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トランキライザ

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 祖母が手紙を出すような相手がいたとは知らなかったことに悠基は気付かされた。失恋の体験にも似たような、相手を独占することができないと知れたときの無力感だった。だから死んだのだ、と思うのは傲慢に過ぎるか。そのままよろよろと薬の小袋を引っ張り出し、量りに乗せる。針は二十グラムをほんの少し過ぎて止まった。祖母の命の重さを示しているような気がして大変なことをしてしまったのかもしれないとぼんやりと思う。たったこれだけで人がどうこうできるものでもない。既に辿った思考が蘇る。加えて、かけている眼鏡を外し量りに乗せる。針がぐんと回る。そこから薬を取り除くと、針は少し戻ったが、それでも薬よりははるかに重い。当たり前だと思った。量りの上には眼鏡がぽつんと取り残されている。
「お前も連れて行ってやろう」
眼鏡をを手に取り、かける。薬は再びポケットにしまい、父の部屋へ向かった。

 パソコンに向かってキーボードを叩く父に悠基は声を掛けた。祖母の処理に関する雑事に追われている父ではあったがそれでも聞いておかなければならないことがあった。
「おばあちゃんは今日薬を飲んでたのかな」
「昨日薬が丁度切れちゃっててな。飲んでないと思うけど、どうした」
 モニターに顔を向けたまま父が答え、悠基はそれに嘆息を返した。お互いにとことん不器用らしい。もしかしたら祖母もそうなのかもしれなかった。そうであれば救われるが。
「おばあちゃんを殺したのは僕なんだ」
 父が手を止め、ゆっくりと振り向く。顔をこちらに向けたものの何も言わない。先を促されていると理解して悠基は続けた。
「高校に入って勉強が難しくなって、家に帰っても遊んでばかりで。そんなときにおばあちゃんが部屋まで来て、『ゆうちゃんは頭がいい、頭がいい』って言うんだよ。全然違うのに。それが嫌だった」
 父はなおも口を開かない。
「その内におばあちゃんがボケ始めた。おじいちゃんを思い出した。ああやってもう動物みたいになって死んでいくんじゃないかって。おばあちゃんに何かをしてもらうばっかりで僕は何もしてあげられてないのに、何かしようと思っても何もできない僕の横で学校の成績以外に取り柄もないような奴らがでかい顔してる。許せなかった。あいつらがのうのうと生きて、なんでおばあちゃんが死ななきゃならないんだって。だから僕はこいつを使った」
 ずっと右拳に握り締めていた薬を差し出す。父がそれを取ると、憑き物が落ちたように体中が冷えていった。
「頭を下げろ」
 普段滅多に聞かない父の命令口調から父の怒りの度合いが知れた。面食らい、「下げろって」と促された悠基はまさか土下座しろという意味ではないだろうと思いながら深いお辞儀といった程度に頭を垂れた。そのまま時間が流れ、何もないことを不審に思った悠基が頭を上げようとしたところに父の縦に握った拳骨が振り下ろされた。殴られた旋毛の辺りから痺れが全身に伝わってゆく。全く痛くはなかったが涙が出た。
「父さんがなんで怒ってるかわかるか」
 そう言う父の声は予想外に穏やかで悠基は戸惑った。何も答えられず時間だけが過ぎてゆく。
「怒ってる理由はな、おばあちゃんを殺したからじゃない。そもそもおばあちゃんは殺されてない。事故だ。人間はみんないつか死ぬ。悠が責められるべきなのは、人のものを盗んだからだ」
「でも僕はおばあちゃんを殺した。僕自身が一番そう思っている」
 声が震え始める。父が腕を組み、しばらく考えるような素振りを見せ、語り始める。
「今お父さんが言えるのは、悠はお父さんの息子であり、おばあちゃんの孫だった。それが唯一の現実だ」
 父はさらに続ける。
「さっきおじいちゃんの話を出したな。悠はおじいちゃんにはあまりいい思い出がないのかもしれない。でもな、悠がまだ保育園ぐらいかな、まだこっちに越してないとき。そのぐらいのときにたまにこっちにお父さんが悠を連れて戻ってくると、おじいちゃんはもうメロメロだったよ。信じられないだろうけど」
 初めて聞く話だった。それまでにじわじわと滲んできた涙が一滴床に零れた。
「今の今まで、悠はこの事実を知らなかった。悠の中ではおじいちゃんは小さな頃の所謂トラウマのひとつだったかもしれない。でもこれで悠の言う『現実』も少し変わったんじゃないか」
 答えを促されるも、悠基は黙ったままだった。その黙っている間に体の熱が引き、徹底的に冷めた感覚が涙を流す自分自身を笑う。父はそれに気付かない。
「ついでに言うと、さっき『今日はおばあちゃん薬飲んでない』って言ったけど、あれも嘘なんだ。悠が薬を持ってたのも知ってた。わざと黙っていてどう出るか見てたんだけど、ちゃんと自分から謝ってくれたな」
 父の手が悠基の頭に伸び、荒々しく撫でる。その動きに対応するように再び涙としゃっくりが込み上げ始める。適わない、と思った。いくら父でもそんなはずはない。感情の波に徹底的に揺さぶられた悠基は最後に平坦な道の前に流される。曲がり角も何もないひたすら平らで真っ直ぐな道。後ろを振り返ればまだ元の場所へ引き返せないでもない。立ち止まりながら随分と大変なことになってしまったと他人事のように悠基は考えた。
 父が机にあったティッシュペーパーの箱ごと悠基に手渡した。悠基が眼鏡を取って目尻を拭い、洟をかみ終わってから父は再び話し始める。
「とにかく、この話はこれで終わりだ。もう終わったことをぐちぐち言ってても仕方ない。悠の人生がおばあちゃん一人に左右されるなんてことは有り得ないんだよ。もっと視野を広げてみてもいいんじゃないか。お父さんが言いたいのはそれだけ」
 そう言い終えると父はパソコンに向き直ってしまった。父の言葉を完全に取り込むまでにしばらく立ち尽くし、その後で手に握り締めたままだった眼鏡を父の横に置いた。振り向いた父に「寝るのか」と聞かれ、無言で頷き、悠基は部屋を出ていった。

 火葬場では長いこと会っていなかった親戚達に多く会った。祖母の兄弟や従兄弟などの親族、そして生前に親交のあったらしい友人知人。多くは顔も知らないような人間ばかりだったが、祖母の死を悼む人間が父と悠基の二人きりでないことを改めて思い知らされた。
 ここで初めて悠基は祖母の死体を見た。棺の中に横たわったそれはもはや祖母ではなく、よく似た人形というほうがしっくりくるような状態だった。鼻に詰められた真綿がそれが死体であることを示していた。今持ち上げたら、あのときそうしたよりももっと軽いかもしれない。もう体の中には何もない。これ以上眺めていても何かが起こるわけでもないと悠基は棺から離れた。
 何か棺に入れたいものは、と係員が父に尋ねる。父は特にないと答え、「何かあるか」と悠基に聞いた。悠基はいつものように薬を取り出した。一粒ずつゆっくりと手のひらに押し出してゆく。全部出し終え、全てを棺の中に入れた。係員が不思議そうな顔をしていることは気にかけず、眼鏡を取って尋ねる。
「これは入れられますか」
「申し訳ありませんが、不燃物は」
「そうですか」
 一世一代の訴えはあっさりと拒否されてしまった。思わず乾いた笑い声が出てしまい、咳払いをして取り繕う。祖母もこうして死んだのだろう。
作品名:トランキライザ 作家名:受け渡し