見えない僕と私の色
彼が緊張した様子で言ったこと。それは、とても素敵な提案だった。
彼から言い出したのだから、きっと彼もそれがいいと思ってくれているのだろう。
わくわくとも、どきどきともつかない私の心がその提案を手放しで喜んでいる。
私たちは、とりあえずその場で連絡先を交換し、はやる気持ちを抑えながら、後日またこの公園で会おうと約束をした。
彼は、これから用事があるらしかった。
足早に去っていく彼を見送りながら、私も帰路につく。そして、その帰りの バスに揺られながら、私は考えた。
――次に彼と会ったら、何を話そうか。
バスが赤信号で止まる。
もちろん、今までの半生をお互いに共有するのもいいだろう。お互いに、普通とは違う人生を歩んで、打ち明けられない悩みも持っていたのだから。けれど、私はどうしても知りたかった。なぜ私には「色」がないのかを。
彼が知っているとは限らない。けれど、一緒に相談することはできる。相談して、悩んで、それでもわからなかったらしょうがない。世の中に理不尽はつきものだ。でも、相談の過程で答えが見つからなかったとしても、何かほかに大事なことがわかる。そんな予感がする。
オンナの勘、なんていうものではない。ただ、不思議とそんな気がするのだ。
そして、それはきっと当たるだろう。
信号で止まっていたバスが走り出す。私の家の近くにあるバス停まで、あと五分くらいだ。
私は、その五分を彼と話す内容を考えながらつぶすことにした。
用事がある、と言っても大したことではなかった。少し緊張していた自分を落ちつかせるためというのもある。けれど、彼女は逃げもしないし、今まで一人で「色」のことを抱え込んできたんだから、もう少しくらい抱えていても大丈夫だと思ったんだ。
僕は今、映画館に足を向けている。どうしても、見てみたい映画があったからだ。
ほどなくして映画館に着いた僕は、大人のチケットを一枚買った。僕が子供の頃は指定席ではなく自由席で、その気になれば何度も同じ映画を繰り返し見ることができたのだけれど、今ではそんなことをする人もいないし、たぶんできないんだろう。
今回、僕が見る映画の内容はこうだ。
主人公は人の心が読めるという特殊能力の持ち主。そして、その能力故に悩み、苦しみ、果てにはなんとかという組織に狙われる。
周りに、この映画を面白そうと思う人はいなかった。
心を読める、だなんて王道すぎる能力だし、そこから組織に狙われるのもひねりがなくてつまらない。
でも、だからこそ、僕は見てみたかった。自分と映画の主人公が少し重なって見えたからだ。
何も、僕は自分を悲劇のヒーローだとか思っているわけではない。ただ単に、空想でもいいから同じような境遇の人が出した「答え」を知りたかったのだ。
閑散とした映画館が暗くなり、映画が始まる。
そして、気付くと映画は終わっていた。
寝ていた、というわけではない。映画が、思いのほか面白かったのだ。
面白かっただけではない。僕が知りたかった彼の「答え」。彼が死に物狂いで出した、彼の終着点。それは、僕の意識をあっさり変えさせた。
彼は、こういった。
『人の心が読めたって、それが本心とは限らないよ』
結局、はやる気持ちを抑えきれなかった。
私は彼と約束した時間よりも三十分ほど早く公園についてしまった。
さすがにまだ来ていないだろうな、と思っていると、見たことのある背中があった。彼は公園内のワゴンで焼きとうきびを買っていた。
小走りで駆け寄ると、彼は驚いた様子で私を見た。まさか、こんな早く来るとは思わなかったのだろう。右手のとうきびが少しアンバランスで面白かった。
それから自動販売機で飲み物を買い、上手に彼が半分こしたとうきびをベンチで食べながら、私たちはお互いのことを話し合った。
たとえば、いつから「色」が見え始めたのか。
私は、彼が物心ついたころからすでに「色」が見えていた、ということを知って心底驚いた。物心がついたころから、ということは、彼は「色」の無い世界を知らないのだ。彼にとっての世界は「色」があることが普通で、「色」のない世界は異質な物なのだ。
他にも、なぜ「色」が見えるのか、ということも話し合った。
彼はそのことについてはよく考えているようで、特に根拠もないけれど、と前置きして私に仮説を話してくれた。
耳に入った言葉の「色」が脳で処理されているから、私たちには「色」が見える。
彼が言った仮説は、要約するとそういうものだった。逆に言うと、他の大多数の人は「色」が脳で処理されないから「色」が見えないというわけだ。
結局のところ本当のことはわからないけどね、と持論を展開した後彼は乾いた声で笑った。
そして、頃合いを見て私はあることを尋ねた。
あること、というのはもちろん、彼や私の「見えない色」についてだ。
すると、彼は難しい顔をして考え込んだ。
その質問は来るだろうと僕も思っていた。僕だって気になっていたことだし、当然彼女だって気になっていただろう。
けれど、僕にはその答えがわからない。
他の人には見えない「色」。
みんなはあるのに、僕や彼女にだけなかった「色」。
そもそもが、理不尽でおかしいことの連続なのに、答えなんてわかるはずもない。
僕がそういうと、彼女は笑いながら、やっぱりそうだよねと言った。
少しの沈黙。この前もいた鳩たちが、僕たちのもっているとうきびをよこせと集まってきた。彼女がとうきびを何粒かつまんでそれを鳩に投げる。
鳩がとうきびを食べる様子を見ながら、彼女はゆっくりとした口調で、疲れちゃうんだ、と言った。
僕が聞き返すと、彼女は続けた。
言葉の「色」が見えることで、人とうまく付き合えない。いざ嫌われたら、それが一目でわかってしまうことが怖くて、相手の「色」ばかりを見て接してしまう。それが疲れる。
彼女はそういった。
普通の人は他人に嫌われても、そうと気付くことはあまりない。相手の対応があまりにも露骨に嫌がっている場合は気付くけれど、ほとんどの人はそうしないはずだ。
でも、僕たちは「色」で簡単にわかってしまう。わかるのが怖くて、人とうまく接することができない。
……けれど、僕たちは傲慢だったのではないか?
この前見た映画の主人公のセリフ。
『人の心が読めたって、それが本心とは限らないよ』
これは、僕たちにも当てはまる。
人の気持ちが見えたって、それが何に対しての感情なのか僕たちにはわからない。
突然、「色」が怒っているものに変わったとしても、それが僕に対してのものなのか、実は全然ほかのものに対してなのか、僕たちにはわからないのだ。
感情がわかると言っても、結局僕らは相手に聞かなければ相手のことはなにもわからない。そんな中途半端な「色」なんかにおびえるのは、きっと、とても馬鹿馬鹿しいことなんだ。
僕らはそれに気付かないで、勝手に苦しんでいたんだ。