連載小説「六連星(むつらぼし)」第26話~30話
市内から近いため、散策する人の姿が多く見られる。
その中に、登山姿の人たちが見えるのは、この公園をスタートラインに
山頂までのハイキングコースが、綺麗に整備をされているためだ。
吾妻山の山頂までの、1時間余りのハイキングコースは、市民に人気が有る。
関東平野北端の最初の高台からは、埼玉や都心方面までの
大きな眺望が楽しめる。
山歩き入門の手軽なトレッキングコースとしても、人気を集めている。
「吾妻(あずま)山へも、良く登ったわ、あなたと」
ねぇと、清子が振り返る。
俊彦はまったく思い当たらず、小首をかしげる。
間合いを詰めてきた清子が、そんな俊彦を怖い目で睨む。
どれだけ見つめられても俊彦には、何故か、その時の記憶が
よみがえってこない。
清子の放つ『金木犀(きんもくせい)』の香りが、急接近をしてくる。
「貴方の事だから、記憶に無いし、思い出すこともできないんでしょ。
あれから30年も経てば、どうでもいい中学時代のささいな出来事なんか、
ほとんど忘れてしまっているわよねぇ。
この道から登り始めて、吾妻山の頂上まで、何度も往復しました。
途中で夕立に降られたことがあったでしょ。
傘がなかったもので、貴方と肩を寄せ合って大きな木の下で、
ドキドキしながら止むまで、雨宿りをしました。
坂道でわざと足を滑らせて、転んだふりをして抱き付いたこともあります。
あなたに、キス寸前まで迫ったことも有ったのよ・・・
ええ、ぜんぶ覚えていないの?。いやだわ・・・・貴方たら。
本当に、なんにも覚えていないのね。
乙女が、あんなに頑張って、いろいろあなたに仕掛けたと言うのに、
あなたったら、なんにも覚えていないのね。
いやになっちゃっうわねぇ。だから、薄情な男は、大嫌いなのよ!」
「意外に、君の胸のふくらみがふくよかだった、ということなら、
かすかにだが・・・・覚えている」
「なんだあ・・・・ほら、やっぱり覚えていたくせに。
そういえば、卒業式の日も、みんなで此処へやってきて歌を唄ったわね。
哲学の小路を、何周もあなたと歩いたのよ。
カップルが次々に消えてしまって、気が付いたら残っていたのは、
私たち2人だけだった。
なんであの時あなたは、わたしを、
口説いてくれなかったんでしょうねぇ・・・・」
哲学の小路と言うのは、谷底を見下ろしながら周遊する散策道のことだ。
茅葺(かやぶき)の小屋が有る周辺では、山吹の花が群生をする。
木立ちの隙間から見下ろす、花菖蒲畑(はなしょうぶ)の湿地は絶景だ。
梅や桜の花が満開の時期をむかえると、恋人たちは、
立ち止まるための絶好のポイントを探して、何度も哲学の小路を周遊する。
周遊する小路とは別に、小高い丘へ、直線的に登る急な坂道が有る。
急すぎるため、坂道には等間隔に、丸太が階段状に埋め込まれている。
谷側にだけ、転落防止のための、木の手すりが設けられてある。
周回道路で高度を上げていくと、頂上まで行くのに20分近くかかるが
この坂道を行けば、半分ほどの時間で丘の頂上へ着く。
「ねぇ・・・」清子が立ち止まり、早くも白い指先を伸ばしてきた。
中腹まで登りかけていた俊彦が、苦笑いを見せて戻ってくる。
「中高年になると、デートのときにも色気が欠けてくる。
腕を組むならまだしも、息があがったから、手を引いてくれとは、
実に、情けない」
「お姫様抱っこでも、かまいません。私は」
「重すぎるだろう。今のお前さんの体重では・・・・」
「失礼しちゃうわねぇ。まったく。
脂肪は増えましたが、体重はそれほど増えておりません。
でもさ。無理なことをお願いして、ぎっくり腰にでもなったら藪蛇ですね。
うっふふふ・・・・ほんとだ。これでは色気が足りません。
長年の恋心も、冷凍庫のように、急速に冷めてしまいます。ねぇ、あなた」
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第26話~30話 作家名:落合順平