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知らぬが仏・言わぬが花

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 次の土・日からは、市内の塾講師に応募してみた。簡単な面接のあと、英語・数学(高校入試問題)の試験があった。芳樹が一番気になっていたのは年齢のことだったので、面接の時は必ず確認した。すると決まって、年齢制限は特に設けていませんという回答で、芳樹は一安心したが、あとで考えると非公式に年齢制限を設けている塾もあった。(平成十九年十月の法改正で募集・採用時の年齢制限禁止が義務化されたので、募集要項に掲載できない)
 結局、応募した塾はどれも不採用で年が明けてしまった。芳樹はますます焦ってきた。更にこの頃は美和子と絵里の追い打ちをかける言動が目立ってきたのである。
 
 久しぶりに家族三人が揃い、晩ご飯を食べていた。
「お父さん、まだ仕事決まらないの?」
「んー、塾落ちちゃったしな…」
「それでどうするの?」
 絵里が珍しく芳樹に詰め寄る。
「絵里ちゃん、あんた関心なかったんじゃないの」
 美和子が口を挟む。
「ママ、それは、前は一応決まってたから、…でもこのままだと無職でしょ! 私それだけはイヤだからね」
「絵里ちゃん、そんなこと言ったって、決まらないんだもの。仕方ないじゃない。ママだって、そりゃあイヤよ」
「私がイヤなのは、…例えば、…結婚式で花嫁の父が無職だったらイヤよ。はっきり言って、教師というお父さんの仕事はそんなに好きじゃなかったけど、社会的にはその、ちゃんとした職業だし、公務員だしね」
「うーん、絵里ちゃんの気持ちわかるわ」
 すかさず美和子が加勢したが、すぐに制された。
「ママ、ちょっと待って。最初はホントにイヤだったのよ。小学校のときなんか、男子が『お前の父さん、先生なんだってな。家に帰っても先生がいてイヤじゃないか?』とか『テストの答え教えてもらってるだろう!』とか言われてイヤだったわ。でもね、高校のときは教える仕事もいいかもと思ったんだけど、お父さん見てたら大変そうだったから、保育士をめざしたのよ。やっぱりお父さんのDNAのせいかな…」
「絵里! 父さん、全然知らなかったな。そんなこと考えていたんだ」
 芳樹が思いあまって口を開いた。
「絵里ちゃん、ママも知らなかったわ。でも、娘と妻の立場の違いね。ママは、お父さんが学級持たなくなったから、そのうちに?教頭試験?を受けるんだとばかり思っていたのよ。そしたら、受けたくないって言うんですもの。がっかりしたわよ。…」
「ママの気持ちもわかるわー」
 いずれにしても母と娘が結託したことには変わりはなかった。芳樹の形勢はますます不利になるばかりであった。 

 再就職の選択肢を塾の講師だけでなく、他職種まで拡げて応募したが、焦れば焦るほど裏目に出た。
 家族の関係も相変わらずしっくり行かない。特に、芳樹と絵里の関係には手を焼いていた美和子は、表面的には絵里と共同戦線を張って一緒になって芳樹に小言を言っていたが、絵里の感情を少しでも和らげるためであった。芳樹には、絵里のことで負い目を感じていたのである。
 
 そのうちに、とうとう芳樹の退職の日を迎えてしまった。
 芳樹は意に反して教員の道に入った。教育大に入ったのは先生になりたくてではなく、一年浪人していたので、私立大学は許されていなかった。それで学費の安い国立大学で、しかも比較的入りやすい教育大にしたのだった。
 大学四年の時は、チラシ向けのコピーライターに応募して内定したが、最終的には取り消されてしまった。束の間の夢だった。卒業後は教員採用試験に落ちていたので、実家に戻り地元市役所でバイトした。土木部だったので、雨天時以外は外で測量の補助。夏の暑いさなか、藪に入り虫に刺されたり、草負けしたりした。雨天時は始業時から退勤時までひたすら図面の青焼き、コピー取り。このような単純労働でほとほと嫌気がさしていたとき、大学から教員の臨時採用の話があった。勤務地は最北の行ったこともない田舎であったが、迷うことなく赴いた。その後本採用になった。
 このように、成り行きで教員になったので、自分には向いていないのではないかと自問しながらの三十一年間だった。管理職になろうと思ったこともあったが、今の教育現場では文字通り職員を管理する職だと思い、自分にはそんな能力はないと考えた。その結果、家族、特に妻を裏切ってしまった形になってしまった。

      
      2

 四月から無職の芳樹は、美和子の店の掃除の手伝い、昼と夜の食事の支度をすることになった。これで少しは気が楽になったが、絵里が食事に不満があるようで、外食が目立ってきた。外食するときも芳樹には言わず、美和子に言って行くのだ。芳樹はそんなことには気づかずに、食事作りに精を出していた。
 五月の連休が終わった頃、家庭教師斡旋所から連絡があった。講師の欠員ができたので、やってほしいとのこと。以前、ダメもとで登録していたのである。勿論、二つ返事で引き受けた。芳樹は、これで無職でないぞ! 絵里に何とか顔向けできると思うと、ホットするやらで、心にかかっていた雨雲が一気に晴れて、久しぶりに太陽を拝む心境だった。
 しかし絵里は、無職よりはましねと、あくまで手厳しかった。そんな絵里の言動から美和子は、絵里の出生の秘密に思いを巡らせていた。自分がかつて選択した人生にケジメをつけるときが来たと思った。

 美和子と芳樹が出会ったのは、芳樹が教育大の学生。美和子が美容学校の学生だったときである。当時の美和子は別の彼氏と付き合っていて、芳樹はその彼氏の友達だった。美和子はその彼氏が好きだったが、フラれてしまった。そのとき、芳樹が相談相手になり、その縁で卒業後、文通を続けながら、芳樹は実家に戻っていた美和子の家に遊びに行ったりした。芳樹は教員採用試験に落ちて、実家でバイトをしていたのである。
 その後、美和子は美容師の腕を磨くため、家出同然で東京に出た。このことは、芳樹には知らされていなかったので、美和子と連絡を取るのに半年もかかってしまった。その後は北海道と東京の遠距離交際であった。連絡手段はもっぱら手紙と電話だった。芳樹は臨時採用ではあったが、教師の口が見つかり地方にいた。
北海道と東京の電話料金は、当時一時間一万円だった。芳樹の方からかけていたので、最初は料金を気にしながらであったが、結果的には月十万円になるときも少なくなかった。料金は村の簡易郵便局で払っていた。守秘義務があるとはいえ、そこは小さな集落。村中知らない者がいないほどであったから、村の人たちが集まる飲み会では酒の肴にされた。
 その甲斐あって、二人の関係は徐々に高まって行った。芳樹は冬休みに東京にいる美和子に会いに行くことにした。それも元日から三日間である。美和子は、この日しか休みが取れなかったのである。
 
 新千歳空港から羽田まで一時間ほどである。芳樹にとってこの一時間は長く感じた。まさに気持ちが宙を舞いフワフワしていた。美和子の声はいつも訊いていたが、顔を見るのは数年ぶりであった。会ったら何を話そうか、などあれこれ考えていた。思えば、美和子の家出騒動があり、しばらくの間消息がつかめず諦めかけたこともあったが、こうしてまた会える。
作品名:知らぬが仏・言わぬが花 作家名:mabo