愛されたがりや
その日、北海道の夏には珍しい、とても蒸し暑い一日だった。
鳴きやむことのない蝉時雨はやけに耳障で、私に不快感を与え続けていた。
そんな真夏なのにもかかわらず、何故か私の身体はとても冷え冷えとしていて、凍えるような寒さがどこからともなく私に吹き付けていた。
怒涛(どとう)の如く、長い一日が終わっていった。
家には、もう父の姿はない。
遺灰となって、小さな骨壷に収められて置かれている。
あるのは、父の残した想い出と残像だけ。
それも、いずれは消え去っていくのだろう。
死んでしまうと、皆忘れていく。
忘れてしまう。
思い出すことがあるといえば、お盆とか、年回忌だけ。
それもいずれは忘れていくのかもしれない。
私には、元々父はいなかった。
と記憶をすり替えて、その存在すらも忘れていくのかもしれない。
もしそうなったのなら、それはそれでいいのかもしれない。
私達親子は、元々がそんな薄い親子関係で結ばれていたのだから。
「ねぇ、翔子?」
父の遺影をボーッと見ていた私に、母が声を掛けてきた。
「ん?何?」
「あんた、今日この部屋で寝てもらえない?」
「えっ?この部屋って、仏間に?え〜、イヤだよ〜。他にも部屋があるじゃない」
「それが、今晩母さんや、お父さんのお友達が泊まるから、寝る部屋が足りないのよ。佑斗の部屋も使うけど、それじゃ足りなくて……」
「じゃ、叔母さん達がここで寝ればいいんじゃない?」
「そうもいかないでしょ。やっぱり……」
「え〜、じゃ佑斗は?」
「お兄ちゃんの部屋とも思ったんだけど、光恵ちゃんも泊まっていくっていうから、佑斗は仕方がないからお母さんの部屋で寝ることに決まったのよ」
その母の言葉を聞いて、マザコンめ!と呟き舌打ちをした。
母も母だ。
普通であれば、娘の私が母と一緒に寝て、弟がここに寝るべきではないのか、と思う。
けれど、そうじゃないということは、やはり10年という長くて短い歳月が、母と娘よりも、母と息子の関係をより重視し深い絆で結ばせたということなのだろうか。
「じゃ、翔子。そういうことだから、お願いね」
と言って、母はキッチンへと行ってしまった。
帰ろうかな……。
母の背中を見ながら、ふと思った。
初七日までいるかいまいか迷っていた矢先に、こんなことになるなんて思ってもいなかったのだ。
究極の選択。
今日一日だけ我慢してここに寝るか、それとも帰るか―――。
「お母さん?これ、ここでいいですか?」
「えぇ、そうね。そこでいいわ」
慌ただしく、母が晩ご飯の準備をしている。
その傍(かたわ)らで、先程名前を知った兄の彼女、光恵さんが甲斐甲斐しく働いていた。
私以上に、母の娘らしく。
親戚の叔母さん達にもウケが良いらしく、皆に「ミッチャン、ミッチャン」と呼ばれ、自然に溶け込んでいた。
その様を見て、嫉妬なのか、鬱屈なのか、疎外感なのか、何か得体の知らない感情が芽生える。
もうここには私の居場所はない、と再度確認することもないのに、どうしてだろう、淋しさが私に襲い掛かってくるのだった。