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私の読む「宇津保物語」第一巻 としかげの続き 1

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仲忠の朝に家を出て夕べに帰って来るということはほとんど無くなった。食べ物を得るにはただ手を伸ばして箱の蓋を取るような具合で、煩わしいこともなく、母親は楽しく毎日を過ごすので、このまま一生此処に暮らそうと仲忠に、

「お前も暇な時間が出来たので、私の父俊蔭、お前の祖父から教えて貰った琴の奏法を教えることにしよう、弾きなさい」

 と仲忠に言うと、父から譲られた「りうかく風」を子供の仲忠の琴として、「ほそ風」を自分の琴として弾いて教え始めた。仲忠はおぼえが早く限りなく上達していった。

仲忠と母親が住処とした空洞(うつぼ)は、熊、狼以外の者が現れない山で、このように素晴らしい奏法で障碍もなく思いっきり演奏出来るもってこいの場所で、たまたま琴の演奏を聴いた獣たちが周りに集まって、音色に陶酔するようで、草木も琴の音に合わせてなびいているような、その琴の音が一山越えて響いたのか、そこに住む堂々とした牝猿が子供多く引き連れて琴を演奏する空洞の周りにやって来て、感心して曲を聴いていた。

この猿は、大きな空洞を占領して長年にわたって住み続け、山に自生するものを取り集めて食用にして住んでいる。

この猿の一団は、仲忠親子の演奏する箏曲に魅了されたのか、時々木の実を持って親子共々空洞にやってくる。隠れて二人の琴の演奏を聴いていた。

こうして仲忠は九歳になった。祖父俊蔭が演奏していた、仏の国の秘曲、兜率天(とそつてん)の七人が師となって俊蔭が習い覚えた、その奏法を総て引き継ぐようになって、その曲を夜となく昼となく演奏し続けながら、春は綺麗に咲いた色々な花、夏は涼しい蔭に入り、秋は紅葉の下で心をすまして演奏をし続けた。
 
 母は、決心した・
「自分の一生を命のある限り琴を弾くことに専念しよう」
 そこで、彼女は仲忠に教え込み、残ることなく父から送られた奏法を総て仲忠に伝えた。

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兜率天 とそつてん

 仏教の世界観に現れる天界の一つ。兜率はサンスクリットのトゥシタTuṣitaの音訳で,覩史多(とした)とも訳される。須弥山(しゆみせん)の上空に位置し,三界のうちの欲界に属する。ただし,この天は欲界六天の下から四番目にあたり,その住人は欲望の束縛をかなり脱している(トゥシタは〈満足せる〉の意)。七宝の宮殿に内外の二院があり,内院は将来仏となるべき菩薩の最後身の住処とされ,外院は眷属の天子衆の遊楽の場とされる。
(ネット コトバンク)



 仲忠は神や仏が仮に人の姿となって現れた者で、琴の手は、祖父に勝る手の母を抜き、物事の伝承は一代はその一代だけで次の一代は技術が衰えていくのが常であるが、俊蔭の一族は伝承を受け継いだ者が次々に優れていった。

 空洞(うつぼ)に移り住んで仲忠は十三歳になった。容姿の美しさはこの上ない。綾錦を着て美しい宮殿の国王の女御、后。天女天人よりも、このように草木を食して、木の皮を着物とし、友は獣、大木の空洞を住居として成長したが、目も輝いて仲忠は立派になった。母も、風貌は勝って素晴らしい男児になった、と見つめていた。

この歳になるまで、猿たちが食べ物を運んできて養われたことは、可哀想なことである。猿たちは、水は大きな蓮の葉に包んで持ってくる。いも、野老(ところ)、果物は色々な種類の葉に包んで各所から集まってくる。

このような時に、東国の人で、都に敵が居ると思い、復讐しようと、四五百人の侍達がその屯する場所として人里離れた処を探していると、仲忠達が住むこの山を見付けて入山してきた。

 恐ろしい猛々しい武士達が山に満ちて、目に見える鳥、獣、種類選ばず殺して食べてしまったので、鳥獣は山を離れて隠れてしまった。

 隠れることも出来ない大木の空洞に住む仲忠と母親は、食べ物を探すことも出来ず、外へ出て空を仰ぐことも出来ない。
 
 この辛く情けないときに、日頃から親しくしている猿が、やはりこの二人を可哀想に思って、武士達が寝静まるのを窺って、青蔦で大きな箱を造りその中に、大きな栗の実、つるばみ(橡とち)を入れて、蓮の葉に冷たい水を包んで運んでくるのを、木の根本ごとに眠る武士達は、猿が通り過ぎているのが分からない。木の葉が動くのに驚いて、

「山に住む者達の音がする」
と叫んで仲間を起こして、武士達は松明を点し、大声で探し回るので、仲忠母子はどうすることも出来ない。

母親は思った、
「亡き父上が、この二つの琴を、幸いなとき、禍が迫ったとき、極めて大事なときに心を込めて弾きまくれと仰せになった。こんな禍が今後身に降りかかることは有るかもしれないが、そうは言ってもこのような禍はこれが最後であろう」

 と母は、「なむ風」琴を取り出して、一曲を弾き鳴らすと、兜率天七人の弾く曲と寸分違わない。

 一曲が終わると山の大木みんな倒れ、山が覆るように崩れる。空洞を囲んだ武士達は崩れる山の下敷きになって多くが埋まり死んで山の騒ぎが収まり元の静かな姿に戻った。それでも翌日の昼頃まで、父から教えられた曲を折り返し弾いた。

その日帝は、北野に行幸なされた日で、仲忠が住む山のあたりを眺められたところ、その日供奉された右大将が彼方此方と馬で歩かれると仲忠母の弾く琴の調べを聞きつけて、兄の右大臣に告げられた。

「この北山に、響き渡る何かの曲が聞こえる。琴の音であるとは思うが、多くの何かが合わさっているように聞こえて、宮中にある、せた風、と同じ音色である。一緒に行って近くで聞きましょう」

というと、兄右大臣は、

「このような深い山の中で誰が曲を奏でる。天狗がしているのであろう、行きなさんな」

 と言うので弟の右大将は、

「仙人という人もこのようなことをいたします。そうであるなら、兼雅一人で行ってみましょう」

 と、兄右大臣に言うと

「いつもの癖が出たな。であれば、急いで行こう」
 と、二人轡を並べて山に向かった。

 二人が山に到着すると、その姿を見た生き残りの武士達は、公儀の者達が捕まえに来たと思って、谷に逃げ込んで隠れてしまい一人も仲忠達の前に武士は居なくなった。

兄と弟と続いて入山すると、不思議な響きがますます近くに聞こえてきた。彼方此方と谺して妙なる響きである、と二人はなおも山奥に入っていく。向かいに見える峯はもう一つ高い山でその山の方から、鬱蒼とした林の中を通って琴の音が聞こえてくる。二人はその山に入った。山の峰は空に突き刺さるように高く、獣は布団を敷いたように山いっぱいに生息している。それらを見て兄の大臣は、

「よく見てみろ、それだから言ったではないか、気味悪いところだよ、では戻るとしよう、さあ此方へ」
 と言うと弟の右大将は、
「変なことを仰る。これこそが面白いことで、深い山に獣が住まないで、山とは言えません。例え西域記にある檀特山(だむどくせん)に入ったとしても、兼雅は獣に食われるような弱い男ではない、この獣たちが私に害をなすかどうか見ていてください」

と言うと馬にむち打ち入山すると馬は飛び跳ねるようにして上っていった。

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檀特山(だんどくせん)