月光ーTUKIAKARI―
髪を結わえてる紐をといてもいいか、と聞くと無言でうなずいた。
不揃いの濡れたはらはらと肩に落ち思わず見とれてしまった。
今更ながらキレイだ。本当に。
白い肌はきめ細かく上がり気味の大きな茶の瞳。
高くて細い鼻、ばら色がかった唇・・・髪をほどくと女顔が強調される。
ばさばさと髪を拭き、タオルを肩にかけて
「体も拭けよ。」
どぎまぎしながら言って自分もタオルを取り出して頭を拭いた。
ゆっくりとした仕種で、黙って体を拭く乱人。
「何か、飲み物持ってくるから。」
そう告げて、背中ごしにドアを閉めた。
(コーヒーより、ココアの方があったまるかな・・それにしても乱人ウチに来てからほとんどしゃべらねーな・・なんか、悪かったかな)
「ひなみ―。オフロ沸いたから、はいんなさい」「あ―、はい。」
部屋の戸をあけると乱人が頭からバスタオルをかけて膝をかかえているのが目に入った。
「乱人?!」
トレイを置いて顔を覗き込むと声も出さずに泣いていた。
両腕をつかみ、顔を上げさせた。
「どうした?!」
虚ろな瞳がみるみるうちに涙で一杯になっていく。
切ない、痛い、眼差し。
「オレ・・」「何?」「オレ、彼方になりたい」「なに・・言って」
「なりたい!」
泣きながら手で顔をおおって、くずれる乱人を思わず抱きしめていた。
震えながら声を出さずに泣く乱人。
涙が胸につたわって暖かく、しみてくる。
「バカッ!泣く時は声出して、思っきり泣け!!」
「うっ・・ぁ・・わあぁぁぁ!!」
乱人が声をたてて泣くのを、初めて聞いた。
泣きやんで、落ち着くと、並んで座り、ココアを差し出すと乱人は無言で受け取り
「ありがとう」
と、小さい声で言った。
そして俺の方を見て、あの翳りのある微笑みを、一瞬浮かべた。
この瞬間のためなら、何を犠牲にしてもいい・・。
それから二人で風呂に入ることにした。
ランドリーでどんどんTシャツを脱いでいると、乱人はぼーっとして、俺を見ている。
「なにしてんだ、早く服、脱げよ」
「俺・・」「なんだよ?」「一人でしか風呂・・・」
と言って赤くなって下を向く。
「え、もしかして、一人でしか入ったことないのか?」
彼の家庭の片鱗を、垣間見た様な気がした。
「気にすんなよっ」
にこっと笑ってぱんと背中をたたき、どんどん脱いだ。
背中を向けて乱人は脱ぎ始めた。
ちらっと見た真っ白な背中と背中の細い線に、ぞくっとしてしまった。
やせている・・儚気な程に。
タオルを腰にまいて、浴室のドアをいきおいよく開けていきなり冷水をかぶった。
浴槽から霧のような湯気が立ち上っている。
乱人がドアを開けて入って来た。
全身、透き通るように白く繊細で美しい、としか言いようがない。
よく見る女の子のグラビアの裸のように媚びがない。
なんだか神聖な感じさえした。
これが自分と同じ男だろうか、と思った。
つい黙って、自分の体を洗いはじめた。
乱人は湯気の中でぼんやりしている。それに気がついて
「何してんだよ、ホラ」そういって背中にボディソープをつけてこすった。
乱人はされるがままに、全身をくまなく、洗わせた。
「ふぅ・・ほらシャワー浴びな」
「えっと・・オレもひなみに・・・」「え?」
白い泡だらけの乱人は俺の手からスポンジを取ると、そっと胸のあたりからこすりはじめた。
あんまり、おずおずとするので、くすぐったくて笑ってしまった。
「ははは・・・く、くすぐったい」「あ、ごめん」
二人して目が合うと、乱人も笑った。今度ははっきりと。
シャワーをお互いにかけ合い、二人でお湯につかった。
ランドリーでお互いの体を拭き合った。
くしゃくしゃの乱人のかみ、笑顔、体・・・。
すべてが、とても大切なものに思える。
他人をこんなに特別に思うなんて、初めての気持ちだ。
母が用意してくれた俺の服を乱人は着る。
かなり、大きい。袖が長いし、肩幅も落ちている。
「お風呂から出たら、ごはんよ」「は―い」母が声をかける。
乱人はドキッとした顔をして、声のする方を見た。人見知りはげしい。困った顔をして乱人は
「ひなみ・・オレ、帰る」
「大丈夫だって、何にもぜんっぜん気兼ねしなくていいんだから」
「でも、オレ・・」「大丈夫だよ。」「だって、オレ・・一人でしか食った事ないんだ」
泣きそうな顔で見る。驚いた。乱人の家って、一体。
「大丈夫、大丈夫だよ、乱人。」
俺は乱人を正面から見つめ力を込めて言った。
「・・うん・・」
小さい声で乱人は答えた。
食卓で乱人は俯いて小さくなっている。
「彼方、ほら、ごはん、ごはん。」「はいはい」
母さんは天然色の明るさで、いつもの通りだ。
「お友達・・えっと」
「あ、不破です。」
「不破くん、たっくさん食べてね」
太陽の様に明るい、家の母。母の顔を見て驚いた表情を隠せない。
「さぁ、じゃいただきましょ」
「はい、いただきま―すっ」「い、いただきます」
三人で食事している内に、乱人に再び笑顔が浮かぶようになった。
部屋に戻り、二人きりになるとまた暗い表情になり沈み込んでいる様だった。「乱人」
声をかけてもうつむいて答えない。
「帰る」
つぶやくように言って、バッグを手に取ると出て行こうとした。
「待てよ、どうしたんだよ?!」
腕をつかむと「離せ!」と、振り払おうとする。
「乱人、何か気にさわる事、オレ言ったか?」
「いいから、はなせ!」
「いやだよ!!!」
強く言い放って両腕をつかんだ。
乱人は顔をそらし目を閉じている。力一杯、抱いた。
「そんなに・・そんなに、自分の中に全部、閉じ込めるなよ!!」
乱人は震えながら嗚咽をもらした。
「・・ない」「え?」「帰りたくない!」
そういって顔を上げて俺を見た。そのまま表情がくずれ、俺の肩に顔を押し付け泣き出した。
抱きしめたままとうとう聞いた。
「どうして、家に帰りたくないんだ?」
乱人は一瞬、腕を放し、力をふっと抜いた。
強く抱いてなかったら、きっと床に崩れ落ちていたかもしれない。
「乱人!」「母が・・」「おかあさんが?」「・・狂ってる・・」「えっ?!!」
あまりの言葉に強く聞き返してしまった。
乱人は、はっと我にかえった様に、どんっと俺を突き飛ばし、
ドアを音を立てて開け、階段を駆け下り玄関を出て行った。裸足で。
「乱人っ!」
続いて追ったが乱人の姿はもう、道の遠くの街灯の下まで去っていた。
追いかけたが、途中で見失ってしまった。
「ちくしょう!!!」
コンクリートの壁を拳で、たたいた。
雨が降った後の道で、足は泥まみれになった。
今、手の中にあったのに、あっという間に手のひらから、こぼれてゆく・・・。
砂を指ですくう様に・・・。
ランドリーで足を拭きながら思い返した。
涙と微笑み。そしてあの言葉。『母が―狂ってる』
(何故もっと俺を信用して頼ってくれない・・・)
「なぜ?!」
作品名:月光ーTUKIAKARI― 作家名:中林高嶺