愛されたがりや
夏樹の決意は、そこで更に固まったのだろう。
部屋のスペアキーをテーブルに置き、じゃ、とだけ言って出て行ったのだから。
「私はイヤだからね!絶対に、ぜーったいに、夏樹とは別れないっ!別れないからっ!」
部屋から出て行こうとする夏樹の背中に、私は叫んだ。
けれど、夏樹は立ち止まることなく部屋から出て行ってしまった。
遠ざかる夏樹の背中。
そればかりが繰り返し蘇る。
どうして?と考えあぐねても、答えは分からない。
分からないから、何度もその場面が繰り返されるのだろう。
だから、こうして目を閉じると今もその部分だけがクローズアップされ、そして再生される―――。
現実に引き戻されるかのように、携帯が鳴った。
夏樹?
私は、慌てて携帯を手にする。
昨日のことは、ごめん。ホント、ちょっとした冗談だよ。だから―――。
そんな淡い期待を寄せながら、私はディスプレイを覗く。
「なんだ……」
知っていた。
相手が夏樹じゃないことくらい。
でも、どこかで期待をする自分がいる。
昨日のことは嘘だよ、と夏樹が言ってくれることを―――。
私はそれらを思い浮かべながら、電話に出るか出まいか、と悩んだ。
今は、夏樹以外の誰とも喋りたくない。
それなのに、携帯の着信音は切れずに鳴り続けていた。
「何、お母さん?今、忙しいんだけど」
「何?って……翔子、いるならさっさと出なさいよ!」
甲高(かんだか)い声を出し、母、さき子が怒鳴った。
母との会話は、いつもケンカで始まる。
だから私も、母に負けじとつっけんどんに言い放った。
「で、何よ?私、もう会社に行かなくちゃいけないから、そんなにゆっくりと喋ってらんないんだけど?」
「いい、翔子?驚かないで、聞いてちょうだい」
さっきとは打って変わって、母が改まった口調で言う。
けれど、相変わらずな私は、そんな母に対しても冷たく言い放った。
「だから、何?どうでもいい話なら、夜にでもまた電話ちょうだいよ。私、忙しいの。じゃ」
今は、夏樹以外の人とは話したくない。
たとえ、それが身内だとしても。けれど、母は私に電話を切られまいとして話しを続けた。
「お、お父さんが……、お父さんが、今朝、な、亡くなったの……。翔子……」
そう言ったまま、母は黙った。
泣いているようにも思えた。
「――そう……。私、今仕事が立て込んでて、忙しいんだよね。だから、帰れる時に帰るから」
「しょ、翔子、あんた……」
そう言って、母が言葉を失う。
あたり前か……。
と納得するも、やはり今は、父の死よりも、夏樹との別れ話の方がダメージは大きい。
だから、今は何があっても実家に帰るわけにはいかない。
「話がそれだけなら、切るね。私、そろそろ会社に行かないと、遅刻するから」
と言って、母の返事を待たずに電話を切った。
なんて残酷な娘なんだ、と母は思っただろう。
私だって、父が死んだと聞いて、良かった、なんて思ってはいない。
ちゃんと驚いたのだから。
でも、それ以上の感情は溢れてはこなかった。
どうしてだろう……。
と考えているところに、また携帯が鳴った。
今度こそ、夏樹だ。
未練たらしい私は、握り締めていた携帯のディスプレイを覗く。
虚しさが溜まり始めていた。