私の読む「紫式部日記」後半」の残り
「わび人の住むべき宿と見るなべになげき加はる琴の音ぞする」。(世を厭う人が住むような家だと思って見ておりますと、丁度そのとき嘆きが一層増すような琴の音が聞こえてきました)奈良にまかりける時に、荒れたる家に女の琴ひきけるを聞きて、よみて入れたりける。古今集良岑の歌(985)のように、聞いていてため息が加わるような琴の音がすることだ、私の独奏を聞き分ける人もあるのではなかろうかと、忌まわしく思われますのは、我ながら哀れなことであります。それが実は、煤けた部屋に十三絃の箏の琴、琴柱を立てて絃を張ったままの調律してある七絃の和琴を、気をつけて「雨の日は琴柱を倒せ」と言うこともしないで塵も積もり、二つを厨子と柱の間に琵琶を中央に左右に立て掛けて置いてあったのです。
【和泉式部、清少納言二人は紫式部を入れて当時世間を騒がせていた三人娘であったのでしょう。二人を式部は批評して更に自分の身の上を考える。現在の人なら自分を嘆くと言うことはしないであろう。充分世間で彼女の才能は認められているのであるから】
大きな厨子一対に片付ける閑もなく書籍を嵩ね置きをしているが、一つの方には古歌・物語本がどうしようもなく虫の住処になってしまっている、虫がいとわしく這出すので本を開いてみる者もない。もう一つの厨子には漢籍がきちんと置き重ねて、それらを大事に所蔵した夫藤原宜孝が亡き後誰一人として手を触れる者も居ない。その本をあまりに所在なくて仕方がない時私が一冊二冊と引っ張り出して見ていると女房が集まってきて、
「お前様は(召使いの使う敬称)このようにしておられるから、縁が薄いのです。なんだって女の身で漢籍を読むのだろう。昔は経典を読むのさえも厳しく言われた」
と、陰口を言うのを聞いても、
「縁起をかついだ人が、行末は寿命が長いとかいうことも、そんな例は見たことがない」
と、言いたいところだが口に出してしまえば、心やりがないようである。女房たちの言うことはまたそれもそうなのである。
世の中のことは人によって違う。誇らしく華美で、気分良さそうに見える人があり。また何事もすること無く淋しそうな人が、気の紛らし様がないままに、不用になった古い文書を引張り出して読んだり、仏へのお勤めに精出して口にお経を唱え数珠の音を高く鳴らしたりなど、どうも嫌らしく見える行いだと思いまして思いのままにしてもよさそうなことをさえ、召使の眼を憚って遠慮しておく。その上人々の中に入っては、いやもう何もいうまいという気になり、また自分の心が解りそうにない人には、何をいっても無駄であろう。また何かとけちをつけて、我こそはと思っている人の前では、わずらわしいので、物をいうのもおっくうです。特に十分にあれこれと何でも心得ている人はめったにない。たいていの人は自分が得意としている方面を一途に固執して、他人のことを眼中におかないらしい。
そんな相手が、内心とは別の私の顔つきをじっと見るけれど、仕方なく顔つき合わせてお付き合いしていたことさえある。しかし、色々と人から非難されないようにしようと、臆すると言うことでもないが、かれこれ言うのは面倒だと思って、つい無知な女に何となくなりきってしまったものですから、
「あなたがこんな人だとは想像していなかった。ひどく優雅にしていて気づまりで、近づきにくい不愛想な、物語好きで勿体ぶり、何かというと歌を持出して、人を人とも思わず、小僧くらしげで人を馬鹿にしてかかる、そのような人だと、誰もが言いもし思いもして憎らしい女と思っていたのだが、実際、貴女に逢ってみると不思議なほど鷹揚で、聞いていて想像していた人とはまるで別人かと思われる」
と、みんなが言うのを聞いて恥ずかしく、私はこうおっとりした人間だと見くびられてしまったことだと思うのだが、これこそ自分が進んで振舞い馴れている態度で、中宮様も、
「ざっくばらんにあなたと会うことなどできまいと思っていたのに、誰よりも特別に親しくなってしまつたことね」
と、何かの折に仰せられます。一癖あって、お上品ぶって、そのため中宮様からもそっぽうを向かれることがないような女でありたいものです。女は見苦しくなく万事に穏やかにして、気持も少しゆったりして沈着な心の芯を備えているこそ教養も情操も魅力が出て、また信頼されるのである。もし、色っぽく軽い性格であっても、生来の人柄が素直で、仲間から取っ付き憎いと言われないようにすれば、仲間から疎外されることはないでしょう。自分は特別だと変に真面目腐って、言葉や動作が派手な人は、起居動作が自然と自分からそのように配慮することになるので、そういう人に誰もが注目する。注目されれば、話し方にも、仲間の側に座る時、そして立去って行く時の後姿にも、必ず欠点を仲間が見つけるものです。言うことがどうも矛盾してしまっている人と、他人のことをけなす癖の人は、誰よりも耳目を集めます。人が変な癖がないかぎり、その人に対してはどうかして些細な悪口も申すまいと遠慮し、かりそめの好意をもかけたい気持になります。
【和泉式部、和泉式部・清少納言というライバルを語り自分の身を考える。漢籍を読む紫式部に召し使い達が女だてらに漢籍をと言う。中宮の前では自尊心を棄てなければ同僚とは摩擦無く付き合っていけない。勤め人紫式部の愚痴であろうか、更に続く】
人がわざと他人が嫌がることを仕出かす、または事が誤って悪い結果となったのでも、その過失を嘲笑してやるのに遠慮は要らないという気になります。至極善良な人は、他人が自分を悪く思ったかといって、自分はやはりその人の味方になってやるのかもしれないが、普通人はとてもそんなことはできない。慈悲深い仏さえも、仏と仏の設けた法と法を弘める僧三宝を誹る罪は軽いものだと講義をされておられるでしょうか。まして濁った此の世に生きる人は、自分に不深切な人には、自分の方も不深切に当るでしょう。そうではあるが、相手の言い分以上に自分も発言しようとひどい言葉をいいふらしたり、正面向いて険悪に睨み合ったりするのと、そうはしないで、腹に納めて表面は穏かにしているのとの差異こそ、その人の心の優劣がわかるものですよ。
左右衛門の内侍という方がおられた。変にわけもなく私のことを心よく思っておられなかったようですが、それについて私は全く心当たりが無く、内侍が私を誹る不愉快な陰口をずいぶん耳にしました。一条天皇が、お付きの女房に源氏物語を音読させて聞いておられて、
「この作者は日本紀をよく読んでおられる。誠に才能がある人だ」
と仰ったのを、付き人は言葉の意味をよく考えずに早のみこみして
「知識の豊富な才能ある人ですって」
と殿上人達に言い広げて、私のことを「日本紀の局」と渾名を付けたのは、おかしなことである。里の召使女の前でさえ遠慮していますのに、そうした所でどうして学才をふりまわしましょうか。
兄の式部の丞と言う人、まだ子供の時分に漢書を購読されているときに、私は傍でいつも聞き聞きしていてあの人(式部丞)がなかなか読解できず、また忘れる箇所をもあるが、私の方は不思議なほどに分りが速かったものですから漢籍の学問に熱心だった父親は、
作品名:私の読む「紫式部日記」後半」の残り 作家名:陽高慈雨