エッセイ集:コオロギの素揚げ
創作裏話 小倉黒人米兵集団脱走事件(1950年7月11日)
この事件を知ったのは今年7月、パソコンの使用をやめて読書に集中していた時である。松本清張氏の『黒地の絵』を読んだことによる。
朝鮮戦争が6月25日に始まり、アメリカ兵が小倉市(現在は北九州市)の城野補給基地から韓国に向けて、次々に送り出されていた最中の事件である。白人がほとんどだった基地には、すぐに黒人ばかりが送られてくるようになっていた。
7月11日午後9時過ぎ、約250人の黒人兵が武装して外に通じている土管を通ってキャンプを抜け出し、数名に分かれて繁華街や周辺民家に侵入し、破壊、略奪、暴行傷害、強姦などを働いたのである。
占領軍の城野補給基地(兵営)は旧陸軍の補給廠の建物をそのまま使用し、およそ2万坪の広さがあった。周囲は鉄条網が張り巡らされ、探照燈が照らし出していた。
兵営の庭から道路わきの溝に通じている大きな土管は、それまでにも兵隊が、深夜抜け出して翌未明に戻って来るのに、度々使われていた。にもかかわらず、衛兵はその土管を警戒することはなかった。
米兵による市民の事故も増え、一家惨殺、という殺人事件も起きているが、それらは情報規制により、決して報道されることはなかった。
口から口へ伝えられるだけで、市民は米兵を警戒することはなかったという。
黒人兵は、次々に補給されては釜山に送り出されていた。最前線に投入されることを知っていた彼らは、自暴自棄にもなっていた。
いつ何が起きるか分からない状態にもかかわらず、米軍司令官も、MP(米軍憲兵隊)も、小倉市長も、警察ものんきに構えていたのである。
以上は、松本清張氏の『半生の記』の[絵具]という副題の部分に記載されており、ネット上には、『黒地の絵』から引用されたとおぼしき内容が多数見られた。
山崎豊子氏のように、社会派小説を書きたい私にとっては、黙っていることができない。ほとんどの人が知らないでいる事実を、新たな表現ででも残しておかなければならないのではないか、と考えた。
どのような構成にするか、かなり迷った。
女性ジャーナリストがその事件を知って、SNSを駆使してレイプされた女性を捜し出し証言を得る、というスタイルを考えたが、今も御存命である当事者にとっては、あまりにも残酷な過去の出来事を蘇らせることは、二重の深い傷を与えることになるのだと、作中であってもそれは出来なかった。
ほとんど読まれもしない、たかが素人の小説ではあるが、すべてを暴いてよい、というものでもないだろう。といって、私が真実を知っているわけでもない。想像するだけのことに、そこまで配慮する必要はないのかもしれない、とも思いつつ・・・。
深い内容に掘り下げていくことも出来ない程度の力量だと、自覚している。
2014年12月25日
作品名:エッセイ集:コオロギの素揚げ 作家名:健忘真実