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悠里17歳

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6 もう一つの両親



 神戸に戻ってからの最初の日曜日、私は身体が少しだるいので近所にある西守医院で先生に診てもらった。
「そんじゃ悠里ちゃん、口開けて」
「あー」
 院長(といっても一人だけだけど)の西守頼仁(にしもり よりひと)先生は私がお母さんのお腹にいた時から診てもらっている先生で、体調がすぐれない時は空いた時間ならいつでも診てくれる。というのも、西守先生は私のお姉ちゃん西守朱音の旦那さんつまり篤信兄ちゃんのお父さんだ。
「声出さんでエエから……」先生はクスクス笑う。先生に向けて口を開けるとき声を出す癖は物心付いたときから直っていない「ま、べっちょないね」
 先生のお兄さんとお母さんのお姉さんが婚姻関係にあって血の繋がりはないけど遠い親戚に当たる。医師なのに気さくで、固っ苦しいことが嫌いで、篤信兄ちゃんに似てとても優しい。我が家が荒れていたあの頃は求めても得られなかった理想の父親を先生に求めた時期もあった。
「大丈夫やな。一応薬出しとったげる」サラサラっとカルテを書くペンの音が響く「悠里ちゃんはあれが重いから、青魚と鉄分しっかり摂りなよ」
「はい」
 本来なら婦人科に行くようなことでも先生はちゃんと診てくれる。身内に医師がいるのは得だ。
「上にも寄るの?」
上というのは病院の二階、西守先生の自宅のことを指す。
「はい!」
「カルテしめたら僕も行くわ」
私は椅子から立ち上がり、診察室を出た――。

   * * *

 私は一旦診療所を出て、隣にある玄関扉を呼び鈴を押すことなく開けた。昼間は鍵がかかっていない。
「マーマせんせっ!」
「あら、悠里ちゃん。身体は大丈夫?」
 玄関から声を掛けるとリビングの扉が開いて、ママ先生が玄関先まで来てくれた。
「うん、先生も大丈夫だって」
「それはよかった。食べて行くんでしょ、ごはん」
「はい、今日は私が作りますよ」
「あらあら、じゃあお願いしようかしら」ママ先生は微笑みながら私を招き入れると、いつものようにキッチンを譲ってくれた。

 私が「ママ先生」と呼ぶ人は西守寧子(やすこ)先生。頼仁先生の奥さんで、お姉ちゃんの義母にあたる。お姉ちゃんが小さかった頃、まだ現役のCAだった母は姉をこの家に預けていたことが長かったので、ママ先生にとってお姉ちゃんはこの時から娘みたいだったとよく話している。上のきょうだいが欲しかった長姉のお姉ちゃん、きょうだいそのものが欲しかった一人っ子の篤信兄ちゃんにとってお互いが望む存在であり、その頃から兄妹みたいだった二人は結ばれて本当の家族になった。
 そしてママ先生が「先生」と呼ばれるのは西守医院の二階でピアノ教室を開いているからで、お兄ちゃんにピアノを教え込んだのがママ先生だ。兄の音楽センスはママ先生が直伝したもので、ママ先生無しにギミックやNAUGHTは誕生しなかったと言っていいと思う。今、お兄ちゃんが活動している音楽は種類が全然違うように見えるけど、お兄ちゃんもママ先生も
「ルーツというか、根底にあるものは同じだと思う」
と言い切るほどだ。
 西守家の繋がりはそれだけでない。
 そして私、小学生の頃つまり家庭が荒れていた頃、事情を知るママ先生が心配して私を西守医院に誘うことが多くなり、その中で料理を始め家事のいろはを教えてくれた。未だにこの家の台所にはきちんと研がれた私用の包丁が置いてある。
「お料理するならいい包丁を持たないと」
といって、わざわざ私のために左利き仕様のものを見つけてくれた。ピアノは上手にならなかったけど、料理の腕はママ先生のおかげで確実に上達した。
 お姉ちゃんだけでなく私たち倉泉家の3きょうだいにとって西守家はもう一つの両親みたいな存在である。

 私はママ先生の言う通り、冷蔵庫から使っていい食材を出して献立を考える。先生に下で言われたのを思い出し、冷蔵庫にある鯖のパックを取り出してママ先生にこの食材でいいのか確認すると、「いいわね」と返事が返ってきたので、それからコンロにフライパンを置いて、野菜と味噌を出した。いつも整理されているキッチンは気持ちがいい。
 
「悠里ちゃんも音楽してるんだって?」
野菜を切ろうとしたところでカウンターの向こうでママ先生が話を切り出した。
 ママ先生はお兄ちゃんの師匠であり、そのレベルはどれだけ高いのか私のレベルは分からないし、先生と音楽の話をするなんておそれ多い。
「いやあ、たしなむ程度ですよ。ママ先生に聞いて貰うほどのレベルじゃとても」
照れると眼鏡の縁をポリポリ掻く癖が出る。
「陽ちゃんは何て?」
「『ええんちゃう?』って。しかもサラッと」
「そうね――、陽ちゃんがいいって言うんならいいんじゃない?そういや悠里ちゃんは歌うのは上手だもんね」
 この教室でお兄ちゃんのピアノに併せて歌っていた私を見て上手だと言ってくれたあの頃が二人の記憶に浮かんだ。結局ピアノは今も上手に弾けないけど、ママ先生は私の歌をよく誉めてくれた。
「でも、ギターはもっと練習した方がいいみたい――」
「まあ左利きは不利よね」
 私がピアノを弾くとどうしても左手が強くなり、さらに右手のメロディの運指が下手なのでうまくいかない。左利きに立ちはだかる最初の壁を越えることができなかった
「そんなことはないですよ。鏡向きには慣れてますから」
 今はMMに教えてもらっているけど、MMも私の真正面に立って運指などを教えてくれる。通常右利きの人と違って鏡に映るように教えてもらうことで最初の壁を乗り越え、今では一応自由に弾けるようにはなった。
 ママ先生のレベルになると使う楽器は違えどやっぱり左利きは不利という。探したらあるかも知れないだろうけどそもそも左利き仕様のないピアノやヴァイオリンと比べたら左利き仕様のギターは驚くほど配慮していただいた楽器だと思うのは私だけではないと10パーセントと言われる左利きを代表して言ってもいいくらいだ。
「悠里ちゃんの音楽には悠里ちゃんのやり方があるわ。音楽は楽しむためのものよ、気持ちが入っていれば聞く人の耳にちゃんと響くわよ」
 ママ先生は優しい笑顔で教えてくれた。表現の柔らかさは違うけど、言ってることはお兄ちゃんと同じだ。
「また聞かせてね」
「はい!」ママ先生と話をすると気持ちが落ち着く。
 私は家族の誰にも相手にされない時期が長らくあったけど、道を踏み外さずにここまでこれているのはママ先生の存在が大きい。

作品名:悠里17歳 作家名:八馬八朔