小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

トランキライザ

INDEX|8ページ/12ページ|

次のページ前のページ
 

 投球動作を入力すると、ピッチャーが先程と寸分違わぬ動作でボールを投げ込んだ。今度はバットを出したバッターの打球はしかし一塁手の真正面に飛んだ。捕球した一塁手を操作し、ベースを踏ませる。チェンジとなった。
 野球が好きなはずの悠基が、野球によく似た、しかしどこまでいっても野球とはなりえないゲームを遊ぶことで満足している。悠基は野球において木偶であった。クラスの連中は学習において木偶であり、祖母は悠基について木偶である。
「ゆうちゃん、野球は面白いかいや」
 どう返事すべきかと一瞬逡巡し、うん、とだけ返した。
「おばあさんにゃあ野球はわからん。相撲のほうがええ」
 悠基は答えない。画面の中で悠基の操作する選手が打席に立った。ふと悪戯心が芽生えた。
「おばあちゃん、テレビ見ててよ」
「なんだあ」
「今からこの選手がホームラン打つから」
「そうかあ」
 投手が振りかぶり、ボールを投げてくる。悠基は相手投手の投げた球の軌道を示すカーソルに、こちらはバットの形状を模したカーソルを合わせ、ボタンを押す。たったそれだけで甘く入ったカーブをライトスタンドへと放り込む様子が描き出された。続いてプログラムされたとおりにダイヤモンドを一周する選手の姿が映し出される。
「すごいがなあ、ゆうちゃん。本当にホームラン打ったがなあ」
 はしゃぐ祖母に悠基はただ苦笑いを返す。悪戯を仕掛けて面白いのは、相手が悪戯に引っかかったと自覚してこそだった。テレビゲームの概念を祖母に理解してもらうために説明することは容易ではない。しかし祖母を見ているとそれでもかまわないと悠基は思い始めていた。
「おばあちゃん」
「なんだあ」
「墓掃除行こうよ。僕がついて行けばお父さんも文句言わないだろうからさ」
 まだどうするかという決心は付きかねていたが故に、悠基はそう言った。
「ついて来てくれるだか」
「うん、時間はあるし、どうせ暇だしね」
 テレビの電源を消す。画面に何も映らなくなってから念を入れて祖母に気付かれないようにゲーム機の電源を落とした。悠基は祖母に準備をするように言い、自身も着替えを探し始めた。



 時刻は二時を回ってはいたが、晴れてはいないせいもあり少々肌寒かった。半袖は失敗だったかもしれないと悠基は思った。
 墓掃除の道具を後ろ手に、前のめりの祖母の横を悠基は歩いてゆく。両手が塞がっている故に杖を持てず、ひょこひょこといった擬音がしっくりくるその歩き方に悠基は「その道具持とうか」と気遣ってはみたものの、「ええけえ、大丈夫だ」と断られてしまい、それ以上はどうしようもなかった。
 田んぼ沿いの道を進んでゆく。稲はそろそろ刈り取られる季節だった。歩いてゆく悠基が足を踏み出す間隔を長く取っても自然と祖母との差が開いてしまう。一歩踏み出しては足をぶらぶらと揺らすことで時間を稼ぐ悠基に祖母が追いつく、そんなことを何度か繰り返した。
 土曜の昼だというのに家を出てからこっち人には会っていなかった。元々あまり多くの人間が住んでいる場所ではないが、こうまで人がいないことに悠基は違和感を覚えた。
 気付けばいつの間にか祖母との距離が再び開き始めていた。足を止めて祖母を待つ。追いついてきた祖母に声を掛ける。
「やっぱり僕が持つよ」
「大丈夫だけえ。心配せんでええけえ」
「息切れてるじゃん。いいから貸して」
 半ば強引に荷物を受け取る。「すまんな」と言われ、祖母が妙に速くすたすたと歩き出していったのに合わせて悠基もついてゆく。
「ほんとに大丈夫なの? ちょっと休憩したほうがいいんじゃない」
「大丈夫だ。大丈夫だけえ」
 執拗に大丈夫、大丈夫と繰り返す祖母の姿は言葉こそ違うものの、思い出したくもない祖父の姿と重なっていることに悠基は気付く。祖父に見舞われた圧倒的な力が吹き荒れた様が蘇り、それが再び悠基と祖母に襲い掛かる錯覚を覚えた。
「大丈夫だ、ほんに」
 付け加えた祖母の言葉によってその白昼夢はほとんど掻き消えたが、言い換えればただそれだけだった。
 祖母は祖母なりに悠基に気を遣っているのかもしれなかった。恐らくは、それが全く逆の作用を悠基と自身にもたらすと知らずに。悠基もそれは同じだった。
 愛情の発露たる抱擁によって相手の体中の骨を砕いてしまったならば、それは悲劇か、果たして喜劇か。どちらにせよそういったことを考えうるとうことで二つは非常に似通ったものだと証明している。悲劇を喜劇に変えることは難くないはずだったが、今の悠基では力不足だった。
 墓地が見えてきた。田んぼに隣接する墓地はいま悠基が歩いている道と用水路として使われている小川によって隔てられている。
 ここに祖父が眠っている。墓参りは久しぶりで、墓がどこにあったかは覚えていなかった。歩きながら目を動かし探す。どの墓もおぼろげに記憶に残る墓とは一致しない。視線を少し落とした。
 瞬間、一番近くにあった墓が記憶のそれと重なり、悠基は体を思わず強張らせた。小川を飛び越えその墓石に回り込む。『大原家の墓』と書かれたそれは間違いなく祖母の墓だった。墓石の冷たさが秋風と共に悠基にびしびしと吹き付ける。「こんな近くに」と呻いた悠基はふと、また離れてしまっているのではないかと祖母を振り返った。
 祖母は悠基からそれほど離れてはいなかった。50メートルほど後をこちらに向かってきていた。祖母は走っていた。速度こそ悠基の普段の歩く速さよりも遅い程度だったが、両膝にそれぞれ手を当て腰の曲がっている状態でなんとか倒れまいと必死に足を動かす様はまさに全力疾走だった。そのどこか現実離れした光景と、それだけ離れていても耳を覆いたくなるほどはっきりと聞こえてくる荒い息遣いに気圧されていた悠基が我に帰り来るな、止まれと叫んだのと、それまでずっと下を向いていた走っていた祖母が顔を上げ、悠基と視線を合わせたのは同時だった。次に悠基が危ないと叫ぶよりも早く、祖母はそのまま倒れこんだ。道具を持つ手に知らず力が込められ、一拍置いて悠基は祖母に駆けた。うずくまったまま全身で大きく呼吸をしている祖母を持ち上げ起こす。手をつくのが間に合わなかったのか、眉間の下辺りを擦りむいて血が出ていた。
「大丈夫? 血が出てる」
 言いながら顔を覗き込む。こちらを見返すも息が整わず、なんとか首肯した祖母の顔を、正確には祖母の目をしばらく悠基は見つめていた。白内障を患い、白く濁った瞳は悠基を通り越し別の誰かを見ていた。
「すまんなあ、おばあさん、ちょっとここで休ませてえな。もうちょっとしたら始めるけえ」
 息も絶え絶えに祖母はそう言った。風が吹き抜けた。その風によって冷やされた体とは逆に自分のどこかが沸騰するのを悠基は感じた。
「帰ろう」
 強く主張する。祖母は何も言わない。
「こんなところにいちゃだめだ。帰ろう。僕が悪かったよ。だから今日はもう帰ろう」
「墓掃除は、どうするだあ」
「冗談じゃないよ。いいよ、そんなもん。帰ろう、お願いだから。こんなところにこれ以上いちゃだめだ」
 祖母の言葉に抑えられず声が上擦った。自分が何を言っているのかも分からずに、ただどこかから出てくる言葉を発するだけだった。
作品名:トランキライザ 作家名:受け渡し