がない人と思っているので、このように詠う。

 ふかしともいかゞたのまむ藤の花
かからぬ山はなしとこそ聞け
(深いと仰るけれど、どうしてそれを信頼出来ましょう。藤の花は何処の山にも咲くものだと聞いておりますもの)

 孫王女房はこの歌を仲忠に見せた。

 右近少将仲頼も前々からあて宮に懸想文を送りたいと思っていたが、伝手がなくて、もしも懸想の歌を送ったならば、あて宮が不躾な者だと思うかも知れない、とそのことを思って我慢をしていたところ、この度の賭弓の饗宴に、御簾の中のあて宮を直接見てから思い込んで病にまでなったのを、正頼の春日詣に供人に選ばれて、やっと起きあがって、それから病は治まっているが、もう我慢が出来なくなり、変わった柳の若葉が萌えるように付いたのにこのように詠った。

 物思ひの枝にこもれる物ならば
      萌えわたるとも見せずぞあらまし
(物思いが枝にこもって見えないのでしたら、柳が、
一面に萌えるように思いが燃えるなどとお知らせしないでしょうに)

 と書いて、正頼の十一郎、いへあこ君(親純)に

「これを中殿のあて宮に持って行ってください」

 あて宮は仲頼の歌を見て、
 
「なんと気味悪い、見てはならない物を見た」

 引きちぎって捨ててしまった。

 正頼の七郎、侍従仲純は  

 人知れぬ涙の川とながるゝを
いかでたまれる水とこたへん
(人知れぬ思いに涙は川となるのに、人に訊かれたらなんと答えましょう)

 あて宮の答えはない。行正はこのように詠った。

 玉づさのつひにとまらぬものならば
      空しき身ともなりぬべきかな
(差し上げた文が終に貴女のお手許に届かないものならば、私は死んだ方がましでございます)

 返事はない。


 右大将兼雅は、桂の風雅なところに大きな御殿を造り、春や秋に来ては気晴らしをするところとした。丁度花盛りなので、兼雅は北方の仲忠の母親を連れて遊びをした。
 
「何となく世間のことを忘れて心がゆったりとする処である。この春夏はここで過ごそう」

 と、言って滞在していると、色々な花が美しい色で咲き乱れ、水の流れが糸が乱れたように流れ込んできて、気持ちの良い眺めである。兼雅は、

「ここは何となく様子が宜しいところだ、ここで、楽しい音楽会を開いて、あらゆる楽器の名人を呼んで演奏を聴こうではないか」

 と、北の方に言うと、

「本当でございますね、花が散らない前に、色々とお聞かせ願いたいものです」

 と答えた。

 兼雅もあて宮に文を差し上げたのだが、返事がないのを、さらにこの桂の御殿から文を送った。 

 鴬のふみもかよはで年ふるは
        花なき里と思ふなるべし
(いつになってもお文を下さらないのは、桂を花のない里だとお思いになるからでしょう)

 あて宮は、

 かつらとてなにかさらなむ鴬は
       月のうちこそ声はきこえめ
(花のない桂の里だからといって、どうして行かないことがありましょう。鴬の声は月の世界で聞こえるはずですよ)

 と、言う。兼雅はこの歌を詠んで、 

「美しくまだお若いのに、お姿からこうありたいと思うように美しくまた勝れて振る舞われる人だな。北方とあて宮が同じようであれば人は驚くことだろう。
『世に有名なあて宮を連れてきても、なお北方への寵愛が続いているのは、仲忠の母親の方が勝っているからだろう寵愛が等しければ新しい方を余計大事に思うのが人情でしょう。仲忠の母は心憎い方だ』

 などと言って大騒ぎすることだろう。本当にあて宮を連れてきたら、北方、あなたはどんなに恨むでしょうね。さあ嫉妬しなさい」

 兼雅が北方に言うと、

「あて宮がお出でになる何っていうことが本当にあったら、どんなに嬉しいことでしょう。真面目にお迎えをしてください」

「貴女は今まで一人妻になれて、嫉妬をするようなことは無いと思うでしょう。そういうようなことは言いなさんな」

「おかしなことを、仰いますのね。どうして私が嫉妬などと言うことを致しましょうか。ご夫人が大勢いらしても、それは扱い方によりますでしょう。あの祠、うつぼで私は生きてきました。お忘れにならなければ、何とも思いません」

「それはその通りであった。思い出すと申し訳がない」

 兼雅は涙を流して、

 きえ返りかくのみありし古(いにしえ)を
かけてきくにもましてみだるゝ
(本当に苦しく辛かったろう昔のことを、貴女の口から聞くに付けても心は乱れて消え入る思いです)

「世の中というものは、自分の思いの及ばぬものです。こんなに貴女を深く思いながら、どうしてあんなに冷淡だったのでしょう。
 いやもう、このことを思うからこそ、天下のあて宮にも思いを寄せることを遠慮しているのです。

 昔、貴女への愛情が年ごとに深くなったからこそ、一条に大勢の女の方が住んでお出でですが、どの方にも思いを寄せていましたが、その愛情を貴女ただ一人に向けていたのです。いままで、私は女一人では我慢が出来なかったのですが、貴女と再会して晴れて妻として、こうして貴女一人に向いているのです。この一事で、昔から貴女への深い気持ちがあった証拠になるでしょう」