私の読む「宇津保物語」第三巻 藤原の君
「あなたが、性格が悪いなどということではなくて、あて宮はどうお考えになっておられるのか、あのまま、夫をとらずにいこうとお考えなのでしょう。あなたは、次々と成長なさる、妹君たちをお待ちなさい」
兵衛の女房が言うように、あて宮は一宮の九姫、十四姫まで五人の姫が居た。
そうして、兼雅右大将から中将祐純に、
この頃、正頼殿にお会いしょうと思うのですが物忌みが多くて困っています。今日は春日社に詣でます。あのお願いしたことは、まだあて宮には伝えておられないのではありませんか。最近なんか心の底でおかしな感じがいたします。
あやしくも濡れまさるかな春日野の
み笠の山はさして行けども
(春日野の三笠の山に笠を差して行くのに、どうしたことでしょう、袖は後から後から濡れるのです)
行くのですが行き着けません。
と書いた文を送った。中将は宮の三男、あて宮の兄である、宮に会いに行く。
「大将殿からこの通りの文を預かった。見なさい」
「どうして兄様の許にある文を、私が見なければいけないの」
聞き入れないので中将祐純は、
きですね」
久しくお伺い申し上げず恐縮申し上げていますところへ、頂戴しました御文を拝見しまして、お申し出の者に見せましたところ、本人は見ようともいたしませんので、春日に
めにちかくをりて祈れど春日野の
もりの榊は色もかはらず
(貴方の願いを叶えたいと本人に頼むのですが、相変わらず承知いたしません。榊を折って春日社に祈るが、折っても色が変わらない、折っても甲斐がない)
甲斐無いことです
と、兼雅に送った。
例の実忠宰相は、庭園の池の島の砂浜にかたどった砂浜に千鳥が降りて遊ぶのを見て、次のように
うらせばみ跡かはしまの濱千鳥
ふみやかへすとたづねてぞかく
苦しくても精一杯の努力です
と、宮に贈った。あて宮は見て
「おかしな方、いつも私が困るような物をお見せになりますね」
兵衛女房
「いつも、知らない人のように仰いますね」
「なんとでもおっしゃい」
と言って書く、
濱千鳥ふみこし浦にすもりごの
かへらぬ跡はたづねざらなん
(浜千鳥が帰らぬすもりごのいる浦に来られも帰らないのですから、もうお訪ねなさいますな)
と、兵衛の言葉として伝えた方が良いですよ」
とあて宮は言う。
「兵衛の名も、立派になりました」
と、実忠に言って兵衛は、
「私にくださった物ですと言ったので、宮はお書きになった」
「うれしいことをあて宮は仰る。では私の気持ちを受け取られたのですね」
また、平中納言から、
やっとの思いで書き上げた文には、返事がいただけなくて不安でありますが、懲りずに、
山深み物思ふ沼の水おほみ
八重の岩がき越ゆるころかな
(山は深く物思う沼の水は多いので、八重にもなっている厳重な岩垣も崩れる頃ではないでしょうか)
宮のお心がはっきりと読めません
お返事はない。
また新たな挑戦者が現れる。兵部卿の宮から
懸想人が沢山おありで、一つもお返事なさらないと聞いています、それもしょうがないことです。だからと言って、私は断念はいたしません。愛想程度にも、ご返事いただけない、私はそんなのに慣れていません。
「脅してこられた、おかしい方」
あて宮からの返事は全くなし。
実忠宰相
強いて申し上げたのでお気に障られたのかもと思いますが、このようなことであればもう文は差し上げません
死ぬといはばためしにもせむ物をのみ
思ふ命は君がまに/\
(死ぬと言ったら世の中の人は物笑いにするでしょう。貴女を思い続けている私の命は御意のままですから)
私の大事な君よ、右のことは後々の試練だとしても、今日のお返事は露の一滴ばかりでもお見せください。
と書いてあるので、あて宮直属の女房兵衛は
「今度ばかりはお返事をお書きください。人の気持ちを察しない女のように思われます。この兵衛のことをあて宮さまがお聞きになったとしてお考えくださいませ」
「そうであるならば、兵衛の言う通りになれば、けしからん者となる」
と言うが、書かれる。
苔生ふる岩に千代ふるいのちをば
黄色なる泉の水ぞ知るらん
(死ぬと仰るけれども、苔が生えて寿命の長い岩の上に何万年も生きる貴方の命は、黄泉の水がよく知っているでしょう)
貰った宰相は天に昇る喜びであった。
また、兵部卿の宮が二度目の登場。
大変気丈な態度でありますな。私は貴女とは深い血縁ではありませんか、疎略に扱わないでいただきたい。姉様の一の宮(正頼妻)にもお恨み申したいものだ。
我袖は宿かるむしもなかりしを
あやし胡蝶のかよはざるらん
(私の所には宿る虫もいないのにどうして、胡蝶はここに通わないのでしょう。不思議です)
とおくるが、返事は無し。
月が綺麗な夜に、源宰相実忠が、中の屋敷に立ち寄って、
「兵衛の君、外にお出でください。月が大変に綺麗ですよ」
と声をかけて、前栽の花々が今盛りであるのを、色々な花を見て回って、
花ざかりにほひこぼるゝ木がくれも
なほ鶯はなく/\ぞみる
(花盛りで花の香りもこぼれるような美しい木陰にも心慰まず、鶯は泣く泣く眺めています)
などと詠って、松の木の下で、
岩のうへにしひて生ひそふ松のねの
誰聞けとてかひゞきますらん
(岩の上に嫌われながら生い育つ松は、誰に聞けと言って松風の響きをますのでしょう)
と詠われたときに、あて宮への事を知るみんなが聞いて哀れに思った。
木工の君という女房は物慣れた人で、
「この歌を聴いて知らない振りをする女は、大変に情けのない女である」
あて宮はじめ姉妹達に、
「返歌だけは、なさいませ」
と申し上げると、あて宮のすぐ上の八姫ちご宮は、前にある箏の琴を演奏なさった。
ひゞくともねには聞えで末の松
こよひも越ゆる浪ぞしらるゝ
(響きはいたしますが、あなたの仰るようには聞こえないで、末の松山を今夜も越える浪の音で御座います)
また、宰相実忠
なみだ川渚の水にまさるらん
すゑより瀧の聲も淀まぬ
(涙川は私の涙で出来た川。悲しみ悩む涙はあとからあとから溢れて、水がかさむばかりですから、滝は音が絶えないように、私もあかず恋の歌を詠むでしょう)
また、このようにして、夕暮れに雨が降り出した頃、寝殿前の池の中島に鳰(にほ)(かいつむり)、という鳥が、がすごい声で啼いたのを聞いて、侍従仲純があて宮のところにいて、
池水に玉藻しづむは鳰どりの
思ひあまれるなみだなりけり
(池水の藻が沈むのは鳰鳥が思いあまって泣く涙で水が増すからですよ)
あて宮はこの歌に同感ですか。
と言ってこられたので、おかしなことを言われると、あて宮は返事をしなかった。
作品名:私の読む「宇津保物語」第三巻 藤原の君 作家名:陽高慈雨