愛されたがりや
「夏樹?ねぇ、いるんでしょ?私、翔子よ?ねぇ、開けてよ」
私はドアを叩きながら、そう叫んだ。
隣近所の迷惑も顧(かえり)みず、私はその動作を執拗以上に繰り返した。
夏樹に会うまでは帰らない。
いや、帰りたくない。
今日は、どうしても夏樹に会いたい。
でも、夏樹に会ったからといって、これといった用事はない。
それでも、今日だけは会いたい。
会って、ただいつものように夏樹と時間を過ごしたいだけ。
夏樹の腕で抱き締められたいだけ。
だって、ずっと会いたかったのだから。
「翔子、いい加減にしろよ!近所迷惑になるだろ」
そう怒鳴って、ジーンズだけ穿(は)いた姿の夏樹が、少し開けたドアからスルリと出てきた。
そして、私の前に立ちはだかるようにして、後ろ手でドアを閉める。
そんな夏樹の行動に少しだけ疑問を持ったものの、すぐにそれらは気にならなくなった。
夏樹に会えたことが、私には嬉しくてたまらなかった。
久し振りに会う夏樹は、やはりいつ見ても美青年でカッコ良い。
いや、今日の夏樹はいつも以上に素敵だった。
シャワーから上がったばかりだろうか、洗い立ての髪から雫(しずく)がポタポタと落ち、程好く引き締まった上半身を濡らす。
手を伸ばすと、夏樹の肌に触れられる距離に、私はもどかしさを感じた。
触れたい。
夏樹に。
その胸に顔を埋めたい。
私の夏樹に。
抑え切れない衝動が、私に走る。
「いったい、なんだっていうんだよ?」
伸ばした私の指先を制するように、夏樹は声を押し殺して怒りを露にした。
「あ……、アタシ……。ご、ごめん。ごめんね……。夏樹が、シャワー浴びてたなんて、知らなくて……。ホント、ごめん……」
「で、用件は?」
そう言って、夏樹が迷惑そうな顔をした。
「用件……?」
「はあ?用事があるから、しつこく俺を呼んだんだろ?違う?」
「そうだけど……」
冷たい態度を続ける夏樹に、会って沢山話したかった言葉達がどこかへと消えていく。
久し振りに会った夏樹は、いつもの夏樹と違って見えた。
あの優しかった夏樹の姿は、今はどこにもいない。
「で、なんなんだよ?」
「………。」
「あのさ?用事がないんなら、もう来ないでくれる?そういうの迷惑だから」
「迷惑……?」
「はあ?当たり前だろ?俺達は、もう終わってんの。だから、こうしてお前と会う理由なんてないんだ。それに、連絡すんのもやめてくれる?」
「終わってる、って?私達が?嘘よ、嘘。私が納得してないのに、そんなことあるはずがない」
「だから、いい加減にしてくれよ」夏樹が呆れた顔をする。「言ってるだろ?別れたい、って。1年も前からさ。それなのに、お前、なかなか納得しないから、こんなふうにズルズルしてさ……。もう、イヤなんだよ!お前の、そのウザイところがさ。なぁ、お願いだからさ、これ以上お前を嫌いにさせないでくれよ。お前と付き合っていたことを、俺の中の汚点にさせないでくれよ。頼むからさ」
そう言って、夏樹は最後に会った時のように、憐れんだ表情を私に見せた。
「やだぁ……。やだよぉ。お願いだから、別れるだなんて言わないでよぉ。アタシ達、付き合ってもう3年だよ。ホントは、もう結婚して一緒になってもいい頃なんだよ。ねぇ、違う?もし、アタシに悪いところとかあるんなら、アタシ、一生懸命直すから別れるだなんて言わないで。ねぇ?お願い。私を一人にしないでぇ。ねぇ、夏樹ぃ……」
これで何度目だろう。
同じシチュエーションを、こうも飽きずに繰り返している。
別れ話は、お互い納得した上でしか成立しない。
だからなのか、私達はいつも平行線を辿っている。
私と別れたがっている、夏樹。
夏樹とどうしても別れたくない、アタシ。
だから、この別れ話は絶対に成立はしない。
それに夏樹は、1年も前から私に別れを告げているというが、私にはつい最近のことでしかない。
だって、私はまだ夏樹を愛しているのだから―――。