悠里17歳
「おーい!」
私たちが気をもんでいるところにトンネルの下の方から、威勢のいい声が聞こえてきた。私よりも遠くまで通る聞き覚えのある男子の声だ。その声の主は私たちを捉えると、まっすぐにこちらの方へ上ってきた。
「何しとう?」
「あ、ちょうどいいところに」サラはニヤリと微笑む。
「なになに?」
「写真撮ってくれん?」
声を掛けたのは篠原健太君、剣道部の主将だ。どういうわけだか高校三年間私と同じクラスでかつ剣道部員なのは私と彼だけなので、いつも同じグループに括られてしまい、さらに、ところ構わず私を見かけたら普通に声をかけてくるので、ちょっと恥ずかしい時がある。
しかし、彼は稽古が終わると一人練習用の木刀で素振りをしてから帰る練習熱心な男子だ。自分的にはチャラチャラした男子より、硬派な彼の姿勢は嫌いじゃない。
「ああ、いいよ……」篠原君がカメラを構えると私たち三人は並んでポーズをとった。「じゃあ、俺の頼みも聞いてよ、倉泉ぃ」
シャッターがおりた直後、私の方を向いた。上手いタイミングでしてやられた。
「撮る前に言うてよ、そういうの」
少し膨れた顔を見て得意気に笑っている。
「あのさ、次英語で当たるんやけど、ちょっと教えてくれへん?」
「えーっ、またぁ……」
「私だったらなんぼでも教えたげるよ」
口を挟んだのはサラだ。
「うーん、サラの和訳って何かちょと変だしなぁ」
「それどういう意味よ」
「まあまあ……」
ちょっと膨れたサラの顔を見て今度は私が間に入った。
「倉泉は英語すごく出来るやん、クォーターなんでしょ?」
「え?……うん」私は下を向いた「確かにそうだけど、私、生まれも育ちも神戸やからその言い方、もうひとつピンとこうへんの」
「じゃあ何で英語わかるん?」
「それは家や学校で勉強したからで、クォーターだからコトバわかるってのは大間違いよ」
「そうだよ。外国にすんでたら日本人も日本語話せなくなるよ」
今度は晴乃がフォローしてくれた。
私はクォーターであることは間違いないし、否定をするつもりもない。でも自分から言わないと決めている。言えば答えたくないことも答えなくちゃいけないし、何より面倒だ。そうすることがこの国の社会を円滑にたち振る舞う方法であることは自然に学んだ。
あまりふれて欲しくない情報であることを暗に示して言うのだが、同じ剣道部の主将には私の行間が読めていないようだ。
「ほーら、悠里が困っとうやん」
サラが間に入ってきた。私の心中を察するといつも二人がブロックに入ってくれる。
次の言葉に詰まってしまい私は下を向いたまま何も出来なかった。いつもこうだ、引っ込み思案な自分の性格が恨めしい。
「ホント倉泉は面を取るとキャラ変わるよな?」
篠原君の言う通り、私は内気な方だと思う。目立とうと思うことはないし、目立てるような特技もない。でも、道場で面を付けると活発な悠里に変身するのが自分でも不思議だ。
彼の言葉に悪気はない。むしろ場を和ませようとフレンドリーに話す。しかし、悪気のない言葉は悪意に満ちた言葉より鋭利に人の心に入ってくる時がある。
私たちはトンネルを下りきったところで足を止めた。分かれ道だ。
「行くよ、健ちん」
「わっ、何すっだよルノ……」
「じゃね、サラ、悠里。明日『Q』で」
「オーケイ」
小学校からずっと同じ学校だった晴乃と篠原君はにこれから電車に乗って帰宅するので、駅の方へと坂を降りていった。剣道部の主将も晴乃に弱みを握られているかのように逆らわない。実際に晴乃の方が少しだけ背が高いので、力関係もそのように見えてしまう。
「あーあ」
「ルノは篠原君には強いよねぇ」
「うん、ホンマ……」
普段はおとなしい晴乃、だけど篠原君は知り合って長いのか彼にだけは夫婦漫才の如く当たりが厳しく見えるのが余計に可笑しく見える。
私とサラは坂を下りる二人を見送った。目線の先に見える港の風景から、大きな汽笛の音が聞こえてきた。