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私の読む「宇津保物語」第三巻 藤原の君ー2

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(貴女の心はいつも夏の衣のように薄く、つれなく見えますが、私が貴女を思う心はいよいよ深く、それを分かって頂けないので、この頃は涙に明け暮れています)

 愛のないお心、詮索します。

 なんて言うが返事がない。

 新しく登場したあて宮懸想人、仁寿殿女御の三番目の親王で、あて宮の甥。仁寿殿女御は一宮の長女であるからあて宮とは二十ほど年が違う、だからこの甥とは、年が違わない。
 この甥っ子、妻が無くて、あて宮を妻にと思うがきっかけが無くて、文を送ることが出来なかったが、他の者から来た文にあて宮が時々返事をしているのを聞いて、
このような身内でない者に返事を出すぐらいなら、側に居る自分は遠慮をすることもないことでした、

 音にのみきこゆる風に吹きたつる
雲のあたりになにかすみけむ
(風評ばかり渦巻く雲のあたりにどうして私は住んでいたのでしょう。かえって離れていたら、ご返事も頂いていたでしょうに)

 残念です。

 と言ってみたが返事はなかった。

 また、亡くなった良峯の一人っ子が、殿上童として蔵人所に出仕して、歳は十歳ほどである。花園という名前であった。容姿が綺麗で、利口者である。

帝は「将来性がある子供だ」と見ていたが、父親とともに筑紫に下った。父親は唐船の検査役として太宰府に赴いた。

 唐人が、父良峯とともに赴いた花園を見て、

「我が国の秀でた子供に劣らない子供ですね」

 花園を拉致して唐国へ帰っていった。

 拉致された花園は父母が恋いしくて、死んだことも知らないで唐国で、一心に本を読み、賢人のすることすべてを学び取った。

 琴から初めて、あらゆる楽器を良く演奏してなかなかの演奏者になった。十歳で唐国に来て、八年目に交易船で日本に帰った。

 帝が花園が帰国したことを聞いてお召しになり、

「拉致された子供がよく帰国してきた」

 花園を御覧になると、殿上童で出仕していたときよりも容姿が端麗になったと見えた。さらによく学問をしたのか賢くなり、何ごとにも精通している。帝は、

「殿上童で前は出仕していたな。これからは管弦の師として仕えよ。そなたの演奏を聴こう」

 と、花園を式部丞を兼ねた蔵人にされた。

 花園はしばらくして元服をして行正となり、五位に叙せられ、兵衛の佐(次官)となった。

 東宮御殿にも昇殿を許されて琵琶のご指導をする。若宮にも箏の琴を教える。

 そうして行正は良くできる時の人となって、夜となく昼となく帝の前、東宮の御殿に侍して、決めた女もなかった。

 恋をしてはならない、たとえばあて宮のような女に文を送ってはいたが、戯れ心で言い寄る者には目も向けない、身分の高い人が娘を貰ってくれと言っても応じない。

 行正(花園)の同僚同じ兵衛の佐である大臣正頼の五男頼純と仲良く楽しそうに話をしているのを、正頼が見て、

「ここにはこのように若い男どもが数多く侍している、それぞれ里を持っていて非番にはそこへ帰る。

 行正は決まった里が未だに無いのであるから、仲の良い頼純の里を里となされなさい。そうして一の宮の十一郎君の師匠となって下さい。あこ宮を貴方の手で学芸の達人にして下さい」

 と、言われて行正は大変に嬉しくて頼純の住むところに、自分の曹司を造作して、非番の折りはそこを動かなかった。


 年が変わって三月頃に、正頼屋敷の母屋の庭先の花の盛りに、花の宴の宴を催されたのに、行正歌を詠み管弦の演奏もして人よりも秀でていたので、女君の御衣一揃いが褒美として与えられたことにも、あて宮をと思う気持ちはあったが、その日には言わずに、宮あこ君に、

「実は、あこ君に聞かせたいことがある。他人には言うなよ。行正を信用なさるか」

 あこ君、

「どうぞ仰って下さい。人には言いません」

 行正

 よもの海に玉藻被きしあましもぞ
荒れたる浪の中も分けける
(四方の海で藻を採った経験のある「海人」だからこそ荒れた海の中も分けて入るのです)

 分不相応な気になったものでございます。

 と書いて、さらに宮あこ君に、

「これを中の大殿の姫君に差し上げて返事を貰ってきてください。お返事が頂けなかったら、これからお勉強は教えいたしません、」

 宮あこ君は言われたとおりに行正の文をあて宮に渡した。

「誰からの文であるか」

「私に学問を教えていただいている方からです」

「あきれたこと」

 あて宮は宮あこ君が持ってきた行正の文を見ようともしない。

「どうぞ御覧になって、ご返事を書いて下さい」
「どうかお願いします」

 宮あこ君は泣いて駄々をこねる。あて宮は、

「このような者に返事などを書くものではありませんよ、『見せたら、目の覚めるような思いがするほど、心外である』と言いなさい」

「そんなことをお伝えしたら、私はもう学問を教えてもらえません」
 宮あこ君さらにひどく泣く。

 あて宮の下の十姫の今宮が、

「幼い娘に恋文を持たせて、世の習いを教えることもせず、ただその返事を貰ってこいと強要するとは、常識のある大人のすることですか。強引な方ですね。幼い娘を使えば見ないとは外聞も悪から、見るだろうと思って」


絵解 
 この画面は正頼の御殿で、あて宮が住む中の大殿を中心にして、いくつかの出来事を別々に描かれ ている。
簀の子に、侍従仲純が横になっている。女房達が御簾の中に居並んで話をしている。侍従は松の枝 を持っている。
宮あこ君があて宮に文を渡して、足摺をして泣きわめいている。
あて宮と今宮が兵衛女房を交えて、返事の相談をしている。
三の御子祐純が琵琶を弾きながらあて宮に何か言っている。


 次にあて宮に懸想する人物が現れる。
 
 太宰の帥滋野眞菅(しげのますげ)と言う宰相は歳が六十になる。都に帰任の途中で妻が亡くなる。子供があるがもう大人である。

 妻を失い寡夫となった眞菅は都に戻ると、あて宮の評判を聞いて、この女を後添えにと思う。
 

 あて宮に文を送る機会、良い折が無いのを、あて宮の付近に住む女が、滋野眞菅があて宮のことを探っていることを聞いて、

「正頼大将には姫君が沢山おられます。みなさん婿を迎えられて、現在はお一人だけが残っておられます」

「其れは結構なことだ。正頼殿にお願いしてみましょう」

 東宮坊の舎人から武芸に長じた者を選抜して、兵仗を帯して東宮を警護する役を、坊の帯刀(たちはぎ)という。滋野眞菅の息子がその帯刀(たちはぎ)として東宮坊で働いている。父の言葉に、

「あのあて宮は、東宮も盛んにお召ししようとなさったり、上達部、皇室の子供達が多く文を差し上げたが、ただいまは、あて宮をどうなさるのか正頼様は決めかねておいでです。いずれ兄の少将和正が詳しいお話をするでしょう」

「あの正頼大臣は、財は持つものでは無いという考えの人だ。だから蓄えをしないのだ。眞菅の荘園から物を送らせ、仲人には脇差(絹一巻)を渡して先方に話を持っていって貰おう。多くの財を使って成功しないこともあるから」

 あて宮を知る女は、