私の読む「宇津保物語」第二巻 忠こそ
「それはお気の毒なことですね。どうして私に仰らなかったのですか。少しばかりのご援助はいたしましたものを。上等な物でなくてもよろしかったら、装束一揃いをお作りして差し上げましょう」
「それは大変に有り難いことです。昔のようにご立派な生活をなさってはおられませんのに、今もお変わりなくご裕福でいらっしゃる、いかがなっさっておいでなのでしょう」
「貴方が思うほど裕福ではありませんよ。少しばかりご相談をしたいことがありまして、貴方のお越しを願ったのです。貴方はお口の堅いお方だと思いまして」
「そんのようなことで。断りするようなことは毛頭ございません」
「それは嬉しいこと、こちらに時々お出でになる千蔭大臣は、私のように歳をとった女は、今更結婚なんて言うことは考えもしていませんのに、独身の男は毎日が淋しいのでしょうか、ときどきその気になってお出でのようです、あきれたことですよね。
ところが、子供の忠こそがどうしたことか、色恋の気持ちが高じて、夜となく昼となく私に言い寄るので、知らぬ顔をしているのですが、忠こそは気が狂ったように
『たぶん父の大臣が居るので、この私を馬鹿にしておられる、居なければ何も遠慮をすることがない。色の道には親も子もない、父は帝を滅ぼすお考えだと、帝に申し上げる、父大臣は流罪になる。遠ざけてしまえば何の遠慮もない』
と私を責めるのです」
と北方は忠こそが企んでいるような嘘ごとを、祐宗に訴える。自分の苦しみはこのことだと言わんばかりに。
「このことを千蔭に申そうと思うのであるが、継母継子の間を昔から継母の腹黒さだと世間の人が言うのが情けなくて、とても千蔭にも訴えられません。貴方がこのことを千蔭におっしゃってくださいませんか」
祐宗は、
「簡単なことです、忠こそのようなおかしな者が、どうして栄えるのでしょうかね。
見るところは非の打ち所のない人物と見受けられる。世の全てのことが忠こそが奏上したそのままで事が運ばれ、本当に忠こその一人舞台です。
忠こその上に人無きように見受けられる。
北方が思われることは真実であります。
忠こそは内裏に昇殿されると帝の側を離れず、ご寵愛は当然のことのようにお振る舞いになっておられる。
後宮の女御更衣が忠こそをご利用なさらないはずがない。梅壺に住む女御更衣の方々は、全てのことを隠すことなく忠こそに申しておられる。
このような女御更衣にまで手を伸ばしている忠こそを、帝がお側を離さないということは、なんと恐ろしいことではありませんか。
梅壺の御息所は現在では時の人であります。忠こそが御息所に示す態度を御覧になっても帝は側から離されない、恐ろしいことです」
北方は長々と語る祐宗のことばに、忠こそは他人にこのように思われているのだ、ねたむ心が激しくなった。そうして祐宗に、
「千蔭に言うことは、
『親のことをこのように言いたくはないのですが、罪があれば命を取られることもあることですから、申し上げるのでございます。父千蔭大臣は、こっそりと后の宮と密通しています。それでも満足しないで、『帝を退位させよう』
と、画策いたしています。そういうときだから、忠こそにそのことを糾弾させるべきではありませんか。父大臣は私の忠告を聞こうとも致しません。だから忍んで奏上いたすのでございます』
と申し上げますと、帝は、
『問題である、はっきりしたことだ。何が不足で朝廷に対して悪心を起こすのだ。多くの順序を飛び越してまで大臣に引き上げたのだ。そう思うならば伊豆の島へでも勤めを変えさせよう』
と仰せになられた。
『誰もは聞いていませんでした。祐宗ただ一人にお聞かせなされました』
と千蔭にいなさい」
北方は祐宗の耳許でささやくように告げた。聞いて祐宗は、
「しかりお聞きいたしました。何の造作もありません」。うまく取り計らって参ります」
北方は、殿上の制服束帯を一揃い清らかな物を取りそろえて、祐宗の妻の衣装なども美しい物を祐宗に与えた。
祐宗は数々の物を北方から戴いて、後に自分に大難が引き起こることも知らないで、千蔭大臣の許に参上して
「急ぎの用件で参上いたしました」
千蔭大臣は祐宗に面会した。
「先日、このような謀がありましたのを、大臣ご存じでしたか。大事なお子様のことをこのように申すのも軽々しいことではありませんので、この謀を承りましてこれはただごとではないと、このように申し上げる次第です」
と、祐宗は千蔭に申し上げた。
千蔭はすぐに言葉を出さず、
「忠こそがその様なことを申すとは」
また
「なぜこの祐宗がこのような恐ろしいことを我に告げるのか」
祐宗の言うことが真実であろが、恐ろしいこと、だが祐宗に千蔭は言う。
「どういう事なのでしょうね、今すぐに兵が来て私を殺すようなことが起こっても、忠こその罪を咎めることは出来ないでしょう。
その理由は、忠こその母と前世にいかなる契りがあったのでしょう、忠こそがまだ幼児で可愛くて堪らない時分に、つらい思いを残して亡くなりましたので、寸時も遅れて生きてはいまいと思うのであったが、どうしたことか思いとどまっていますが、夜昼となく、忠こその母が亡くなる直前まで、
『私の代わりとして、忠こそを大事にしてください、世が逆さまになるようなことをこの子が起こしても、知らぬ顔で居てくださいませ』
言い置きしたことであるから、忠こそは二人とない大事な我が子である、どれだけ可愛いことか。その上妻の遺言のことを思えば、世を滅ぼすと謀ろうと、忠こそが思うことなら任せてみようと思う。
貴方が言うような無謀なことを忠こそがしたために、千蔭の身が危ういことになろうとも、妻に後れずに死に損なった私ですから、そのときに死んだことと思えばいいことであります。
来世で、もう一度妻に会いたいと思う私ですから、早々に身罷り逢うことが出来れば嬉しいことであります。やれやれ、いろいろと不穏なことがありますね、お知らせ下さって本当に嬉しいです」
祐宗、来た甲斐もなく帰って行った。
絵解 千蔭大臣
このようなことで、あの北方の前に祐宗参上して、
「仰るとおりに千蔭大臣に話しましたところ
『すぐに殺しに向かわせよう。すぐに帝に奏上して、死刑に処す』
と、仰られました」
と首尾成就と申したので、北方は嬉しいことだと思う。
千蔭は、変なこと聞いてしまった、といろいろと考える。忠こそが。
「内裏に暫く参内して帝の側に侍っていましたが、父上が暫く帝の前のおいでにならないことが心配で、退出させていただきたい」
と帝にお許しを願うがお聞きにならないのを、無理にお願いして、少しの間だけと退出した。
千蔭は忠こそに
「美味しい物を作らせたからまず食事をした。久しく現れなかったな」
「お暇がいただけませんでした。どうして父上は参内なさらないのですか。参内なさってこそ、頼もしく私も帝にお仕えしやすいです。参内なさらないとどうして好いのか心細くて、お暇をいただけないのを無理にお願いして、退出して参りました」
聞いて千蔭は涙を流して
作品名:私の読む「宇津保物語」第二巻 忠こそ 作家名:陽高慈雨