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逢魔が刻の駅

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 親しんだ音と己を導くようにして引く手。孤独でないというのはこれほどに安堵するものなのか、と青年は驚嘆した。
 先程から随分歩いていると思う。プラットホームなどゆうに過ぎた距離だ。しかし段差がなければ道を曲がった気配もない。ただ、真っ直ぐに手を引かれて歩くだけ。
 時折少年が安心させるように手を強く握ってくれるが、目を瞑っている上に耳も音で遮られているのだ。信じるしか無いのだが如何せん精神面が摩耗する。青年は泣きたくなってきた。
「目を開ければいいのに」
 そんな声が不意に耳に届く。
 少年が言ったのだろうか、と思ったが彼は「手を離すまで」と言った。それにヘッドホンをしているのにそんなはっきりと言葉が聞こえるのも妙だ。目を薄っすらと開きかけて慌てて強く瞑り直す。それと同時に耳元で舌打ちが聞こえた。
 続いて今度は年寄りのような声で「すみませんが、助けていただけませんか」という言葉。無視を続ければ更に小さな女の子の呼びかける声。何としても目を開けさせようとしているようだった。
 手を引く少年にもそれらの言葉が聞こえているのだろう、突然歩調が早まる。だが声は並走するように付いて回った。
(いい加減にしてくれ!)
 青年は耐えられずそう胸中で悲鳴を上げる。同時にブツリと何か切れるような音が耳元を掠め、ヘッドホンからの音が止んだ。手は相変わらず握られているが、その足も止まっている。突然のことに青年は酷く混乱した。
 もしかしてこの手を引いているのは先程の白髪の少年ではなくなっているのではないか。あるいは戻れなかったのではないか。どっと不安が押し寄せる。
「なあ」
 少年に声を掛けようと口を開く。だが異常なほど口が乾き、声は言葉にならない。
 もう限界だ、目を開けよう。青年がそう心に決めた刹那、手の平に風が触れる。握られていた手が解放されたのだ。
 恐る恐る固く閉じた瞼を開ければ、そこは駅のプラットホームだった。
「え…」
 手を離される寸前で目を開けてしまったのだろうか。これは戻れなかったということか。青褪め辺りを見渡す。そこであることに気付いた。
 子供の頃から見覚えのある看板に、線路沿いを走る車。すっかり暗くなった空の下、駅舎には光が灯され人が談笑している。己が立っている直ぐ横では見知らぬサラリーマンが難しい顔で時刻表と睨めっこをしていた。先程の無人駅とは違う、普通の駅。
「戻った!」
 感激のあまり人目も憚らず叫んだ。当然隣のサラリーマンやベンチで端末機器に触れていた女性が奇異の目を彼に向けたが、今はそんなことなど気にならない。
 礼を言おうと振り返るがそこに件の少年はおらず、辺りを見渡すがちらほら見える人影の中にあの物珍しい白い髪の姿は無い。暗くなった空に紛れたかとも思ったが、元よりそこに存在しないかのように痕跡すら無かった。
 
 
 
「あれまあ! 遅かったわねえケースケ」
 夕暮れもとうに過ぎて辺りは夜の暗さ。連絡した時間よりも遅く着いた孫に祖母が心配そうな声を掛ける。申し訳なさそうに彼は苦笑を浮かべ「ごめん」と素直に謝った。
 青年ことケースケはあの後駅員に「白髪の男の子を見なかったか」と聞いた。だが、その答えはすべて「見ていない」だけで、どこからも目撃証言が出なかったのだ。
 暫く探しまわったが結局足取りすら掴めず、お礼も言えないことが気がかりだったが祖父母が心配するだろうと彼は駅を後にした。そしてバスに乗り、暫く走った場所にある祖父母宅へ予定時刻を大幅に過ぎて辿り着き今に至る。
 土の匂いの沸き立つ玄関を上がり、少し冷える廊下を歩く。
「おお、来たかケースケ」
 途中和室から祖父が顔を覗かせて嬉しそうに笑った。
 部屋へ先に荷物を置きに行こうと思っていたケースケだったが、ふと先程のあった不思議な話を聞いて貰いたく、彼は荷を廊下へ置いて祖父の元へ向かう。
 その神妙な面持ちに何か感じることがあったのだろう、祖父は座布団を一枚取り出し、座卓を挟んで己の向かいになるように置いた。
「じーちゃん、狐ケ崎って駅、この辺にある?」
 ケースケは前置きなしに祖父へ問う。彼の言葉を聞いた祖父は目を丸くし「なんでお前が知ってるんだ」と声を上げた。
「あるの?」
「いや、有るといえばあるが、無いといえば無い…」
 分かり辛い表現にケースケが眉を顰める。祖父は困惑したように頭を掻き、辺りを見渡し己と孫以外がいないのを確認すると身を乗り出して小声で話し始めた。
「わしらがまだ学帽を被っていた時代に何人かがその駅を訪れたことがあるんだ」
 それは何十年程前の話だろうか。祖父が学生だった頃、海へ遊びに出かけた友人達が海難事故に遭った。乗っていた小舟が沖に流され転覆したらしい。その時に友人達が目を覚ますと見知らぬ駅に居たという。その駅の名前が「狐ケ崎」
「一人だけ戻ってこんかってな。そいつは勇気のあるやつで、皆が言うには様子を見てくると言って駅の外へ出て行ったんだと」
 一人以外は皆泣き怯えて駅のプラットホームから動くことすら出来ず、ただ外へでたたった一人を待つだけだった。彼が駅の外へ出て暫くして大きなサイレンの音が聞こえ、何事かと思う間もなく視界はぐにゃりとひしゃげ、気付けば一人を除いて全員が近くの浜に倒れていたと言う。幸い大した怪我もなく、彼らは近くを通りがかった人に助けを求めて九死に一生を得たのだが…
「その一人はどうなったの」
 ケースケが恐る恐る聞けば祖父は悲しそうな顔で「数日後に同じ場所に変わり果てた姿で打ち上げられとったよ」と言った。
「船は水面に獣の影を見た後に転覆したのだという。その後も狐ケ崎の駅名を聞く度に、帰ってきた者達は一様に獣を話題に上げた。以来、この辺りじゃあ狐が人を連れて行くといって忌み嫌ったもんだ」
 そこまで話して祖父は何故この話を、とケースケに聞いた。今更誤魔化すわけもいかず、不安にさせてしまうかと思いながらも結果として今生きて帰ってきている身として、彼は夕暮れ時の話を祖父へ伝えた。
 案の定、話を聴き終わった祖父は目を赤くして孫の身が無事だったことに「ああよかった」と声を震わせる。
「その白い子が助けてくれたんだ。でもお礼も言えなくて」
 その子を探して此処へ来るのが遅くなってしまった。言い訳にしかならないがそう零せば、祖父も「成る程」と頷いた。
「しかし、ケースケの帰り方は珍しいな」
「珍しい?」
「帰ってきた奴は大抵は何時間もそこに居座って気付けば戻ってきたという。誰かに連れて来られて帰ってきたと言う話は初めて聞いたぞ」
 それこそ神隠しのように数週間経ってから帰ってきた件もある。殆ど時間を喰われずに戻ってきたケースケは運が良かったというより他ない。
「なんにせよ、その白い子はケースケの恩人だ。見つけたらちゃんとお礼をしないとな」
 一息つくと、タイミングを見計らったように襖が開き祖母が顔を覗かせる。彼女は向い合ってお喋りをする夫と孫に目を丸くしたが、直ぐ様笑顔を浮かべると彼らを手招いた。
作品名:逢魔が刻の駅 作家名:Kの字