目には 目で
「お願い・・。私、今回だけは、彼が捕まった理由にまったく心当たりが無いの・・」
と、力なく応えた。
「・・よし。ちょいと出掛ける。あんたは、何処に居ようと構わないが、連絡だけは取れる様にしておいてくれ。」
キダは、そう言い残し、事務所を出て行った。
事務所は、ビルの七階にある。何時もならエレベーターを利用するのだが、キダは、その日は階段をゆっくりと下りた。
下りながら、彼は、考えた。
ー・ 金目的以外でマスターが捕まったとすれば、誰かから恨みを買ったと考えるのが順当だ。相手は、警察を動かせる程の人物か・・、あるいは、警察のある程度地位の高い奴か・・
と、そこまで考えて、
「そうだ。奴が本当に悪事に手を染めていた・・という事もあるか・・。あいつなら、遣りかねない・・」
と、呟いた。
時刻は、既に午後十一時半を過ぎていたが、キダは、タクシーを拾い、
「エスエム・ノースまで・・」
と、行き先を告げた。
バゴ・バンタイ。
エスエム・ノースの横を通り抜け、やや細くなった通りを左折、少し進んだ辺りの地名だ。
其処に在る一軒の家のチャイムを、キダは、押した。
出て来たメイドに取次ぎを頼み、暫く待つと、その家の主人がパジャマ姿のままで、彼を出迎えた。
応接間で簡単な挨拶をした後、キダは、
「あんたの力を借りたい。三~四人ほどでいいから、すぐにA警察署の拘置所に送り込んでくれないか・・」
と、この家の主人に頼んだ。頼まれた主人は、訳が分からない。一体どういう事だと、キダに問う。
キダは、マスターが、捕まっている事を話し、
「だから、A警察署の管轄内でしょっちゅう世話になって居る悪を送り込んで、マスターが何故捕まったのか、警官から聞き出して貰いたいんだ。しょっちゅう捕まっている奴等なら、顔見知りの警官の一人や二人は居るだろう。」
と、言った。家の主人は、驚いて、
「わざわざ犯罪を犯させて送り込め、というのか?」
と、聞いた。キダは、黙って頷いた。暫く沈黙が続いた。
キダは、しびれを切らし、
「駄目なら他へ頼む。だから、早く返事を・・」
と急かした。
こういう遣り取りを、俺は、後からその家の主人から聞いた。彼は、笑いながら、事の顛末を話した後、
「やつ(キダ)が、いかれた奴だと言われる所以は、こんな処にあるんだ。何時も突然訪ねて来ては、とんでもない事を言いだす。」
と、俺に言った。
キダは、普通でも、かなりいかれ野郎なんだが、一癖も二癖も有る、彼の知り合いたちが、彼の事を、『いかれた奴』と呼ぶには、それだけの理由が有ったのだ。
結局、その家の主人は、四人の犯罪者を仕立て上げ、その夜のうちに、キダの無理な要求に応えた。
バゴ・バンタイの主人が、A警察署に彼の配下を送り込んだ頃、キダは、既に別の場所に居た。
時刻は、午前3時。彼は、マニラの高台、アンティ・ポーロのチャーリー・チー(優男)のセカンド・ハウスを訪ねていた。その時家主は不在だったが、顔見知りの使用人が、彼を中に招き入れた。其処で彼は、チャーリー・チーに連絡を取った。
チャーリーの父が経営する大手家具メーカーは、この国の一流のホテルの内装を一手に引き受けている。その営業部門を統括している優男は、その時、仕事でミンダナオのホテルに滞在して居た。
「どうした、こんな時間に・・?」
「金が、要る。」
「何時も単刀直入だな。・・・幾らだ?」
「取り敢えず、二十万。」
「ドルか?」
「ペソだ。」
「・・・分かった。金利は、幾ら払う?」
「金は、返せない。」
「・・ぼったくりか・・・。」
「ああ、その通り。だが、その代り、マニラでも一流のロビイストを紹介する。」
「・・そのロビイストは、誰と繋がっている?」
「サー・ブラボー、ミスター・シン・・・程度か・・」
「・・・よし、分かった。五十万までなら自由に使え。」
優男は、その電話で、キダの為に金額未記入の小切手を渡す様使用人に命じた。
数枚の小切手を受け取ったキダは、再びバゴ・バンタイに引き返した。
そして、一晩に二度も叩き起こされたこの家の主人に、
「お前さんが、送り込んだ奴らの保釈金だ。」
と、小切手を渡し、
「朝八時に起こしてくれ。」
と、その家の居間のソファーで鼾をかき始めた。
この国では、幾ら親しい仲でも、一方的に借りを作るのは御法度だ。何時だったか、いかれ野郎が俺に言った。
「人の心ほど当てにならないものはない。確かに、俺(いかれ野郎)は、銭金抜きの付き合いをしてくれる友人が多い。しかし、それに胡坐をかいていたんじゃ、何時かは友情も壊れる。例え、壊れないまでも、対等な付き合いは出来なくなる。」
と。
彼は、金こそ持って居ないが、彼の友人たちが持って居る金に匹敵する程の、人脈を持って居たのだ。
午前8時、キダが起きた時、家の主人は、既にA警察署に出掛けていた。そして、一時間ほど後に帰宅して、
「マスターが捕まった理由が分かったぞ。どうって事ない。よくある話だ・・・ただ、相手が悪かった・・」
と言った。キダは、
「もったいぶらずに、早く話せ。」
と、ぶっきら棒に言う。(二人の性格からすると、おそらく上の様な会話から始まったと思う。)
マスターは、無類の女好きで、至る所で女性に手を出していた。それも、理由は何故だか分からないのだが、相手は殆ど既婚の美人。
そして、今回、事も有ろうに、彼は、A警察署長の兄の奥方に興味を示したらしい。署長の兄は、ケソン・シティーのやや北のある町のメイヤーだった。マスターとその奥方の遊び方が、あまりにも派手だった為に、メイヤーの知るところとなった。怒ったメイヤーは、弟を使って、奥方の相手を一生檻の中に・・と企んだ。
つまりは、これがすべての理由。まったく人騒がせな話だ。
マスターの周りは、この一大事に躍起となっているのに、彼が捕まった理由が、単なる女生との火遊びであったなどと、今もヤキモキしながら心配している、彼の妻に伝えられる訳がない。正直に伝えれば、むしろマスターは、娑婆に出た後の方が身の危険を感じるであろう。嫉妬に狂った時のこの国の女性・・・想像しただけでも、背筋が凍る 思いがする・・。
夫の浮気が原因での夫婦喧嘩の際、妻が、ナイフ・ハンマー・銃などを持って、亭主を追い回すなど、さして珍しい話ではないのだ。
そんな事、自業自得だ、勝手にしろ、と放って置いても、マスターは何も言えた義理ではない。いや、暫く留置場に居るべきだと、彼を説得する方が、万事平穏に事が推移するかも知れない。
だが、キダとマスターの二人は、同郷ということもあり、繋がりは深い。
マスターは、何時もブツブツ言いながら、キダに金を渡し、キダは、キダでブツブツ言いながら、マスターの為に動く。
ある意味、この国の正義とは、社会的正義というよりも、自分の身の周りの者が、損害を回避する為に動く事を言うのかも知れない。
逮捕理由が分かったとは云え、首謀者はかなりの大物だ。
まして、署長自ら関わっているのだから、一部の警官達の小遣い稼ぎなどとは訳が違う。
さて、マスターが逮捕された事の経緯・真相は分かった。