私の読む「宇津保物語」第三巻 藤原の君ー2
帝は大臣の職を停止して、美濃の国を与えられた。
絵解
ここは高基の七条の屋敷。四面に倉を建ててある。
母屋となる寝殿は端の方が痛んで崩れ、小さな萱葺きの家、編んだ垂れ蔀一間が開いて、葦簾が掛けられている。
高基の居るところに、九つの席が作られている。
衝立の障子をおいて、太い縄を差し渡して、布の着物を掛けてある。高基の枕は削りもしない材木の切れ端。
高基の食事、三脚の膳に、裏の黒いお椀、麦飯。おかずがない。
ここは、寝殿の北にある御厨子所(台所)。老婆がただ一人水を汲んでいる。女童が盛りつけをしている。
第三の画面は、長屋で、女が居て物を売る。
第四の画面は、侍達が畑作業をしている。高基 が袴の裾を紐で括り、薄板の下駄を履いて、草刈り用の道具を持って布の庶民の着物を着ている。
画面は長屋の店に戻り、車に魚、塩を積んで持 ってきて、数を読んで棚に陳列している。
そうして暮らすうちに、この偽あて宮である高基の母親のことを誰も噂に流すこともなく、高基もその一人で、このような生活をどのように母は思っているのだろう、と何か言われてくるだろうと思いながらも、
「正頼殿が自分のことを聞かれて、こんな粗末な暮らしをしていると、思われることであろう」
と高基は想像して、大内裏のある四条にある大きな御殿を購入して、金に糸目を付けないで大改造をした。
家の中の調度類は、世の中の最高の物を取り入れて、身分の高い人の娘を金に飽かして着飾り綾織りの襲を着せ、自分や召使いも綾、手織でない贅沢な物を着用して、錫の食台、金属の椀を使って食事をした。
このように準備をして、あて宮の側につかえる宮内の君と言うのを呼んで、
「恐縮ですが、あて宮に長年申し上げられなかった、北方としておいで願いたいと。妻もなくこのように一人で居ます。お出で願えませんでしょうか。あて宮そのまま身一つでお出でください、お付きの方々にご不満はおかけいたしません。大臣を辞して毎日なにもしないで過ごしていますが、この家に無い物はありません。勢いのある上達部でも、このような暮らしはしていない」
あて宮に仕える宮内の君は高基に
「本当にお一人でおいでですから、主人正頼には大勢の姫様がいらっしゃいます。仰るとおりに北方に成られると良いと思うのですが、立派に成長なされて北方に成られるような方は、まだ、いらっしゃいません。九番目の姫あて宮は、殿方大勢がお申し込みに成られますが、ご両親がお嫁に出そうという気になられないのですが、あなた様のお気持ちはお伝えいたしましょう」
と、言ってご返事を書くように言いましょう、と帰っていった。
高基大臣は、
「ご厚意に感謝して、事の成就二つが嬉しい」
と言って、大きな衣装箱二つに、美しい絹物、扱いやすい真綿を入れて、
「これは、戴いた我が領地の産物です。以前に勤めました国の物も沢山所持しています」
と言って渡した。
絵解
ここは四条にたてた高基の屋敷。寝殿に対屋が四棟、渡殿がある。寝殿には几帳をたててある。
持ち歩きの出来る蒔絵の厨子、綾の屏風、座布団、綿の入った敷物。
新入りの大人と童が、装束を着て並ぶ。
食事を差し上げる。四つの膳、裳、唐衣着た人が給仕をする。
上袴に袙姿の童が来る。宮内の君に折り敷きに物載せて持ってくる。
箱に物を入れて横に置く。
こうして四月になる。あて宮の兄仲純はなおも妹に心を寄せて、どうであろうかとあて宮に懸想する多くの者に遠慮をしているが、忘れられない。
しほの海も身につゝまるゝ物ならば
かひなきまでも知らせざらまし
(潮の満干のたえない海を身のうちに包んでしまえるならば、不可能だとわかっていてもこの心をお知らせしないでしょうに)
貴女への思慕を断念出来るのでしたら、こんな事を申し上げる筈もありません。
と、あて宮に送った。答えはなかった。その夜は寝殿外側の板の間に寝て、女房達に話しかけなどをして、
「気味の悪い夜明けである」
というと、時鳥が沢山鳴き出す、少納言女房が、
「このような歌があります、
『夏の夜のふすかとすれば時鳥なく一声にあくるしののめ』(夏の夜の横になったかと思うのもつかの間、時鳥の鳴く鋭い一声に、ほのかに白んできたこの明け方よ)(古今集156)」
侍従の君が
ひと聲に明くなる物を郭公
こゝらなく音に暗きしのゝめ
(時鳥のたった一声で貴女の仰るとおり夜が明けるのに、度々鳴いても東雲が明るくならないのはどうしたことでしょう)
少納言の君
郭公旅寝する夜のしのゝめは
明けまく惜しき物にこぞ有りける
(郭公のおかげで、旅寝をした夜は東雲の明るくなることが惜しまれるものです)
早朝、蜘蛛の巣がかかった松が露に濡れているのをとって、あて宮がお寝になる姿を見て、申し上げる。
さゝがにのいかでね松に白露の
おきゐながらも明かしつる哉
(お寝みになられたとも知らずにお待ちしてとうとう夜が明けてしまいました)
あて宮は心安らかにお休みになってなんと羨ましいことでしょう
お聞きにならない様子でなにも戴かなかった。
例の宰相実忠は志賀山寺にお詣りになって、言う
毎日参籠しています。
うき事を思ひいるとはなけれども
深き山邊をいくらみつらん
(世間を辛いと思い詰めて参籠したわけではありませんが、深い山に入ってずいぶん苦しい経験をしました)
と詠うと、あて宮は、
幾かへりかずおく露の時のまに
つもれる山と見えば頼まむ
(何回も何回もおく露が一寸の間に山と見える程になったら真実な人として信頼しましょう)
また、兵部卿宮よりこのように
度々申し上げてもお返事が無くて、頼りなく不安でございますが、心に込めて偲んでいてもどうせ知れてしまうと言います。あなたがこんなでいらっしゃるのはどういうわけなのか承る方法も有ろうかと思いまして、
瀧つ瀬も泡になりぬるいとひがは
結べる人のあれば成りけり
(瀧つ瀬のような激しい情熱も、いとい川に対しては水の泡でした。あなたには契りを結んだ方がおありだからでしょう)
あて宮
いとひがは結びも知らぬ心には
あわならぬともあらじとぞ思ふ
(いとい川は結ぶという事さえ知らないのですから、たとえ泡であってもなくても、あなたにとってお役には立たないと思います)
こうして申し上げることをご信じください。
と言う返事をする。宰相実忠から、
みごもりて思ひしよりも池水の
いひてののちぞ苦しかりける
(胸に秘めて思っていたときよりも打ち明けてしまった後の方が苦しゅうございます)
思うことを申し上げる人にはご返事があるでしょうものを私には一向に下さらないもので。
とあったのだが返事はなし、平中納言から、
夏衣うすくはいつもみゆれども
涙もりそふ比にもある哉
絵解
ここは高基の七条の屋敷。四面に倉を建ててある。
母屋となる寝殿は端の方が痛んで崩れ、小さな萱葺きの家、編んだ垂れ蔀一間が開いて、葦簾が掛けられている。
高基の居るところに、九つの席が作られている。
衝立の障子をおいて、太い縄を差し渡して、布の着物を掛けてある。高基の枕は削りもしない材木の切れ端。
高基の食事、三脚の膳に、裏の黒いお椀、麦飯。おかずがない。
ここは、寝殿の北にある御厨子所(台所)。老婆がただ一人水を汲んでいる。女童が盛りつけをしている。
第三の画面は、長屋で、女が居て物を売る。
第四の画面は、侍達が畑作業をしている。高基 が袴の裾を紐で括り、薄板の下駄を履いて、草刈り用の道具を持って布の庶民の着物を着ている。
画面は長屋の店に戻り、車に魚、塩を積んで持 ってきて、数を読んで棚に陳列している。
そうして暮らすうちに、この偽あて宮である高基の母親のことを誰も噂に流すこともなく、高基もその一人で、このような生活をどのように母は思っているのだろう、と何か言われてくるだろうと思いながらも、
「正頼殿が自分のことを聞かれて、こんな粗末な暮らしをしていると、思われることであろう」
と高基は想像して、大内裏のある四条にある大きな御殿を購入して、金に糸目を付けないで大改造をした。
家の中の調度類は、世の中の最高の物を取り入れて、身分の高い人の娘を金に飽かして着飾り綾織りの襲を着せ、自分や召使いも綾、手織でない贅沢な物を着用して、錫の食台、金属の椀を使って食事をした。
このように準備をして、あて宮の側につかえる宮内の君と言うのを呼んで、
「恐縮ですが、あて宮に長年申し上げられなかった、北方としておいで願いたいと。妻もなくこのように一人で居ます。お出で願えませんでしょうか。あて宮そのまま身一つでお出でください、お付きの方々にご不満はおかけいたしません。大臣を辞して毎日なにもしないで過ごしていますが、この家に無い物はありません。勢いのある上達部でも、このような暮らしはしていない」
あて宮に仕える宮内の君は高基に
「本当にお一人でおいでですから、主人正頼には大勢の姫様がいらっしゃいます。仰るとおりに北方に成られると良いと思うのですが、立派に成長なされて北方に成られるような方は、まだ、いらっしゃいません。九番目の姫あて宮は、殿方大勢がお申し込みに成られますが、ご両親がお嫁に出そうという気になられないのですが、あなた様のお気持ちはお伝えいたしましょう」
と、言ってご返事を書くように言いましょう、と帰っていった。
高基大臣は、
「ご厚意に感謝して、事の成就二つが嬉しい」
と言って、大きな衣装箱二つに、美しい絹物、扱いやすい真綿を入れて、
「これは、戴いた我が領地の産物です。以前に勤めました国の物も沢山所持しています」
と言って渡した。
絵解
ここは四条にたてた高基の屋敷。寝殿に対屋が四棟、渡殿がある。寝殿には几帳をたててある。
持ち歩きの出来る蒔絵の厨子、綾の屏風、座布団、綿の入った敷物。
新入りの大人と童が、装束を着て並ぶ。
食事を差し上げる。四つの膳、裳、唐衣着た人が給仕をする。
上袴に袙姿の童が来る。宮内の君に折り敷きに物載せて持ってくる。
箱に物を入れて横に置く。
こうして四月になる。あて宮の兄仲純はなおも妹に心を寄せて、どうであろうかとあて宮に懸想する多くの者に遠慮をしているが、忘れられない。
しほの海も身につゝまるゝ物ならば
かひなきまでも知らせざらまし
(潮の満干のたえない海を身のうちに包んでしまえるならば、不可能だとわかっていてもこの心をお知らせしないでしょうに)
貴女への思慕を断念出来るのでしたら、こんな事を申し上げる筈もありません。
と、あて宮に送った。答えはなかった。その夜は寝殿外側の板の間に寝て、女房達に話しかけなどをして、
「気味の悪い夜明けである」
というと、時鳥が沢山鳴き出す、少納言女房が、
「このような歌があります、
『夏の夜のふすかとすれば時鳥なく一声にあくるしののめ』(夏の夜の横になったかと思うのもつかの間、時鳥の鳴く鋭い一声に、ほのかに白んできたこの明け方よ)(古今集156)」
侍従の君が
ひと聲に明くなる物を郭公
こゝらなく音に暗きしのゝめ
(時鳥のたった一声で貴女の仰るとおり夜が明けるのに、度々鳴いても東雲が明るくならないのはどうしたことでしょう)
少納言の君
郭公旅寝する夜のしのゝめは
明けまく惜しき物にこぞ有りける
(郭公のおかげで、旅寝をした夜は東雲の明るくなることが惜しまれるものです)
早朝、蜘蛛の巣がかかった松が露に濡れているのをとって、あて宮がお寝になる姿を見て、申し上げる。
さゝがにのいかでね松に白露の
おきゐながらも明かしつる哉
(お寝みになられたとも知らずにお待ちしてとうとう夜が明けてしまいました)
あて宮は心安らかにお休みになってなんと羨ましいことでしょう
お聞きにならない様子でなにも戴かなかった。
例の宰相実忠は志賀山寺にお詣りになって、言う
毎日参籠しています。
うき事を思ひいるとはなけれども
深き山邊をいくらみつらん
(世間を辛いと思い詰めて参籠したわけではありませんが、深い山に入ってずいぶん苦しい経験をしました)
と詠うと、あて宮は、
幾かへりかずおく露の時のまに
つもれる山と見えば頼まむ
(何回も何回もおく露が一寸の間に山と見える程になったら真実な人として信頼しましょう)
また、兵部卿宮よりこのように
度々申し上げてもお返事が無くて、頼りなく不安でございますが、心に込めて偲んでいてもどうせ知れてしまうと言います。あなたがこんなでいらっしゃるのはどういうわけなのか承る方法も有ろうかと思いまして、
瀧つ瀬も泡になりぬるいとひがは
結べる人のあれば成りけり
(瀧つ瀬のような激しい情熱も、いとい川に対しては水の泡でした。あなたには契りを結んだ方がおありだからでしょう)
あて宮
いとひがは結びも知らぬ心には
あわならぬともあらじとぞ思ふ
(いとい川は結ぶという事さえ知らないのですから、たとえ泡であってもなくても、あなたにとってお役には立たないと思います)
こうして申し上げることをご信じください。
と言う返事をする。宰相実忠から、
みごもりて思ひしよりも池水の
いひてののちぞ苦しかりける
(胸に秘めて思っていたときよりも打ち明けてしまった後の方が苦しゅうございます)
思うことを申し上げる人にはご返事があるでしょうものを私には一向に下さらないもので。
とあったのだが返事はなし、平中納言から、
夏衣うすくはいつもみゆれども
涙もりそふ比にもある哉
作品名:私の読む「宇津保物語」第三巻 藤原の君ー2 作家名:陽高慈雨