連載小説「六連星(むつらぼし)」第41話 ~45話
「さくら貝です。
私はこの貝を、『瓦礫からの奇跡の贈り物』と呼んでいます」
「へぇ~、これが、さくら貝ですか。綺麗な貝です、はじめて見ました。
ネーミングから推察すると、なにか深い意味がお有りのようですね」
「はい。これには、たいへん深い事情が籠っています。
石巻日赤で私がもらった、唯一の勲章です。それほど大切なものです。
これをくれたのは10歳になったばかりの、小学校4年の少女です。
良い意味と、悪い意味の両方において、忘れてはいけない私の記念品です。
絶対に忘れてはいけない、大切な思い出です。
いいえ・・・・非常事態が続いていた石巻日赤の医療で、
許されない失敗のひとつです。
それも私が承知の上で間違えてしまった、決して許されない『誤診』です。
医療に働くものとして、犯してはならない『ミス』を、
私はあえて、犯してしまいました」
「それにしても、見る限り、とても素敵な記念品です。
ミスを犯されたというお話ですが、それはいつ頃のことですか?」
「津波から、3日後のことです。
屋根とがれきに挟まれたまま、3日間も水につかっていた親子が救出されて、
病院へ搬送されてきました。
患者は私にさくら貝をくれた10歳の少女と、そのお母さんです。
がれきと屋根のあいだに、かすかな隙間が残っていたため、
2人は辛うじて溺れずにすみました。
狭い空間の中でお母さんが少女を支えて、水から守り続けたそうです。
3日後に、救出に成功しましたが、この時点でもうお母さんは
重度の低体温症の状態で、助かる見込みはありません。
トリア―ジを担当した私も、『もう、この人は助からないだろう』と
直感でそう感じました。
でも女の子は・・・・真っ青な口びるをしたまま、お母さんから
片時も離れようとしません。
掻き集めてきた毛布と一緒に、お母さんに寄り添って、
冷たくなっているお母さんの身体を、必死になって温めていました」
「ずいぶん、辛いお話ですねぇ・・・・
トリア―ジの鉄則でいけばお母さんは、見捨てなければならない
患者さんの一人と言うことになります。
せっかく、ぎりぎりのところで、少女が助かったと言うのに・・・・」
「少女は、ひとことも口をききません。
少女から、何かをお願いされたわけでもありません。
ひたすらお母さんを温め続けている、その小女の姿を見た瞬間、
私は思わず冷静さを失いました。
その結果。トリア―ジを担当する者として犯してはいけない
間違った判定を、意図的に下してしまいました。
この子のために、お母さんをなんとしても救ってあげたい・・・
なぜかその瞬間、私は、そう心に決めてしまいました。。
トリア―ジに携わる医療チームのひとりとして、してはいけない
『誤診』であり、かつ『暴挙』に近いものです。
事態は、一刻を争います。
その場でトリア―ジの最優先患者として、緊急の治療を要すると、
書類に記入しました。
急いでチームの責任者へ、緊急処置を伝えるために飛んで行きました。
リーダーも、私の書類を見て、たいへん驚きました。
私の顔を見てから、無言でお母さんを温めている小女の様子を確認すると、
すべてを察知してくれました。
何も言わず急いで、ドクターを呼びに走っていきました。
ドクターも急いでやってきて、チームとともにできるかぎりの治療を
お母さんに施してくれました。
この間、私たちのチームは、お母さんの治療にかかりきりに
なってしまったのです。
本来のトリア―ジからは、逸脱をした行為です。
それでも誰も何も言わず、懸命に低体温症のお母さんを救うために、
チームとして全力を尽くしました。
出来る限りの治療を済ませたあと、あとは本人の
体力次第だということになり、
入院させるために、2階の部屋へ運びました。
少女も2階に、母親と一緒に泊ることが、特別に許されました。
お母さんの治療は、病院内の別のチームに引き継ぐことになりました。
それからは忙しさに追われたため、時々、病院内で
この小女を見かけましたが、お母さんの病状を確認することは
出来ませんでした。
チームのみんなも、そんな出来ごとが有ったことなど、
すっかり忘れていました。
忙しさが、ピークを迎えていたからです。
水が引き始めたこの頃から救出がすすみ、患者さんが一気に増えたためです。
私たちの医療チームも、ひっきりなしにやって来る患者さんたちの対応で
てんてこ舞の日々を送りました。
そんなある日。
ひょっこりと小女が、私たちの医療チームに姿を現しました。
何も言わずに、チームの一人一人に会いに来て、貝殻を配って歩きました。
私の所へやってきたので、『どうしたの、これは』と聞いたら、
少女は、がれきの中から拾い集めてきたと答えてくれました。
驚いたことに、がれきの中には海からやってきたさくら貝たちが、
混じっているそうです。
当然すぎるといえばそれまでですが、誰もそんなことには気がつきません。
津波は、海からやってきたのですから・・・・
がれきを押し流した津波は、海底から、さくら貝も運んできたのです。
お母さんが元気になったとき、『なにか欲しいものがある?』と
少女が聞いたら、
がれきのなかに隠れていた、あの時のさくら貝が欲しいと
お母さんが答えたそうです。
津波から3日3晩。水に漬かりながらもあきらめず、救助を待っていたとき、
たまたま、がれきにまじっている小さな貝を見つけたそうです。
少女にも、お母さんにも、このさくら貝は『希望』の貝だったようです・・
少女とお母さんを勇気づけてくれたこのさくら貝を、
お世話になったお医者さんや、看護師さんたちへ、上げて来て
きちょうだいと、言われて、
配って歩いているとその子が笑顔と一緒に、私にくれたものです。
情に流されて、過ちを犯してしまった、私の失敗話です。
でも私たちは、あのときの女の子と、お母さんと、
このさくら貝に救われました。
お母さんの命と、私の過ちを救ってくれた、がれきの中のさくら貝です。
ほろ苦い記念品ですが、私は一生、大事にするつもりです。
1個だけで申し訳ありませんが、あなたにも、
幸運のおすそ分けをします・・・・
あなたにも、何か良いことがあるといいですね」
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第41話 ~45話 作家名:落合順平