私の読む「宇津保物語」第三巻 藤原の君
この仲純侍従は不思議な人で、多くの人から婿に望まれているにもかかわらず、耳を傾けることなく、同じ母親を持つあて宮に、懸想をする。実の妹に懸想するとはとんでもないことであるのに、琴を習うついでに楽器の合奏をしたりして、あて宮の所にばかり常に居られた。
さらに、歳をとった親王で上野国守であった上野の宮が、事もあろうに六番目にあて宮に懸想をする。
この宮は物事を素直に受け取らずにひがんで考える資質であるので、世に栄えて権勢ある上達部や御子(皇子)たちが正頼の婿になるのを見て
「正頼は今にこの私を、あの様に婿にするだろう」
妻を離婚して、
「今、左大将正頼の家に行って、婿として住むようになれば、妻がいてはあて宮から疎んぜられるだろう」
と言って待ち望んでおられるが、正頼の娘達は成長して次々に他の人の妻となってしまった。
上野の宮は、
「今まではそうであったかもしれないが、自分を皇子の中に入れないことはない」
と、思っているうちに八姫のちご宮が成長なされたと聞いて、
「この娘だ」
と待っていると、
「左衛門督の嫁になられた」
と言うのを聞いて、
「おかしな事よ、この正頼は、自分の希望することまだしない」
何回も消息文を送るが、正頼の御殿内では、上野の宮を馬鹿にして大笑いしていて返事はなかった。
「多分九姫あて宮であろう。九姫を改めて頂きたいと言おう」
あて宮に文を送った。しかしあて宮は変なのと言って見もしなかった。
宮は世間中に騒ぎ立てて陰陽師(おんみょうじ)・覡(かんなぎ)(男の神おろし)・博徒・京童部(京の町にいる無頼の若者)・媼・翁・を集めて、
「我はこの世に産まれてから、妻とする女を、この国の津々浦々、唐土(もろこし)・新羅・高麗・天竺(インド)まで探し求めたが、妻とするにふさわしい女は居なかった。
この左大将源正頼の娘十何人かを頼りにしているのだ。その中の一人を正頼は帝の女御にと差し上げた。そうして次々に嫁がせた。残されたこの九姫は、世界中の評判を聞いたところ、九姫、あて宮ほど美しい女は聞いたことがない。
この女こそが自分が求めていた女である。
ところが父親の正頼に頼み、あて宮に申し入れるが、どちらからも未だに回答が得られない。
どの神仏に大願をかけてどういう謀を考えれば女が自分に靡くであろうか」
と相談をかけたときに、比叡山の東塔の本院である惣持院に宮中の道場に勤める十人の禅師の一人がいて、
「あて宮を獲得する方法は、比叡の根本中堂に常灯を献納しなさい。また、奈良や長谷の観音が人の願い事をよくお聞きになる。
また、大和の国吉野川上流竜門岳の竜門寺・比叡山東麓の日枝社、壺坂寺・東大寺このような全ての仏と申す物に、さらに、人が土をこねて丸め、仏である、というもの、御灯明を捧げ、神というならば、インドであれ御幣を捧げなさい。
百万の神・七万三千の仏に御灯明料を、御幣を捧げなさい。されば、仏は仏で、神は神で、貴方にお力添えをしてくださるでしょう。天女も舞い降りてこられる。
まして現世の人は、国王・高貴な人といえども、貴方の願いを聞き入れなされないはずはない。
また、山々に、寺寺に修行をする者に布施を与えなさい」
上野宮は、
「ありがたいお言葉、御灯明料はいかほどいたしましょう」
「一寺に、一合の米を差し上げる。比叡の山の寺四十九寺に一月一石四斗七升である。
大小の寺は皆な同じである。それぞれに灯明の油を毎日一合ずつ寄進なされば大変な出費と思いなされましょうが、仏に物を奉れば無駄にはならない。功徳がある。
来世未来の功徳である」
宮は大いに喜んで、七回立ち伏して拝む。
「分かりました、全てを仰るとおりにいたしましょう、成就すれば、貴方のお徳の成果で御座います」
大徳は、
「ご心配には及びません。貴方のあて宮への志は深いようですね。その志叶うように致しましょう。
もしも、この世で夫婦になる縁が無いのであれば、少し気づかわしい事であります。男女の仲は昔の縁が、そのまま現世にありますから」
「そうでありましても、大徳の君、あて宮を妻に成し遂げください」
と、上野の宮は、言われた御灯明料、御幣料全てを、大徳に与えられた。
また、官位にもつけないような年寄りのえせ大学が言うように、
「哀れな事よ、漢書にも言っているではないか、
『得難き女を得ようとする方法は、世に夫婦離散、家の竈を失い、頼りない人は道を誤る。、人は考えて、大学に及第して学問料をいただき順序を乱さないで進んでいくものである。そうであるが、知恵のある者は、落ちぶれて、才のない者は上へと進む。そのような不満のある者を無いようにするならば、嘆き悲しむことはなくなる』
と、あります。本当にそうですね」
上野宮、
「本当にそうあるべきである。大勢の人を喜ばせれば、自分のただ一つの喜び、あて宮を得ること、が可能となる」
隠れた才能のある人を官に申し上げて、博士達に話してその向き向きに登用して貰い、食べ物を切らしている人には、銭、絹、米を車に積んで運んで与え、官位を得なかった者には官位を与えるようにして、自分の領地を与える。
都をさまよう無頼の者達のことを、
「コレは見逃しておいてやろう。私の仲間が都の東西併せて六百人ほど、別に博打が同じ数ほど居る。それ等をかり集めて戦うと危ないことなく勝ちますよ。
博打どもなどはいるものではないぞ、と言う人たちか。
正頼の御殿は四方に門を建てて、魚の鱗のように棟を並べた大殿に庭木のように上達部、御子達住まわれるところには、天下の荒々しい侍が向かっていっても勝ことは出来まい」
さて、このように致しましょう。
「『この東山にある道隆寺の塔供養の法要をする』
という評判を言いふらして。町ごとに事務所を作り、集まって下準備の稽古を華々しく行い、また、
『これほどの催しを見物することは他にないでしょう』
と触れて回る。正頼一家は賑やかなことが好きである。出かけてこられるであろう。そこをみんなであて宮を奪うのよ」
上野宮
「面白いことを考えるお前達だな。そうだ、あて宮を奪うにはその方法がよい。お前達で出来ることは、
『道隆寺の塔供養に勝るものはない』
よし、評判を広げろよ」
内々の練習をする人達の費用と、銭や米を車に積んで運んだ。
絵解
ここは上野宮の御殿。大殿四、板屋十、倉があ り池広くて築山は高く造られてある。
ここは、寝殿、宮が居られる。男が十人あまり。松原、植木、前栽がある。
ここは、童部(わらわべ)博打が集まって、食 事をしている。倉を開けて家の郎党がある限りの収蔵物を運び出して、この博徒達に呉れてやっている。
このことを正頼大将が聞いて、大笑いされる。
「この俺を愚鈍な者と思い計画を練ったのか。どうしてその手に乗る者か」
太宰権師滋野真菅の長男和正の少将に、
作品名:私の読む「宇津保物語」第三巻 藤原の君 作家名:陽高慈雨