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知らぬが仏・言わぬが花

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 修二は、こんな美和子を見たのは初めてだったので、空恐ろしくなった。 
「その気になった私が悪いけど、オマエはもっと悪いよ! サイテーの男だよ。私も近いうちに店やめるよ。おなか大きくなったら、仕事にならないじゃない。それまではオマエと顔あわせるけど、前以上に優しくしろよ。でないと、私を孕ませたと言い触らすからね。わかった?」
「わかりました。…そうします」
 修二は素直に聞き入れた。

 美和子がアパートに戻ると、芳樹から電話が来たという鈴木からのメモがドアに挟まっていた。
 翌日は店が休みだったので、昼まで寝ていた。といっても涙が涸れるまで泣き続け、眠ったのは朝方の四時過ぎだった。
 店は今月いっぱいで退職して、北海道の実家に帰ることにした。家出同然で東京に出て来て
、ましてやシングルマザーになって戻るのだから、親は簡単には許してくれないだろうけれど、とにかくおなかの子を守るためにはどんなことにも堪える覚悟ができた。腹を決めたら、気持ちが嘘のように楽になった。
 芳樹には連絡を取る気はまったくなかったが、昨日電話があったようなので、一応、知らせておこうと思い、自分から電話した。
「昨日電話くれたんだってね。いなくてごめんね」
「ああ、久しぶり。元気かい」
「ええ、まあ。…急なんだけど、私、実家に戻ることにしたの」
「えっ! またどうして? 何があったの?」
「うーん。まあ、いろいろ…」ツーツーツーツー
 いきなり電話が切れてしまった。美和子はアパートの電話に小銭を入れてかけていたのだ。芳樹はすぐにアパートの電話にかけた。美和子が電話に出た。
「最初に言ってくれればかけ直したのに」
 と芳樹が言う。
「あなたがいろいろ聞くから途中で切れちゃったのよ。すぐ終わるつもりだったんだから」 芳樹にかけてもらいたかった美和子だったが、そうできない自分が歯がゆかった。
「さあ、今度は途中で切れることがないから、詳しく話してよ」
「詳しく言うほどでもないのよ。いたってシンプルよ。あのねぇ、私、デキちゃったの。それで、仕事も続けられなくなるし、いろいろ大変なので、この際、親に頭下げて実家に戻ることにしたの」
「デキたって子どもだよな?」
「勿論よ」
「あのな、なんで今まで黙ってたんだ! 一人で勝手に決めるなよ。オレにも相談すれよ。する義務あるぞ!」
「ちょっと待って! なんであなたに」〈この人完全に勘違いしてる!〉
「ちょっと待ってじゃないよ。よしわかった。引っ越し決まったら教えれよな。できれば土・日がいいんだけど。この際、そんなことも言ってられないか」
 急に芳樹は活気づいた。美和子は面食らうばかり。結局おなかの父親については切り出せなかった。

 二月の最後の土曜日に、芳樹は美和子を迎えに東京へ行った。到着ロビーで待つ美和子とはすぐに会えた。着いて早々であるが、明日、北海道へ戻らなければならないので、強行スケジュールだった。
 美和子はおなかの父親について、今度こそ芳樹にはっきり言うつもりでいたが、またもや芳樹のペースに圧倒されて、言いそびれてしまった。〈もしかしてこの人、気づいているのかしら? まさか、そんなことはあり得ない! このままだと真実を伏せたまま、二人の運命が動き出す!〉
 身重の美和子にとってこのまま芳樹と一緒になることは願ってもないことであった。今でも好きだし、一度は結婚も考えたのだから。しかし、真実を告げぬまま身を委ねることに罪の意識を感じて、今にも押しつぶされそうでもあった。

 美和子と芳樹は、新千歳空港に到着した足ですぐに美和子の実家に向かった。北海道の二月は寒い! 顔などの露出部分は、鋭利な刃物で刺されたようにイタイ! 
 実家に着いたのは夜もとっぷり更けた頃で、美和子の両親が首を長くして待っていた。姉夫婦も来ていた。
 芳樹は美和子の妊娠について、とにかく平謝りを繰り返し、美和子の両親からは勿論、姉夫婦からも苦言が相次いだが、言い訳は一切しなかった。それを見ていた美和子は、真実は自分の胸にしまっておこうと決めた。
 三月も下旬になると、学校も少し忙しさから解放されるので、その頃に芳樹と美和子の両親を会わせて、そのとき簡単な式もやってしまおうということになった。美和子はお産が終わるまで実家で過ごすことになり、それまでは別居生活が続く。

 その年の十月、元気な女の子が生まれた。この子が絵里である。血液型はO型。ちなみに美和子はA型、芳樹はB型。A型とB型の親からはすべての血液型の子が生まれる。芳樹と絵里の父子関係を確かめるすべは、もはやDNA鑑定しかない。

 翌年、春になってやっと親子三人が一緒に暮らすことができた。美和子と絵里母子は、現在住んでいる地方都市で小学校教員をやっている芳樹のもとへ引っ越した。最初は手狭で何かと不便な教員住宅での生活であったが、家族三人が一緒に住めるだけで幸せだった。
 そのうち絵里に手がかからなくなったあたりから、絵里を保育園に預けて美和子は美容師として働き始めた。
 
 五年後、待望のマイホームを建てることになった。そのとき美和子のたっての希望で現在地に店舗兼住宅を建てたのである。


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 美和子は、絵里が芳樹に冷淡な態度を取ったことで、絵里の出生の秘密について思い煩っていたとき、絵里が何故そのような態度を取ったのか、その理由がわかったのである。
 絵里は、結婚を考えていた彼氏ともめていて、結婚をやめようと思っていたのだ。しかし、それは絵里の一方的な誤解だということがわかった。それからは関係が急転して、一気に結婚が具体的になったのだった。
 美和子は、絵里の結婚話がきっかけで、今まで胸にしまっておいたものをこれ以上このままにしておくことに限界を感じていた。

 一週間後の夜、絵里は両親に結婚について話をした。
「ママ、お父さん。実は彼が挨拶に来たいと言ってるんだけど。いつがいいかな?」
「おめでたいことだから、伸ばしてもしょうがないし、早いほうがいいんじゃない。ねぇ、お父さん」
「そうだな。父さんもそう思うよ」
「それじゃ、土・日でお日柄のいい日にしましょう。それでいいわね、お父さん」
「ママに任せるよ」
「絵里もいいわね」
 竹村家では、大抵のことは美和子がまず決めて、それに芳樹や絵里が意見を言うのである。今回もそのパターンであった。
「はい、異存ありません。これからいろいろ大変だけどよろしくお願いします」
 絵里は、このときばかりは神妙な面持ちだった。
「あら、絵里ちゃん。ふだん見せない顔ね」
「ママ、そんなこと言ったら絵里がかわいそうだろ。絵里、気遣わなくていいんだよ。親子だろ」
 芳樹の最後の言葉を訊いた美和子は一瞬ドキッとした。絵里が更に話を続ける。
「それと……お父さん。お父さんが学校を辞めてから、冷たい態度取ってばかりいて、…ごめんなさい……」
 絵里の目には涙がたまり、今にもこぼれそうだった。
「おい絵里、どうしたんだよ。ママが変なこと言うから絵里、泣いちゃったじゃないか」 芳樹は、照れ隠しに的外れなことを言ってしまった。
作品名:知らぬが仏・言わぬが花 作家名:mabo