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悠里17歳

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8 特にない



 部活も終わった午後6時。晴乃は生徒会、サラは文化祭の実行委員で今日は一人の下校になる。
 私は一人トボトボ校庭を歩いていると校門の前で私を待つ人影が見える。コンタクトを入れてるからではなく、その姿が醸し出す雰囲気で遠目でもそれが誰か分かる。小さな手を引いてここまでやって来た私の母、倉泉昌代と三歳になる甥っ子の聖郷だ。
「ゆーりねーね!」
 聖郷は私を確認すると校門を抜けて私に向かって一直線に走ってきた。
「お母さん」聖郷を抱っこして、お母さんが遅れて来るのを待った。
「きーちゃん、どうしても悠里を迎えに行くんだって聞かないんよ」
 そういや今日はお姉ちゃんは会社に、西守先生とママ先生は午後から夫婦で用事があるらしく子守りはお母さんに任されたのだった。だけど小さな我が家で退屈したのか我慢できずに学校まで迎えに来たというのは私の予想だけど、聖郷の元気に振り回されて少し疲れたお母さんの顔を見ると予想もあながち間違ってなさそうだ。
「もうホントに、聖郷は元気やわ」
「男の子やからそれくらい元気でないとね」
私が手を出すと聖郷はすかさずタッチ。お昼寝もして充電完了といった感じだ。
 
   * * *

 間に聖郷を挟んで手を繋ぎ、母、娘、孫の三人で校門を出て坂道を下りると目の前に見える神戸港は多くの船が行き交い、海辺の工場の煙突から白い煙が真っ直ぐ天に昇る。聖郷は船が珍しいようで、遠くに見える船を指差しては喜んでいる。聖郷の住むトーランスは近くに海がない。
「悠里、そのカバン――」
「カバンがどうかした?」
お母さんは私の右肩に提げているカバンのストラップに手をかけた。
「じゃなくて、これ」
 お母さんが手にとって見たのはストラップに付けている革鍔だった。アメリカでお父さんにもらった大事な宝物だ。あしらわれた桜の花びらと守破離の文字を眺めている。
「これは?」
「えっ?そうか。お母さんには言ってなかったかな?」
「お父さんに貰ったの?」
私が頷くと、お母さんの眉が少し動いた。
「剣道、やってるんや。あっちでは」
「うん、あたしもビックリした」
「懐かしいわぁ」
 お母さんが鍔を貸してと無言でせがむので、私は紐をほどいてお母さんに手渡すと、永らく会ってなかった人と再会したかのように鍔の彫りを指でなぞっている。
「懐かしい、って?」
私はお母さんの手の中にある鍔を指差した。
「これね、お母さんがデザインしたのよ」
「へえ、そうやったんや……」
 お父さんが剣道四段になったのはまだ私が生まれる前、アメリカに住んでいた頃の話だ。お母さんはそのお祝いに在米の職人に頼んであつらえたものだと教えてくれた。そして鍔は母から父へ、そして娘へと引き継がれた――。
 お母さんは一通り鍔を見たあと私に返し、私は忘れないようすぐにカバンに結び付けた。
「悠里は『守破離』の意味は知っとう」
「うん。道を極める時の順序でしょ?」
「そう。剣道でよく使われる言葉だけど、あれは元々茶道が由来なんよ」
「それは知らなかった」
 お母さんは若い頃茶華道をたしなんでいたのは何度か聞いたことがある、見たことはないけど。お母さんもまた国際線のCAとして働いていた頃、私が剣道に打ち込むのと同じように、自分が日本人であることを確認するかのように茶道を学んでいた。私がお茶好きなのは親譲りだ。
「『守破離』というのは、千利休の言葉でね…… 
 
  規矩(きく)作法 守り尽くして 破るとも
    離るるとても 本ぞ忘るな

の歌から「守」「破」「離」の三文字を取ったのよ」
「へえ、そんな歌があったんや――」
 私はかばんにくくりつけた鍔を握りしめた。
「お父さんはその意味を知っとったかな?」
「どうだろうねぇ」お母さんはニコッと微笑んだ「お母さんはその意味を教えたことはあるけど、お父さん漢字は苦手やったからねぇ」
「グランパ?」
「そうそう、きーちゃんのおじいちゃんよ」
 昔のエピソードを話す母の顔が印象に残った。自らの意思で拒否した人物の話をしているのになぜか微笑んでいる、それも遠い昔にしか見たことがないような懐かしく優しい笑顔で。だから印象に残ったのだろうか。 
「ねえお母さん」母を呼ぶとお母さんは視線を聖郷から私に移した。
「お母さんは、お父さんの話になると表情が違うんやね?」
「あら、そうかしらねぇ――」
お母さんはもう一度微笑んだけどさっきの表情はなく、いつも見る母の顔だ。私はさっき見せた顔をもう一度思い出しながら母から目線を聖郷に移した。

作品名:悠里17歳 作家名:八馬八朔