エッセイ集:コオロギの素揚げ
小説に対する山崎豊子氏の姿勢を慕って
毎年のことだが、夏の間は肩の凝らない本を読むことにしている。
どんな本かとゆうと、マンガである。500冊以上ある蔵書を毎年飽きもせず、今まで何回繰り返して読んできたことだろうか。
なぜかとゆうと、どんなに暑くてもエアコンを使用するのが嫌いで、暑さで頭の働きが低下しているから難しい本を読んでも頭に入らない。
小説を書いても満足いく内容にならない。
また、パソコンの使用は5年目に入ったが、今年はほとんど起動させずに過ごした。廃熱に耐えられないからである。それと購読しているウェブサイトで、あるジャーナリストが『今夏は原発が一基も稼働しないので、需要が供給量を上回ると大停電が起こる可能性がある、産業界にとっては早く原発を稼働させないと混乱が生じる(要約)』と書いた記事に対し、『太陽光発電が普及してきて、原発の必要性はない。皆で節電しよう(要約)』とゆう意見を書きこんだことで、私としては、お笑いかもしれないが、今まで以上に節電に励んだのである。
4年前に受けた大学の公開講座で教えられたのは、データーセンターでの消費電力は、1検索当たりコーヒー1杯分。それを自分で計算してみたら、約14ワットとなる。今年の講座では、1クリックで5ワット消費する、と教えられた。
(NTTグループの電力消費量は、日本の電力消費の1パーセント)
さて本題だが、今年の夏は酷暑とならなかったので、頭の方も少しは働いていたようだ。マンガではなく小説に熱中できた。
昨年逝去された山崎豊子氏の初期作品はまだ読んでいなかったので、全集の一巻から図書館で借りて読んでいったのだ。読み始めたら最後まで続けないと落ち着かないため、涼しくなったら私の小説の続き(第1部を他のサイトで公開)を書いていこうと思っていたのに、それは10月初旬までかかってしまったのであるが。
初出品の『のれん』と次の『花暖簾』。大阪船場生まれ、育ちの嬢さんだった山崎豊子氏の経験が主体となっている。なるほど、巨匠といわれた作家でも、初めは身近で知っていることから小説を作っていくものだと、改めて納得したのである。
毎日新聞の記者であったことも、その取材力が大いに物を言い、その後の作品すべてが徹底した取材に基づいている。妥協を許さず納得できるまでは書き始めないとゆう。私には到底真似できないが、しかしだからこそ深みのある、読んでいてリアルさを感じる胸に迫る小説が出来上がるとゆうものだろう。
『小説を書くということは無から有を生み出すのではなく、100の物事を1にまで削りこんでいく作業である』
何かで読んだ言葉である。
自分の体験や知識の範囲からでしか、小説を書きようがない。故に絶えず見聞を蓄えていかなければならない。それを再認識させられた夏であった。
山崎豊子氏は、書かれた小説の舞台裏のことなどをテーマとしたエッセイも書いておられたことを知り、彼女を尊敬する私はそれを真似て、再びエッセイを書いてみようか、と思った次第である。
2014年10月15日
作品名:エッセイ集:コオロギの素揚げ 作家名:健忘真実