私の読む「宇津保物語」第二巻 忠こそ
「忠君は参内なさらなくなって久しく日が経っています。一日でもお前にいないことは許されません、ということで、蔵人の頭が私を急いでこちらに向けたのです」
「ここから、はっきりと参内すると、出て行ったのであるが、『帝がお許しにならないのを、無理言って退出いたしました』と申していたから、内裏へ戻ったのである、とばかり毎日思っていました。内裏に居ないとなれば、これは不思議なことでありますから、探させましょう」
と返事をなさって、八方手を尽くして忠こそを、神仏に願ってまで捜させたが、何の手がかりもなかった。
内裏も人を集めて探されたが、見つからなかった。
帝は大臣をお召しになった。千蔭は、
「恐れ多いことをお聞きになったのであろう、忠こそはその様な男ではないが、恐れ多いことだ」
と思われて参内をしない、さらにお召しがあった。頭を低くして参内した。帝は、
「久しく、余の前に現れないぞ。忠は、なかなかの人物である、そなたの家には何日ほど滞在した」
「帰って来まして、二十日ばかりになります」
「ここにも現れない日も、結構な日数になった。無理に暇を欲しいというので、『殿上童も居ないときであるから、少しの間だぞ』と言ったところ、大臣が病のようで『見舞いに参りたい』と言うので、『仕方があるまい』
『すこしのあいだであるぞ、すぐに戻るように』と伝えたままで、未だに現れない。あちらこちらと探させたが、大臣一体これはどうしたことか」
「あちらこちら探させましたが、見つからないと言うことは、世を去ったのでありましょう。待って居るうちに現れることでございましょう」
千蔭は涙を流して訴えられた。帝は、
「忠こそが気にするようなことを言わなかったか。ここにはその様な心配するようなことは何もなかったぞ。どうおもったのであろう、人との交わりも問題を起こすような人物でもないし、心配するような気に病むようなこともない。普通のことで、世間から隠れるというようなことはない。父親のお前が責めることや、きつく言うことが、失踪する原因となることがある」
「私も何も申したことはございません。深刻に考えることもないのにどうしたことでありましょう。誰かが何かを言ったのではないでしょうか、それを深刻に考えて、問いも弁解もせずに『お前は私のことを思ってくれないようだから、今後お前を見てやることは出来まい』と申したことがございました」
帝は、
「そのことで忠こそは世の中が嫌になったのだ。千蔭が今まで少しも嫌な顔をしないで、尊敬する怖い父であるという風に思わせてきたのに、今回忠こそを許さない様子を見せたのではないか。そこを忠こそは思い悩んで力を落としたのだ。どういう事を大臣は忠こそから聞いたのだ」
「忠こそが、この千蔭が帝に災いを起こすようなことを奏上した、と言うことを聞いた、と申しました」
「なんと馬鹿げたこを。忠こそは他人のことをとやかく言うことは無い男である。まして、親のこと言うであろうか。
彼を知らない者が。逆のことを言ったのを信用するのか。これで今回の忠こその失踪の原因が分かった。誰かに千蔭は謀られたのだ。
不都合なことであるが、亡き忠恒の北方は、以前より性格の悪い女であるという評判である、そのあたりから出た噂であろう」
千蔭は帝のお言葉にひどい衝撃を受けて、申し上げることも言わずに、泣き泣き帝の前から下がった。
そうして千蔭は思うのは、
「石帯に始まって、いろいろと悪いことを企むのは、一条の北方の仕業である。亡き妻が、亡くなるときに言ったことに従わなかったならば、我が子忠こそを失うところであった。大変なところに通ったものだ、すんでに悲しい目に遭うところであった。亡き妻は、継母は腹黒い者だからと何回も言われたことか」
と、千蔭が思うと嘆かわしく、政治向きのこともしないで、精進潔斎をして忠こそに会おう、とだけ考えていた。
こうして、
「一条という言葉も聞くまいと」
と、思っているのに、あの北方は千蔭が訪れてこないことを焦れったく思って、大願を賭けた。陰陽師、神おろしをする巫(かんなぎ)多く招集して、いろいろと術をかけて大願成就を願ったが、効果がない。忠こそを思う気持ちは北方も千蔭同様である。北方は、かって千蔭が通ってきたとき文を交換したのを取り出して見ると更に悲しくなり、その文を沈の箱に入れて、千蔭に差し上げようと、悲しいことを書き集め、
この文の数々は、これだけは形見の品と思っていましたが、この世に生きるのも今日明日と言うことになる、と思いますので、生きている内にお返し申し上げます。悲しいことはこの世に沢山あります、
想ひ出てふみみるごとにみなせ川
つらきせのみぞあまた見えける
(思い出してお文を見るたびに水無瀬川のように、浅いお心のつれない所が沢山見えてくるのでせつのうございます)
申し上げる言葉もありません
と書いて千蔭に贈った。千蔭は見て、
「本当に困った方だ、良いとは思っては居ないのに、よくも心にもないことを言う者だ。このことが忠こその身に、いろいろと困ったことを起こしているのである。恨みに思っているのに」
というのであるが、千蔭は情け深い人で、
このごろ変なことが身の回りにおきまして、落ち着きません。そのため参内もしないで、家に籠もりっきりです。そちらにお伺いも致しません。私も明日まで命がありますやらと思いやられて、今は面倒を見なければならない忠こそも居なくなりました。こちらも取り集めて差し上げましょう。水無瀬河は
浅きこそふみも見るらめ水無瀬河
ふかき淵にぞ我は沈める
(水無瀬川は水が無くて浅いところがあるからこそ踏んでもごらんになるでしょ。それに引き替えて、深い心の私は、深い淵に沈んで踏むどころか浮かぶ瀬もないのです)
と書いて、透かし彫りのある銀の箱二つに、北方から最初に貰った文から全てを送り返された。北方はますます心細くなった。
大臣は日にちが過ぎるほど慰めの言葉がないほど嘆いて、
「山に籠もって修行をしよう、世の中というものは、情けなく辛いことが多い」
思うことがあって、
白浪の真砂をすゝぐ田子の浦に
おくれてなぞも嘆く舟人
(白浪が浜の砂を洗っては帰る田子の浦で、我が子に死に後れた舟人はなんとまあ嘆くことよ)
と詠う。左近中将は、
ひまもなく浪かゝるてふ田子の浦に
よするなる名や形見にはせん
(絶え間なく浪がかかるという田子の浦によせる名は田子。田子という子にちなむ名を形見にして慰めましょう)
左右衛門の佐(すけ)
駿河なるうらならねどもしら浪は
田子といふ名にもたちかへりけり
(駿河にもある田子の浦ではないけれども、白浪は田子という名にひかされてたちかえるのでした)
作品名:私の読む「宇津保物語」第二巻 忠こそ 作家名:陽高慈雨