悠里17歳
「ステファン、お腹すいたぁ」
学校をあとにして車が走り出すと、後部座席でキムが駄々をこねるように言い出した。そういえば時計は一日の半分を過ぎている。
「そうだな、どこか寄って行こうか。悠里、何が食べたい?」
「どんなのがあるの?」
リクエストは受けてくれるものの、アメリカの食べ物で思い付くのはファストフードばかりだ。料理をしなくても食べるものはいっぱいある。本人を前に言えないけど、料理が得意でないお母さんをさらにキッチンから遠ざけたのはここの生活だとお姉ちゃんが言うのは分かるような気がする――。
「Pizza hut, Pandex(panda express),Taco Bell……」ステファンは親指から順に指を出して数える。
「結局ジャンクじゃん……」
予想通りの答が返ってきた。ピザ、中華、タコス――嫌いじゃないけどどれも外国からやって来た料理でアメリカにしっかり根付いたチェーン店ばかりだ。そしてそこへ行かんとする日系の私たち、まさにアメリカが「合衆国」と言われる所以だ。
「どれでもいいよ、一番最初に見つけた店にしよう」
三人は笑いながらハイウェイ沿いに見えた釣り鐘の看板を見つけ、車を側道に寄せハイウェイを降りた。
入った店は「Taco Bell」というタコスのファストフード店、カリフォルニアではけっこう至るところにあって、日本でもサラの大好物であることから名前は知っていた。
カウンターにいる黒髪のいかにもメキシコ系のウェイターが注文を聞くが私はこれに驚いた。英語が全然通じないのだ。私が何を言っても「ノ」としか言ってくれない。横にいたステファンが適当に聞き慣れない言葉で注文をするとウェイターは頷きながらカウンターの奥に入って柔らかい皮に包まれたタコスを持ってきてくれた。
「さっきの英語?」単語は何となくわかるが、一瞬訛りのきつい英語に聞こえた。
「ううん、スペイン語」
ステファンはハイスクールでスペイン語を履修している、この国では英語が国語なので、日本の学校で言う「英語」みたいなものか。
「この辺はメヒカーノ多いから英語は通らないわよ」
真っ先にトレーを抱えるキム。早く食べたいと顔に書いてある。
「あっちのコミュニティは中国語、そっちはベトナム語しかわからない人が多く住んでるよ」
「うちの周辺は日系が多いしね」
外国人(この場合私も)が見るアメリカは多種多様な人間が入り交じって生活しているように見えるが、実際は各人種がそれぞれの地区に住みコミュニティを作って棲み分けがなされている。そしてその中ではそれぞれの言語が使われている。特にカリフォルニアはメキシコと国境で繋がっており、その地区は至るところにあり、そこでは英語よりスペイン語が使われるようだ。日本では考えられないが、ウェイターの方が英語を話さない光景も大して珍しいものでもない。その対応は私たちが場違いな地区にやって来たんだよと言わんばかりにこちらを見ている気さえする。
「そうなんだ、アメリカ人ってみんな英語を話すもんだと思ってた」
二人の話を聞いて私は、行きの飛行機の中でお兄ちゃんが「アメリカには英語のわからない人はいっぱいいる」というのを思い出した。ステファンの通うハイスクールでも母語が英語でないヒスパニック系の人は多く、友達の間では英語と母語(スペイン語)がごちゃ混ぜになった会話はよく聞かれるそうだ。
「そうだ、うちでもそうだった」
我が家でもお姉ちゃんとお兄ちゃんの会話が英語と日本語のミックスだった。あの頃の私にはもはや違う言語と思ったくらいごちゃ混ぜの。
「英語は学校で習うものだよ、ってダッドが」
二人の父親、エディは最初に覚えた言葉は日本語だ。お父さんもそうで日系のコミュニティで育った。モニカ叔母さんが日本語を話さないということもあり、今は日頃の生活で日本語に触れる機会が減ってほぼ英語の生活になっているが、父たちも学校で英語を覚え、英語で教育を受けてきた。それは人種に関係なく、アメリカの社会では珍しくも何でもない。
「それって移民の普通よ」
ステファンが言うには、合衆国自体が外国人の集まりで、みんな自分の言葉を持っている。英語は国語というより共通語と言った方がいいかもしれない。
「だからダディは俺たちに日本語の勉強をしろとうるさいんだ」
「字がいっぱいあって難しいよね、日本語って」
彼らは見た目ではほとんどわからないけど日系三世だ。ステファンは仮名の読み書きはできるけど発音がテレビで見るアメリカ人そのもので、キムに至ってはそれが日本語であるとわかる程度だ。私が小さい頃、家の中でそれとなく英語にふれていたが二人はその逆だ。さらに祖父という日本語の話者がいなくなり、彼らの中の日本人が薄れていっているような気がした。立場を全く逆にすれば、私も同じだ。同じ祖父母をもつ私たちは、その薄れていく違うDNAを忘れないように手を講じるべきなのは分かっている。
「悠里の言うアメリカ人ってなんだ?」
ステファンに聞かれて私はふと考えた。答えが出ない、否、頭に浮かぶ回答は正確に言うとどれも正解であり、同時にどれも不正解な感じがする。
「お爺ちゃん(グランパ)は基本的にずっと日本語だったよ」
「英語で話す時も『ユー アー アメリカン、ソー ユー マスト アンダスタン ワット アイ セイ(君たちはアメリカ人だから、私の言うことを理解しなければならない)』てな感じで……」
キムが祖父・倉泉泰盛の話をすると申し合わせたように、ステファンが私にはよくわかるほぼ完璧なカタカナ読みの英語で真似をして見せた。私の遠い記憶にあるお爺ちゃんは終始一貫日本語だった。
お爺ちゃんは日系の集落にいたので、ここのウェイターのように英語に触れる機会が少なかった。そして英語で教育を受けた子供たちは、この国の社会で生きるうちに英語が日本語を圧倒するようになった。
「僕が思うにここ(合衆国)に住む人はみんなアメリカ人だと思う。人種も、言葉も、習慣も。それが良いものなら受け入れられるさ」
「それと食べ物もね」
キムは三つめのタコスを頬張る。痩せの大食いで食べっぷりが見た目のかわいさと違って面白い。
「僕にもキムにも日本人の血が流れている。合衆国で剣道の稽古をすることの意味は僕なりに分かっているつもり」
「うん、エディも同じこと言ってたなあ……」
この国で生きるということは、自分の出自を知り、そしてわきまえることだ。私は日本でしか生活したことがないので自分がアメリカ人でもあることに気付く機会は少ないが。彼らは私よりも日頃日本人でもあることを自覚している。名前のクライズミ、そして二人のミドルネームのDとA、「ダイスケ」と「アイコ」にも日本人としてのアイデンティティがある。
「じゃあスティーヴン伯父さんもそうなのかな?」
「え?スティーヴン(おとうさん)も、って?」
この文脈でお父さんも何だったのかは安易に想像できたけど、それは何かなんて聞ける雰囲気ではない。そして、我が家にお父さんがいた後半は家庭が荒れていたこともありそれが話題に上がることすらなかった。
「悠里は伯父さんに教わったんでしょ?剣道」