愛されたがりや
駅からタクシーを拾い、数十分掛けて実家に辿り着いた私は、久々の実家を眺めた。
懐かしくもあり、忌(い)まわしくもある、2階建ての一軒屋。
変わらない風景がなんともいえず、私から知らない感情を溢れ出させた。
自然と足が竦(すく)む。
数メートル先にある敷地内に入ることを、私は躊躇(ためら)った。
このまま踵(きびす)を返し、札幌に帰りたくなる衝動にかられる。
ふと玄関を見ると、ドアには『忌中』の文字が張り出されていた。
その現実を目(ま)の当りにして、あぁ、本当に父が亡くなったのだ、という実感が少しだけ帯びる。
けれど、そう思っただけで他には何も感じない。
悲しい、とか、淋しい、とか、泣きたい、とかの感情も、想いも、何も沸き上がることはなかった。
ただただ私の心は冷やかに醒めていった。
浅く息を吐き、意を決するように玄関のドアを勢い良く開けた。
嗅ぎ慣れた実家特有の匂いと交ざり合うように線香の匂いが鼻についた。
そして、部屋の奥では読経が聞こえていた。
お寺の住職が枕経をあげているのだろう。
あまり広くのない玄関には、何足もの靴が乱雑に脱がれていた。
数少ない親戚が、既に集まっていたのだ。
私もそれに交じり靴を乱雑に脱ぎ捨て、皆がいるであろうリビングへと向かった。
「あら、翔子ちゃん?久し振りね。元気だったの?」
リビングに現れた私にいち早く気付いたのは、近くに住んでいる父の妹だった。
「はあ……。お久し振りです……」
私は曖昧な返事をして、仏間に横たわる父の姿を眺める。
顔は白い布で覆われていて、どんな顔をしているのか分からなかった。
そのそばには、母が肩を落とし憔悴し切っていた。
あたり前の話かもしれないが、少しというかだいぶやつれたようにも思う。
母の隣には、勿論兄ではなく弟が寄り添っている。
兄は少し離れたところに座り、手を合わせ毅然(きぜん)とした態度で読経を聞いていた。
その姿を見て、私は初めて長男である姿を目にしたような気がした。
よく見ると、兄の隣には見知らぬ女性の姿があった。
彼女だろうか。
結婚した、という知らせは届いていない。
それに、私に内緒で結婚するとは考えにくい。
なら、きっと彼女だろう。
けれど、その場にいるということは、やはりゆくゆくは私の兄嫁となる人なのだろう。
ますます、帰りづらくなったじゃないか………。
「どうしたの?そんなところに、突っ立って。早く、お父さんの顔を見て上げなさいな」
叔母が気を利かせてなのか、お節介にも父のそばに行かせようとする。
「い、いや……、そのぅ……。ま、まずは、荷物を置きたいな……って、思って……」
「あら、そうなの?なら、早く置いてらっしゃいな。もう、お経が終わっちゃうわよ」
「はい……」
と返事をしたものの、私の部屋はもうないだろう。
けれど、父の遺体があるその部屋から、とにもかくにも遠ざかりたかった。
慣れない線香の匂いと、父のために集まった人達の密接した空間に息苦しさを感じたのだ。