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私の読む「宇津保物語」第一巻 としかげの続き 1

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思いながら寄って、内部を見ると、大きな雄熊・雌熊が子供を産んで育てているのであった。雄熊はいきなり飛び出して仲忠を食い殺そうとしたときに、仲忠は雄熊に、

「少し待って、私を食い殺さないで、私は孝行な子供です。兄弟姉妹が居ない、母親が一人荒れた家に使用人もなくて住んでいます。私が持ち帰る物を待ちわびている、そんな母親を持った一人っ子です。ですから私の母は食事を作る人がいません。

 この山の木の実を拾い、葛の根を掘って親に調理して食して貰っています。高い山深い谷を上り下り、朝早く里を出て暗くなって帰ることが、母に申し訳が無く、そんな母が可哀想で、このように山の王の貴方を知りもしないで、この大きな杉の木のうつほ(空洞)に母を住まわせて、芋を一つ掘り、母にすぐに食べて貰う。遠い道を母のためと思い歩くのは苦しいことではないが、寂しく退屈してお待ちになる母上を思うと悲しく、近いところによい場所があると見ていたのです。

 しかし、このように貴方が既にお住まいなされておられる、私は退散いたします。私が貴方に殺されてしまえば母上もこの世から居なくなることでしょう。

 殺されなくても、もし私の身体の一部でも欲しいと思われるのであれば、差し上げましょう。ただし、足がなければ、母のための食を求めて歩けません。手がなければ、木の実を拾い葛の根を掘ることが出来ません。口がなければどこから私の心根をお伝えできるのですか。腹・胸がなければ心の住む場所が亡くなります。そこで用がない耳たぶと、鼻梁が残りました。これを貴方山の王に奉りましょう」

 涙を流して仲忠が熊に言うと、雌熊、雄熊共に荒々しい気持ちが失せてしまい涙を流して、仲忠親子の悲しい生活を想い、二匹の熊は子熊を連れて住処としていたこの空洞(うつぼ)を仲忠に譲ると他の峯に移っていった。

そのようなことで仲忠この空洞を得た。

 それから、木の皮を剥ぎ、広いこけを敷きならしなど修復をした。芋を掘ることを教えてくれた童がまた現れて、空洞(うつぼ)の周りを掃き清めてくれたので、空洞の前から泉が湧いてくる。掘り直すと綺麗な流れとなって、水の流れを楽しむことが出来るようになった。


コメント

 子供の名前を仲忠とした。古文の例で女性の名前は文面には紹介されない。子供も嫗が、「むしみつ」様と一回だけ呼んでいる。その後、この名前は出てこない、私は、読みにくいので、いずれは仲忠と呼ばれるようになるので、この段階から「仲忠」を使って読むことにした。


熊と仲忠の話は、参考にしている日本古典文学大系の頭注に次のように記載さてる。

 魯の孝子揚香が、父の命に代えて自分の身を猛虎の前に投げ出し、猛虎を感動させて、親子とも命がたすかった話と、大分変改はあるが、その筋は一致している。
 熊の出る話は説話類にあまり見当らず、仏典にもないと言われるが、アジャンター窟寺第十七洞壁画に熊の絵があった。その解説に、
 幾百万年の前世に釈尊が大熊の身をうけて菩薩行を修していた。その時樵夫の飢寒を救ったが、樵夫はその恩を忘れて熊を猟したので、二つの肘が地に落ちたという。


野老(ところ)(鬼野老(おにどころ))
 山の芋(やまのいも)科。
 つるでどんどん伸びる。葉っぱはハート形。
 夏につぶつぶの花が咲く。地下の根の部分はふくらんで芋のようになる。ひげ根が多数つく。
 根にかたまりができることから「凝(とこり)」、これが「ところ」に変化したといわれる。また「とろりと凝った汁」ができることから、そこからいろいろ変化した、との説もある。
 漢字の「野老」は、根のひげ根を老人のひげに見立てて、海の「海老」に対して山野の「野老」ということでこの名になった。
 根茎の”ひげ根”を並べて干し正月の蓬莱(ほうらい)飾りとする。(老人に見立てて長寿を祈る)
 別名「鬼野老(おにどころ)」
 皇祖神(すめろぎ)の
 神の宮人(みやひと)
 ところ葛(づら)
 いや常重(とこしく)に
 われかへり見む
   万葉集(1133) 作者不詳
     (ネット)



 仲忠は嬉しくて母のもとに帰ると、

「此処を出まして他の場所に移りましょう。私が行くところへ。此処は、私以外に母上の前に現れる者がいません、私は毎日このように出歩くことが多くて退屈で寂しくただ一人でお待ちになる母上はお苦しいことと思います。

 良くても悪くても私は食べるために毎日出歩かねばなりません。例えば、誰かが私を雇い上げて、馬や牛の飼育をさせたとしても、私をそのような下賤な仕事に就かせたとして、親である母上が世間から言われると思います。そのことが心にかかります。私たちにとって良いことは何もありませんでしょう。

 同じことなら人があまり入らぬ山の中に入って、人に知られないようにしたいと思うのです。私の心は一時も母上の側を離れません。飛ぶ鳥について行こうと、心は母の側に残ります。と思うがそうも参りませんのが現実です。ですから私が行くところへ一緒にお出でなさいませ。

 私しが探しました山の空洞(うつぼ)へ住まいなされば、木の実一つでもすぐにお手渡しできますし、私も母上を一人にして歩き回ることも無くなります」

母親は仲忠が言うのを聞いて、

「何処であろうと、どうして我が子の行くところに行かないことはありませんよ。人里に住んでいても仲忠、お前の他に、この母に顔を見せる者が居ますか」

と言って、母親は仲忠と共に人里を離れた。

 住み慣れたこの家にはもう何一つ調度品はなかった。家屋も壊れてしまった。母の父、仲忠の祖父である俊蔭が遺言した琴を地中から掘り出し、また、母親が常時弾いている琴も仲忠に運ばせて、母親は我が子と共に住み慣れた家を後にした。総ての世のことは悲しいこと愚かなことである。

涙川ふちせも知らぬみどりごを
 しるべと頼む我やなになる
(涙川の深い淵と浅い瀬の見分けも付かないみどりごを、道しるべと頼む私は、一体親なのだろうか、母なのだろうか)

 と母親は悩みながら仲忠が熊の親子から引き継いだ空洞(うつぼ)に到着した。

 深い山の道であるからよく登れるかどうか心配であったが、母親はどうにか空洞(うつぼ)に到着して、腰を下ろしてゆっくりと空洞の前を眺めると、方一町ほど先に平地の岡があり、人家の造園した庭のように見える。そこは木立が美しく並び、ところどころにまつ、杉、花の木があり、果物の木は、数多く幾多の種類の木がある、椎、栗が岡の麓をめぐって森のようである。

 考えてみるとこの地は、仏が造られたものであるから、仲忠とその母親が住む適地と見られる。

 空洞の前一間ばかり離れたところに、掃除をして現れた泉の流れの中に変わった巌が立っていた。巌に小松が所々に生えていて、その小松に弾かれて椎、栗などが水に落ちると、自然に一カ所に溜まってくる。使用人一人の手が有るような感じで集まってくる。頼りがいのある巌であった。