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月光ーTUKIAKARI―

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悔しさに浴室のドアに片手でもたれかかり、思わずつぶやいていた。
「――――こんなに好きなのに」

「乱人、一体どこへ行ってたんだ?!こんな夜遅くまで母さんを一人にして」
「な・・」
(何言って・・自分はちっとも家に帰って来ないくせに!)
そう思っても言葉にならず、また泣きそうになり顔をそむける。
「乱人。父さんは転勤が決まった。」
「えっ?!」
「T都だ。一応、栄転だからな。3週間後には、引っ越す。」
「さ、三週間?!ひどいよ!いつもいつも勝手に!!オヤジだけ行けよ!」
「母さんを置いていけるかっッ!お前もだ!!」
大声で怒鳴る、父の表情にかすかに辛く苦しげなものがあった。
それを見た時やっと父の苦悩を理解ったような気がした。
(あぁ・・父さんも苦しんでいるんだ)
「・・わかった。ついてく・・。」
言いながら、彼方の顔が脳裏に浮かんだ。
(彼方・・・・)

月の光が雲間から見え隠れする。
星は雲に隠れ、月光だけが、あかるく、かがやく。
美しく、哀しく、蒼い夜。
ベッドの上に座り、窓の空を見つめる。
―彼方、ありがとう。お前のおかげでやっとまともに人を見ることができた。彼方・・好きだ。凄く好きだ。こんなに人を好きになれるなんて、思ってもみなかった。ずっとずっと何かに縛られて一人を守るしか術を知らなかった俺にはじめて手を差しのべてくれた・・かけがえなく好きだ。
彼方・・・。だから―
月の光の下、乱人は決心した。

次の日から乱人は変わった。
前にもまして、高飛車な冷たい態度で人を寄せ付けない雰囲気が体中から発せられていた。
少し行き過ぎなカンジのするその態度と、夕べの別れ際が気になって、
俺は授業もうわの空で乱人を見つめた。
まるで氷のベールをまとったかの様なその態度・・・。
明らかに昨日までの乱人じゃない。

しかし、態度とうらはらな、心に秘めた何かが、あるような気がしてならなかった。

あの様子では多分もう二人で逢うつもりがないだろう。
仕方ないやりたくないが二人きりになったら聞いてみるしかない。

すべて授業が終わりさっさと教室を出ていく乱人を、少し離れて追いかけた。
早足でどんどん歩いていく。精一杯ついて行った。
(こっちは・・プールか?)
木々のざわめく音がしている。
フェンスからそっと見るとあの時と同じように水のないプール際に乱人はたたずんでいた。
風より一層澄んでいる―あの日より。
(また、泣いているのか?)

と、乱人は顔を上げた。
「彼方!いるんだろ?」
バツの悪い感じでコンクリの階段をあがった。
「悪い・・つけるとかそういうつもりじゃないんだ・・ただ話がしたくて。」

「・・・ひなみ。」
うつむく俺を乱人が優しい声で呼んだ。
びっくりして顔をあげると、
乱人は信じられないくらい美しい微笑みを俺に投げかけた。
息が止まるかと、思った。
しかし次の瞬間、天国から奈落の底へ突き落された。

乱人は美しい笑みをくずさず
「二度と、俺に、つきまとうな。」
と凍るような声で言い放った。
これほどまでに残酷で美しいものがこの世にあるなんて―。
時間が止まってしまったかのように、硬直した。
きっぱりとした冷酷な響きの声。
決して何者も彼の心を変える事はできないだろう・・・その響き。
茫然と立ち尽くす、俺の脇を、乱人はしなやかに歩き去った。
俺は、ずっと、その場に立ち尽くした。

『二度と、俺に、つきまとうな。』
まるで氷の破片を、胸につきさされたようにその声が消えなかった。
「ひなみ―。ごはんよ―降りてらっしゃい―」
気がつくと自分の部屋で電灯もつけず座り込んでいた。
この世で最も美しく残酷な笑顔が、
決して心から消える事のない烙印のように焼き付いていた。
(あの言葉を、声を、いつもの無表情でしてくれれば、まだよかった・・・)

あの微笑みの意味するものは永遠の決裂。
「乱人、なぜ・・?」
いつの間にか俺は泣いていた。涙は止まらなかった。

その日から、俺は乱人を見なかった。
正確に言うと乱人を見るのが怖かった。
思えば思う分だけあの言葉と微笑みが楔の様に心に打ち込まれ、
その痛み故、二度と、再び、乱人を見る勇気がなかった。
乱人はまるきり日常を過ごしているようだった。
授業中に聞こえる声は、冷静そのもので俺と関わる以前の乱人に戻った様に感じられた。
ただ、その声は、どこか遠くから聞こえるような気がした。

そうして、一週間経ち二週刊経ち、一か月が過ぎていった。
俺は乱人を見る事もかなわず、かといって、心の中から追い出すこともできない、
と、いうまさに針のムシロ状態で毎日を過ごした。

そんな、ある日、無遅刻無欠席の乱人が休んだ。


(どうしたんだろう・・?)
久々に、窓際の乱人の空席を見た。
「オイ、彼方、最近体の具合でも悪いのか―?!元気ねぇな。」「いや・・別に。」
「そうか?ならいいんだけどな。ところで彼方、知ってっか?」「何を?」
「不破乱人、転校すんだってよ。」な・・に?!
頭の中で、何かがガラガラと音をたてて、壊れていく気がした。
まさか・・・まさか・・・
「いつ?!いつなんだ?!」
「今日珍しく休んでるだろ。休みじゃなくて、今日T都はたったって話だけど・・オイ、彼方っ?!」

俺は息せききって、職員室に飛び込んで、担任に聞いた。
「先生っ!不破が転校って、ホントですかっ?!」
「ど、どうした保科。あぁ、今日たつって言ってたが」
「どうして皆に言わないんですか?!」
「不破いわく自分はクラスでも浮いてるし、色々言われたくないから、言わないでくれって・・それで」
「今日!どこから何時に出るんですか?!」
「どうしたんだ保科?お前そんなに不破と親しかったっけ?」
「お願いです!早く!間に合う内に、教えてください!!!」
「2時35分発、C駅とか・・・」
その言葉を聞き終わらぬ内に、俺は駆け出していた。
今、1時50分。C駅まで間に合うか?!くそっ!乱人の奴!あんなつまんね―小細工しやがって、何がつきまとうな、だ!!!一人で行っちまう気だったんだな!バカヤロ―許せねーよっ!・・許せないくらい、お前が好きだよ!

俺は人混みを駆け抜け、狂ったように走り続けた。

2時30分。C駅が見えた。切符を買うジハンキでぽけっとから小銭が音をたてて落ちてゆく。
あぁっ!イライラする、切符が落ちてくるまでの時間が長すぎる。
32分。改札を抜け三番線のホームへ向かって走る。
33分。階段を駆け下りて、35分。非情のベルが鳴り始める。乱人、乱人はどこだ?!
もう既にドアは閉まり、ベルが鳴り終わると列車は動き出した。
探しながらホームをひた走る。
いた!乱人だ!!!
虚ろな表情でガラス窓にもたれかかっている。
「乱人、乱人!!!」
俺を見た瞬間みるみる内に表情が変わっていった。
窓を力一杯、上げると腕をのばした。
その手を動きながらつかまえた。
「ひなみっ!!!」
作品名:月光ーTUKIAKARI― 作家名:中林高嶺