キラー×ポリスガール
夏山の階級は巡査長だ。しかし警察組織では階級の呼称はしない風習になっている。愛称か暗語も用いる。いつかは夏山を「夏山巡査長」とは呼ばず、愛称の「ナツ」と呼ぶし、夏山はいつかの階級が警部補だが「いつか班長」と言う。班長とは警部補の暗語だ。また三橋のことは「三橋部長」と呼ぶ。普段からそういう呼称を用いれば、一般人から会社員と変わらないように思わせることができる。つまり一般人に自分たちの身分を隠すための暗語なのだ。警察組織において階級呼称はご法度だ。
そして夏山がいつかをからかうには理由がある。彼女が十七歳の女の子だからだ。そんな少女が自分よりも二階級上なのに当初は違和感を覚えたが、付き合いが長くなるとどうも女子校生扱いしてしまいたくなるのだ。
(今度はどんな風にからかうかな……)
煙草を吸いながら夏山は思いを馳せていたら、突然隣りから、
「ナツ、煙草はその辺でやめておけ」
威圧感がこもった声が聞こえた。先ほどまで助手席で爆睡していた三橋が目を覚ましたのだ。そして厳しい眼差しで被疑者宅を捉えている。
「ここからじゃよく見えんが、不自然な人影がさっきからアパートの壁に見え隠れしている。本部に一報(第一報告の略称)入れてくれ」
「……了解しました」
内心、しまったと夏山は動揺したが、すぐに平静を持ち直し無線機を手にする。
『一斑から本部』
『本部です、どうぞ』
『被疑者宅に人影と思慮されるものを発見、現在入室の様子無し現状のままコウカク中です、どうぞ』
『了解、只今から捜査員の応援を送ります。一斑は現状のまま待機、コウカクを継続して下さい、どうぞ』
『一斑了解、なお対象が入室の気配を見せればマルモン(職務質問の暗語)を行いますが、よろしいですか、どうぞ』
『本部了解、現場の判断に任せます、どうぞ』
『一斑了解』
『以上本部』
夏山は無線機を切り、警棒を装着した。
(応援が来るのはどんなに速くても二十分はかかる。それでは遅すぎる。このまま指を咥えているつもりはない)
夏山の気持ちと同様に三橋も、
「ナツ、応援の前にカタをつける。嬢ちゃんが戻ったら検索開始だ、準備しとけ」
夏山は装備した警棒を右手で強く握り、反対の手で携帯電話を取り出した。
「了解、携帯で班長に連絡します」
数回コールを鳴らした後、いつかが出た。
「ナツ、さっきはよくもセクハラしてくれたわね! お礼にコーヒーは冷たいやつ買ったわよ」
第一声がこれだ。緊張感がまるでない。夏山はいつかの言葉を無視し、
「現場が動きました」
「どうしたの?」
「不自然な人影が被疑者宅でうろついてます。気付かれないようにこっそり戻って来て下さい。警棒は携帯してますよね?」
コン、と缶がコンクリートに落ちる音が聞こえた。
「……うん」
「なら警棒を取り出して下さい。いつか班長が戻ってきたら検索開始です」
いつかがさっきまでいた車に戻って来た時、すでに夏山と三橋は車から出ていて、被疑者宅の死角から、その場の様子を伺っていた。いつかは少し腹が立った。
(あたしが戻ったら検索開始って言ってたじゃない! 何勝手に動いてんのよ)
いつかも隠れるようにゆっくりと二人の元へ歩み寄り、合流する。
現場に目を離さないまま、険しい顔で三橋が夏山に小声で囁く。
「見えるか? ナツ。お前、視力は2.0以上あるんだろう?」
夏山は顔を険しくして、
「この位置だと暗くてどうも……。けど背丈は男です。ニンチャク(人相着衣の暗語)はわかりませんが、髪の色は金髪じゃありませんね、黒髪です。被疑者の家に張り付くようにして、明かりの点いている部屋の様子を伺っています」
「班長、どうします?」
三橋がいつかに現場の指揮を促す。確かにこの三人の中で階級が一番上なのはいつかだ。しかし経験においては二人に大きく劣る。正直いつかも今日は何も起こらないと油断していた。自分の甘い考えに強く情けない思いを感じた。本来なら二人に判断を任せたい所だったが、気を持ち直し、
(ここはあたしがしっかり指揮らなきゃいけない。ジョケイ(女性警察官の略語)の力をみせるんだ!)
いつかは精一杯引き締めた顔をして、
「最低でもマルモンの価値はありそうね」
いつかが小声で呟くと二人はこっくりと頷いた。そしていつかが指揮をする。
「ナツは右手側から、三橋部長は左手側から回りこんで、対象をはさみうちにするわ。あたしは万が一、取り逃がした時に備えて家の裏側で待機ね。各自警棒を構えなさい」
いつかが指示を出すと夏山、三橋が一斉に被疑者宅の左右に忍びよる。いつかは腕が震えていた。いつかにとって、刑事として初めての逮捕劇に緊張を隠せずにはいられなかった。
単身残ったいつかは対象から目を離さないように家の裏側で監視をしている。暗闇がいつかの視界を妨げているが、対象が相変わらず明かりの点いた部屋を張り付くように覗き込んでいることはなんとか見えた。おそらく部屋の中の様子を探っているのだろう。冷静になり耳を澄ますと明かりの点いた部屋からはシャワーの音が聞こえる。
(ひょっとしたら部屋の中は風呂場かな? もしそうなら対象は何故そんな所から様子を伺う必要があるのかな?)
そう疑問がよぎった瞬間、対象の影が素早く動き出す。
(まさか、こちらの動きに感づかれてしまったの!?)
対象は一目散に家の塀をよじ登り、飛び降り、着地と同時に脱兎のごとく立ち去ろうす
る。しかし対象の目の前には待ち伏せしていたいつかが行く手を遮る。対象は必死に振り切ろうとするが、いつかがすかさず対象の右肩を捕まえて、
「逃がさないわ!」
逃れようと暴れる相手の襟首を掴み、足払いをし、そのまま地面に組み伏せた。なお
ももがき抵抗する対象だが、いつかは間髪入れずに腰に装備していた手錠を取り出し、左手、右手へと拘束した。
そして相手の首の付け根を膝に全体重を乗せると、
「ぐえぇ」
と呻いて無抵抗になる。いつかは相手に向かい、思わず叫んだ。
「ジョケイを舐めるな!」
いつかが対象を押さえつけている所で、夏山と三橋の二人が駆けつけてきた。夏山が詫
びる。
「すいません、気付かれたみたいで……。大丈夫ですか?」
「見ての通りよ」
対象はあきらめたのか、泣き声が混じりの嗚咽を漏らす。
「ずみません、ずみません……」
夏山は感心して、
「いやー、お手柄ですね。いつか班長。けど令状がないんで、さすがに手錠はまずいんじゃ……、本部からも任意同行って指示が出てますし……」
「現行犯逮捕よ。令状はいらないわ」
「いや、怪しい奴捕まえたって現逮(現行犯逮捕の略語)にはなりませんよ」
苦笑いしながら夏山は所持していたLEDライトで対象の顔を照らした。
「こいつ、やっぱり被疑者じゃないですね。っていうか本部からもらった容疑者リストにもこんな顔した奴いませんよ」
三橋が呟く。
「とりあえず車の中で事情聴取だ。じきに本部の応援も来る。班長、手錠は外してやりやしょう。もう観念しているみたいだしな。後で問題になったら面倒ですわ」
三橋に促されていつかは手錠を外した。交代するように三橋が対象の首を掴んで無理矢理立たせる。いつかはここぞとばかりに現場指揮をした。
作品名:キラー×ポリスガール 作家名:真田 サヤ