連載小説「六連星(むつらぼし)」第26話~30話
「あたりまえだ。新聞紙が、防備の役にたってたまるもんか。
新聞紙を腹に巻くのは、せいぜい寒さしのぎか、
やくざ映画を見過ぎた者だけだ。
まぁ、出血をした場合は、多少の血止めになるかもしれんが・・・
機能的には、何の役にもたたん」
残りの処置を看護婦に任せて、医師の杉原が響の背中を押して外へ出る。
岡本と俊彦が、手持無沙汰のまま廊下で待っている。
深夜の連絡を受けて飛んできた岡本が、心配顔が寄ってきた。
岡本の背後には愛人の美人ママが、血の気を失った白い顔のまま、
ぴったりと寄り添っている。
「日本刀などの鋭利な刃物の場合でも、殺傷するためには一直線に突き刺す。
それが刃物を使う、プロたちの共通したやり方だ。
そうなれば、新聞紙などでは、まったく何の役にもたたない。
おい、岡本。前近代的な防御方法を若いものに教えるな。
つまらん知識は、あとで、大怪我のもとになる」
「なんだ。新聞紙では防御の役に立たんのか。
東映映画の高倉健は、殴り込みの前に、腹にさらしを巻いていたが
それも実戦では役にたたんのか?」
「あたりまえだ。
果物包丁や、安物の刃物なら役にたつこともあるが、
鍛えられた鋭利な刃物の前では、切れ味が良すぎて、何の防御にもならん。
前もって包帯を巻いていると言う程度の、状態だ。
衣類を用いて、刺される前に身体の前で防御をした方が、
よっぽども実戦的だ。
大学を出た割には、前近代的な迷信を未だに信じているようだな。
岡本組長は」
「医者の割に、つまらんことまで良く知っているなぁ。お前は。
さすが、極道の本場の広島から帰ってきただけのことはある。
見上げたもんだ。
原爆病を見るのが専門だと思っていたが、それ以外に、
任侠道まで手掛けるとは、実に大した博識だ」
「そんなことよりも、警察の連中が来たら厄介になる。
お前さんところの身内ときけば、一般人の喧嘩沙汰では済まなくなる。
相手の男のほうも、どこかの組のチンピラのような気配がある。
そうなると警察も、ただの殺傷事件では済ませないだろう。
痛くない腹まで探られることになる。
いまのうちに手を打っておいた方が、お互いのためだな」
「その件なら、もう大丈夫だ。
英治はすでに、俺の組からは『破門』にした。
といっても英治は、正式に組で面倒を見ていたわけじゃねぇ。
俺が3年間、『使い走り』として手元に置いていただけだ。
『クビだ』と俺がいえば、それで今までの関係は帳消しになる。
トシに説教されるまでもなく、そろそろクビにしょうと考えていた矢先だ。
心配するな。英治の治療費は、全部、俺が出す。
そんな訳だから、あとのことは、いつものように上手くやってくれ。
頼んだぜ。同級生よ」
「わかった。相変わらず手回しの良いことだな。こちらもそれで充分だ」
響が見つめている中、男たちは簡単に話の決着をつけてしまう。
男たちは、お互いの顔を交互に見つめ合った後、まるで何事もなかったように、
撤退の支度をはじめる。
煙草をくわえた杉原医師は、『じゃあな』と手を振りながら廊下を去っていく。
「俺たちも引きあげようぜ」と、俊彦と岡本もくるりと背中を向ける。
白い顔をしたままの愛人も、あわてて2人の背中を追いかける。
呆然と眺めていた響も、(じゃ、私も帰ろう)とつられて歩き出す。
響の足音に気がついて、俊彦が振り返る。
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第26話~30話 作家名:落合順平