私の読む「宇津保物語」第一巻 としかげの続き 1
《(梵)Daakaの音写》北インドのガンダーラ地方にあり、釈迦(しゃか)の前身、須大拏(しゅたぬ)太子が菩薩(ぼさつ)の修行をしたという山。悉達(しった)太子が苦行した山とする俗説もある。弾多落迦(だんだらか)山。
(ネット コトバンク)
馬上の兼雅も雲に飛び移るように跳ね上がって山に入っていった。馬副達は主君について行くことが出来ない。山の麓にとどまっていた。
兄の大臣は馬が劣っていたので、弟にはとても追いつけない、とどまって弟の行方を見つめていたが、昔、両親が賀茂詣での折に、帰館して弟がいないことで大騒ぎをしたことを思い出し
「亡き父母も、あのような獣たちがいる中に、自分だけが逃げて一人とどまったと思われるであろう」
と、兄は行こうと思うが、兼雅は大将でもあるから武器である箭を背にしている。靫(ゆき)を見て獣どもは逃げ隠れた。
兄の大臣は文官であるから靫などの武器は持っていないので、とても恐ろしくて気持ちはあっても山に登れない。
弟の兼雅大将は険しい峯を五つ超えていくと、獣がやく貝を伏せたように重なり合って犇めく中を分け入って、聞こえてくる琴の音を探し空洞のある大木の根元に馬を停めて、下馬をして当たりを見回す。
この大木の周りの木々は人待ち顔に苔を敷き詰めて、砂をまき美しく造園されたように爽やかな処に兼雅は立ち、わざと咳払いをして声をかける代わりにした。
空洞に住む人は琴の演奏を停めて、怪しい者だと外をそっと覗いてみると、清らかな人が立っている、子供の仲忠が、
「珍しい、不思議なことだ。琴の音に天人が下ってこられたのでは」
というが、さらに問いただしたいので、苔の簾の内部から、
「貴方はどなたですか。熊や狼を友達にして、世間の人は全く現れないこの山奥にどうして入られたのですか」
兼雅はやはり人がいたのだ、と分かり、
「人が住んでいると言う噂を聞いて、確認のために山に入ったのである」
「長年この山に入り、住んでいますが、このように訪問してくる人もなく、何事があって山に入られてここへ来られた」
と答えて、仲忠は苔の上に空洞から出てきて立った。
兼雅が見ると、目の前の男は着物とは思われないような単衣の古くてよれよれになったのを着ていているのに、立っている姿はそれでも光るように見える容姿である。不思議に思って兼雅は、
「今日は帝の北野行幸である。供奉して参ると不思議な音が聞こえてきたので、その音を尋ねて此処に到達したのだ」
兼雅は腰から下に覆う行縢(むかばき)を外して苔の上に敷き「此方へお出で」と仲忠を苔の上に敷いた行縢に坐らせて、色々と話かける、
「いったい獣でも、このような深い山には虎や狼といったものの他は住まないものであるが、鳥でも、鷲、山鳥なんかは住まない。そんなところに、どういうお考えでまだ年少のそなたが住んでいるのだ」
仲忠は答える、
「この山に入山しまして住み始めたのは、私が六歳の時からです。その後しるべも御座いませんので山を出ることはなかったのです。此処に籠もるようになったのは、思うことがありましたので、理由の細かいことは言うことも有りません」
兼雅、
「此処へ来るまで、厳しい山道を越えて、山の奥に、気味が悪い獣が沢山生息しているのに、簡単に私が来たとは思わないでしょうね。もっと深い事情を話しなさ」
と、責めるので、仲忠は、
「はっきりとは自分の身の上を存じません。母に何回もしつこく聞きましたが、
『父と母を一度になくして、世話をしてくれる人も無くて、心細い生活をしていたのですが、頼りにもならないような人が賀茂詣でのついでに立ち寄られて、少しばかり話をする、そしてお前生まれました』
とだけ話されました。それ以上のことは聞いてはいません」
仲忠の話すのを興味を持って聞いていた兼雅は、過ぎ去ったあの日、京極でのことをふと思い出して、
「もう少ししっかりしたことを話しなさい。そうだお前の言う母上は居られるのか、此処に。居られないのか。不思議なんだお前の話ではごく小さいときからこのような山奥に居るようであるが、どうしてもこのような処に住む人とは思えないのだ。真相を話しなさ」
仲忠は、答えて、
「この地に隠れるようにいますのは、頼りない境遇に生まれてきました私を、また他に知人もなく、母は一つも家事が出来ないために苦労していました。私が三歳になると少しは世の中のことが分かるようになりました。なんとかして母親の世話をしなければと思いましたがその方法が分からないで、ただ、明けても暮れても、どうにかして鳥の声も聞かれないような深い山に隠れ住みたい、そうしないと、今に恐ろしくて嫌な目に遭うことになる。お節介な通りかかった人が、この荒ら屋に人がいる、と中をのぞき込んむようなことになれば、辱めを受け親の面目をつぶし、自分も惨めなことになるだろう。
と、母上は歎かれるので、何年も此処に住まいをしています。
木の実、葛の根など、親に食べさせるものを探して山が見える方を指して探し求めてきて、この空洞を見付けました。こういうことで此処に暮らしているのです。
この空洞を見付けて、さてどうして暮らそうかと考えておりましたら、何処からか童が現れまして綺麗に掃除をしてくれて、母が住めるようにしてくれ、自然に獣たちが木の実や葛の根を持ってきてくれて、このように子供として親を安住させる願望が叶ったので御座います」
「父親にはまだお目にかからないのか」
「全く父上にお会いしたことが御座いません。母もはっきりとは存じ上げている方ではないようです。母は
『父や母が亡くなって一人だけで心細い暮らしをしているときに、その時の大臣が賀茂詣でに家の前を通られたので、行列を見ようと家の端で見ていますと、お前が生まれるご縁があったのだろうか、全く知らない人にお目にかかったが、新年を迎えるまで分からなかったが、今になって思うと今日明日にでも生まれる身体になっていた。
その時にいた嫗が、、今日明日にもお産があるでしょう、と言うのを聞いた。その時以来あの男は一回も現れなくなった。頼りない話であるが、母が亡くなることも有るから、よく聞いておきなさい』
と仰せになった。そういうことで父親のことは総てはっきりいたしません」
作品名:私の読む「宇津保物語」第一巻 としかげの続き 1 作家名:陽高慈雨