愛されたがりや
「もしもし?何?」
「ねぇちゃん、バカだろう?」
弟、佑斗の第一声。私と母のやり取りを聞いていて、それで電話をしてきたのだろう。
弟の行動が目に浮かぶ。
「で、何?」
「母さん、泣いてたぞ」
「バカね、あんた。それは、お父さんが亡くなったからでしょうが」
「ちげ〜よ!ねぇちゃんのせいだろ?母さんが泣きながら、いつからねぇちゃんはそんな薄情な子になってしまったんだ、って言ってたんだからな」
「あっそうっ。で、あんたは、そんなことを言うために、わざわざ電話をしてきたってわけ?あんたには、ホント呆れるわ〜」
「な、なんだよ、それ〜」
弟がムッとしながら言った。
「薄情なのは、元々よ。そんなこと、改めてあんたに言われなくたって、自分でもよ〜く分かってるわよ。それより、今忙しいんだって!もう、電話してこないで!」
母と同じく、弟の電話も有無を言わさず一方的に切った。
急に部屋の中がしんと静まり返る。
いや、元々静かだったのかもしれない。
昨日からずっと殺気立っていた私は、それに気付かなかっただけ。
だって、夏樹の声がずっと耳から離れないでいるのだから。
私の耳もとで、あの夏樹の心地よく響く声が今でも残っているのだから―――。
私は、天を仰ぎ浅く息を吐いた。
薄情な子、か……。
そう呟き、弟の言葉を反芻(はんすう)する。
そして、家を出たきり帰らなくなった実家を思い出した。
今、実家にいるのは、父、母、兄の一斗と弟の4人暮らしだ。
家を出たのは私だけ。
と言っても、兄は長男だから家を出ない。
弟は、大学を卒業して社会人になったばかりで、実家を離れて一人暮らしはまだ考えていないだろう。
二つ違いの兄と私、そしてそれより少し歳が離れている弟は、甘やかされて育ってきた。
自立、という言葉とは無縁で生きているようなものだ。
それに、何よりも弟は母親が大好きなマザコンである。
だから、兄に出て行けとでも言われない限り、弟は母親のそばを離れないだろう。
兄も、弟も、両親との仲は良好といえる。
そんな4人のことだ。
家族として、仲睦まじく穏やかな生活を送ってきたのだろう。
けれど、今日父が亡くなった。
残された3人は、これからどうやって生きていくのだろうか、と私は他人事(ひとごと)のように思った。
やっぱり、私は薄情なのかもしれない。
父が死んだと聞かされて暫らくの時間が経ったにもかかわらず、涙はおろか、打ち拉(ひし)がれるような悲しみも襲ってもこない。
それだけ、父との関係が希薄だったということなのか。
親子であって親子ではない、お互い疎(うと)ましい関係だったことは明白で、そして何よりも他人のように遠い存在でしか思えないのだから。
そんな関係なのだから、次第に話すことも、顔を合わすこともなくなり、居心地が悪くなっていくのは当たり前のこと。
そのうちに、私に疎外感だけが付き纏うようになっていったのだから。
私はそんな生活から逃れるため、高校を卒業と同時に地元を離れ札幌に行くことを決意した。
そのことに、父は反対をした。
何故、父が反対をしたのかは分からない。
たぶん、単なる嫌がらせなのだろう。
私が嫌いだから。
そんな父の反対を無理矢理押し切り、その苦痛から逃れるために、実家のある帯広を逃げ出した。
それから10年。
実家には、ほとんどというより全く帰っていない。
帰ったとしても、きっと私の居場所はないだろう。
だから、どんなことがあっても帰らなかった。
いや、帰りたくなかった。そんな場所になんか………。
そぐわない関係とは、親子という関係も壊すのだろうか―――。
携帯を握り締めたままぼんやりしていた私は、外界から聞こえてきた車の轟(とどろ)きで我に返った。
あっ、会社?
ふと時計を見ると、もう出勤しなければいけない時間だった。
慌てて、泣き腫(は)らしたむくんだ目に目薬をさし、アイメークを入念にする。
それでも、今日の顔は最悪だった。
出来れば休みたい。
そうも思ったけれど、やはりそうもいかない。
皆に迷惑を掛けることはしたくなかった。
だから私は、自分に気合を入れ、目の眩(くら)む太陽の下を颯爽(さっそう)と歩き、会社へと向かった。