悠里17歳
最後の最後、それぞれが楽器を掻き鳴らし、私は後ろを向いて大きくジャンプして、着地とピッタリのタイミングで演奏を終えた。スタジオはさっきの喧騒から急に静かになると、私たちはやりきったという感じを確認するようにお互いの顔を見合っていた。サラも晴乃も、後悔のないスッキリした顔だ。緊張とかではなく気持ちがいい。
長い沈黙、後ろにいるNAUGHTの三人がどんな顔をしているのか、ちょっと怖くて振り返ることができない。ドラムに座るサラの視線も微妙に私向きだ。晴乃も同じく前を向けるような気持ちでないのが顔に書いている――。
そんな気まずい沈黙を拍手の音が破った。私と晴乃はサラの顔を確認すると、後ろを振り返ってもいいと感じた。
「ちゃんと歌えてるんじゃない?」
ジェフリーが自然な笑顔で手を叩いている。
「MMが推してるのが分かるわ」輝さんが立ち上がると、まだ後ろに座っているお兄ちゃんの顔を見た。
「どうよ?倉泉」
「そやな……」
お兄ちゃんいつものように難しい表情のままだ。
やっぱりこの人の耳には響かないのか――。ここにいる全員の視線がお兄ちゃんの分厚い眼鏡に集まった。
「……エエんちゃう?」
「へっ?」
立ち上がってこちらに寄ってくるお兄ちゃんの意外な寸評に私は目を大きく開いた。
「どうしたん?LAで聞いた時よりだいぶ進歩しとうで」
「え、ホンマに?」
シビアな耳を持つお兄ちゃん、17年間この兄を妹として見続けているが彼は優しいけど安易に私を誉めない。自分的に進歩したという実感がないので眼鏡の奥にある目を見て言葉の裏を探したが、そこに裏は無いようだ。
「どこが、進歩したんかな?」
本当に分からないので素直に聞いてみた。
「デモテープで聞くより良い」
「それだけ?」
「ああ、そんだけ。修行の成果はあったみたいやな」
「修行?何の?」
「決まっとうやん。武者修行やんか」
武者修行ってのはアメリカに行ったことだろう、だけど私があっちで手にしたのはギターでなく竹刀だ。本当に武者修行でますます意味が分からず、からかわれてるようでちょっと悔しい。
「ま、ジタバタしたって前進まないから、ドーンといっちまえ、ドーンと」
擬音で説明されるとどこか投げ遣りだ。肝心なことをはぐらかされてるようで少しイラッとする。
そんな私の顔色に気付いたのか、ジェフリーが間に入った。
「そうそう、けっこう大事、それ、グレッグの言うこと」ジェフリーは私を指差す「悠里ちゃんはどんな目的でステージに立ちたい?」
「へっ?」いきなりの質問に回答に困って眼鏡の縁をつい掻いてしまう。これも意味があることだけに私はサラと晴乃の顔も見ながら考えた。
「何だろう――、おもしろいから、かなぁ?」
パチパチパチパチパチパチ…………
頭の中に浮かんだのはそれだけだった、これが求められる答えかどうかはわからないけど自分の中では迷いはなく、意思よりも先に言葉が口から飛び出した。すると、お兄ちゃんと輝さんは並んで私に拍手をしたのだ。
「正解!」
「さっすが、ギミックの妹やわ」
輝さんは私があたかもそう答えるのを知っていたかの顔でお兄ちゃんを見ている。二人で予想していた通りの答えを私が無意識に言ったようだ。
「どういうこと?」
二人の顔を見るとメディアでは絶対に見せないようなにこやかな顔を見せている。自分の一言がそんなに面白いものだったのだろうか。
「まずはやってて楽しいかどうかやから、やってる方がおもろなかったら、聞く方も退屈でしゃあないでしょ?」
頭の上から輝さんが解説をくれた。この頭の位置はMMに言われているようだ。
「ぶっちゃけ技術的なことはどったら構わへんねん。曲自体はちょっと練習すればカバーできるようなもんでしょ、俺が書いたやつも」
素晴らしい指と耳を持つお兄ちゃんが言うから少しおかしい。でも、確かにNAUGHTの音楽は技術より感情って感じだ。私が言うのもなんだけどお兄ちゃんたちしかできないような難しいものではない。
「要は気持ちの問題。やってて面白いと思うなら『エエんちゃう?』と言うてん。でも練習はしっかりしとけぃ。俺からは以上だ!」
お兄ちゃんは私の頭をポンポンと叩いてスタジオから出ていった。いつまでも子供扱いする兄の動作に今日はなぜかイラッとしなかった。
「僕らはこれから雑誌のインタヴューなんだ。3時までここ自由に使っていいよ」
お兄ちゃんに続いてジェフリーもそう言ってスタジオを出た。
「それと――」
輝さんは私たちを指差して、その後何も言わずクスッと笑ってジェフリーの後ろに続いた。
「ちょっと、輝さーん」
「何が言いたいねん」
「そこ、ボケるとこ?」
この状況で冗談が出る状況であることを理解すると、私たちはお互いの顔を見合って笑いだした。
お兄ちゃんの言う通り演奏している時、緊張よりも快楽ににた感覚を覚えた、それも練習でのそれとはまるで違う。演奏した物理的な音に違いはないのだろうけど、私たちが奏でた音の渦の中にある感情がNAUGHTの三人には聴覚とは違う器官に反応したみたいだ。直接的には何も教えてくれなかったけど、私たちは三人に何を言いたかったのかわかったような気がした。それでいいと思った――。