私の読む「紫式部日記」後半」の残り
【紫式部、中宮御所の雰囲気を紹介。淀んだ空気に耐えられないのであろう。実に細かく観察している。観察はまだ続く】
殿上人が女房の局に立ち寄って、ただちょつとした話をするときに、相手の気分を害ねるような言葉が少しでも混じるのは困りものである。本当にうまく応待してしかるべきことなのだ。しかし間違った一言を言ってしまうことは、人と接する心構えはとても難しいということになるのでしょう。といって、相手が気を悪くすることを言うのではないかと、憎いほど引込思案でいるのが良いというわけではない。だからと締まりがなくあちこちと出しゃばって口出しするのはよいと言うことでもない。適当にその場その場の状況に合わせて言葉なり動作をするということは難しいことである。
まず一例として、中宮の大夫が参上されて中宮とお話があるときに、お取り次ぎをする大変に子供じみた上の女房達は大夫と面接して中宮にお伝えすることは出来かねる。また応待しても何事をお答えするのか、はきはきとおっしゃれそうにも見えない。言葉を知らないと言うことはない、心が備わっていないと言うことでもない、きまりがわるい恥ずかしいと思う心から、ついしくじりもしかねないので、それが何となく嫌なのだ、もう何も聞かれまいとて,相手が話しかける隙を作らないようにするだろう。上の女房、上﨟以外の女房たちはそうではないようです。このような宮仕えに女房として出仕したからには、その人が高貴の家の出身であろうとも皆世間のしきたりに従うのだというのに、此処の人たち誰もが全くお姫様時代そのままの態度で出仕なさっておられる。そのようなことで下位の女房が大夫の応対に出るので、大納言の大夫は気分悪く思われ、当然応待すべき上膓たちが里下りをしていたり、局にいる者でも、余儀ない暇にさしつかえる折々は応対する女房が居なくて用をなさらないで退出されることもあるようである。大夫以外の上達部は中宮御所に来られるのに慣れておられて、中宮にものを申し上げるに馴染みの女房が居てその人を通じて申し上げる、しかしその女房が不在の時は、仕方がないと退去される、そのような方々が、事にふれてこの中宮御所のことを、
「はっきりとしない引っ込み思案の処」
と言われるのも道理である。
齋院に働く者たちも、右のような事から中宮御所を見下げるようになるのであろう。そうではあるが、自分のほうが立派な点があって、これは他所の部署で働く人には見ても分からないだろうし、まして聞くだけではとうてい判断することが出来ないと軽蔑するのは、これはまた無茶な話である。大体、他人を非難することは容易であり、自分の心構えを決めてゆくことは難しいに違いないことだが、そうは思わないで、まず自分こそ賢いという態度で人をないがしろにし世間を悪くいう態度は、かえって心浅い人間と見透かされるようである。
ほんとうにお目にかけたかったような中将の君の手紙の書きぶりですよ。知人が隠し持っていたのをこっそりと読ませていただき、文はすぐに取り返されましたので手許にはなく、お目にかけられないのが残念です。
【紫式部は最終的に齋院の者たちに喧嘩を売っているようである。これは私の読み違いであるかな?才女であると自意識過剰な式部の一面、さらに彼女の毒舌が、当時張り合っていた和泉式部、清少納言に向かう。このことを受けて二人の才女がどう答えたのかは分からない】
【紫式部の才気は激しく中宮御所、齋院に働く女房達を批判する。彼女自身が恥をかくのを恐れて、引っ込み思案の女ではなかったのでは無かろうか、みんなの蔭から鋭い目で眺めていたのでは・・・・・。さて、当時の才媛の二人にどういう毒舌を嚼ますのだろう】
和泉式部という女房とは、しみじみとした味わいふかい手紙のやりとりをしたものである。だが彼女には常軌を逸した一面があると言われているが、何気なくすらすらっと書いた文を読むと、文筆の才のある人で、何気なく書いた文章の艶やか美しさが見られるようです。和泉の歌実に見事なものです。古歌の知識や歌作の理論の点では、本物の歌人の様ではないようですが、口にまかせた即興の歌などに、面白味のある目立つもの一点がきっと詠み添えてあります。しかしこれほどの歌人でもやはりなお、他人が詠んだ歌について非難したり批評したりしているのは、さあそれほど歌について分っているのではあるまいと思われる。口さきですらすらと歌が詠めてくるのだろうと思われるような歌風なのですね。こちらが引け目を感じるほどの歌人だとは思われません。
丹波の守の北の方を宮殿の方々の中には、匡衡(まさひら)衛門と呼んでいた。歌人としてとびきり優れているというほどではないが、まことに味わいがあって、歌人だといって、万事について詠み散らしはしないが、知られている限りの歌は、ちょっとした機会に詠んだ歌も、それこそこちらが恥ずかしいような立派な詠み口なのです。ややもすると第三句(腰句)と第四句との続きの悪い歌を詠んで、いうに堪えぬほどつまらない、形だけの風流をして見せて、自分こそたいしたものと思っている人がいる。小癪にも気の毒にも思われる歌人なのです。
清少納言という女房こそ高慢ちきな顔をしていて実に大変な女です。大層利巧ぶって漢学の才をひけらかしているが、よく読んでみると十分でない点が多い。このように他人と違って特色を発揮しようと、すき好んでいる人は必ず見劣りし、行く末はろくでもないことになるばかりなのです。また情緒本位が板についた人は、何でもない索漠とした光景を目にしてでも、無理にそこに何か情趣が有るような風情を見つけて行こうと作品を作っているうちに、自然に感心しない軽薄な作風にもなるのでありましょう。そのような人の最期は良いとは言えません。
このようにあれこれにつけても、何一つの思い出となるようなことも、取柄とすべきこともなくて過してしまった私が、夫を亡くした身で行く末を頼みとする人もなく、慰め合う友もないのであるが、だからといって私はすさんだ気持で世を過している身だとだけは思いますまい。その心失せてはいないのでしょう、もの思いが多くなる秋の夜に緑近くに出ていて、月をぼんやりながめるなら、月を昔はよく愛でて歌を詠んだものだがと若い頃の様子が浮かび、老いた我が身が目立つように感じるようなことになりましょうし、また世間が不吉だといっている月見の咎にもきっと触れることになる、と遠慮して奥に引き下がってみるも、心の中の思いを続けるのは止めることが出来ない。
風の涼しい夜に下手な琴を一人で弾いていると、
殿上人が女房の局に立ち寄って、ただちょつとした話をするときに、相手の気分を害ねるような言葉が少しでも混じるのは困りものである。本当にうまく応待してしかるべきことなのだ。しかし間違った一言を言ってしまうことは、人と接する心構えはとても難しいということになるのでしょう。といって、相手が気を悪くすることを言うのではないかと、憎いほど引込思案でいるのが良いというわけではない。だからと締まりがなくあちこちと出しゃばって口出しするのはよいと言うことでもない。適当にその場その場の状況に合わせて言葉なり動作をするということは難しいことである。
まず一例として、中宮の大夫が参上されて中宮とお話があるときに、お取り次ぎをする大変に子供じみた上の女房達は大夫と面接して中宮にお伝えすることは出来かねる。また応待しても何事をお答えするのか、はきはきとおっしゃれそうにも見えない。言葉を知らないと言うことはない、心が備わっていないと言うことでもない、きまりがわるい恥ずかしいと思う心から、ついしくじりもしかねないので、それが何となく嫌なのだ、もう何も聞かれまいとて,相手が話しかける隙を作らないようにするだろう。上の女房、上﨟以外の女房たちはそうではないようです。このような宮仕えに女房として出仕したからには、その人が高貴の家の出身であろうとも皆世間のしきたりに従うのだというのに、此処の人たち誰もが全くお姫様時代そのままの態度で出仕なさっておられる。そのようなことで下位の女房が大夫の応対に出るので、大納言の大夫は気分悪く思われ、当然応待すべき上膓たちが里下りをしていたり、局にいる者でも、余儀ない暇にさしつかえる折々は応対する女房が居なくて用をなさらないで退出されることもあるようである。大夫以外の上達部は中宮御所に来られるのに慣れておられて、中宮にものを申し上げるに馴染みの女房が居てその人を通じて申し上げる、しかしその女房が不在の時は、仕方がないと退去される、そのような方々が、事にふれてこの中宮御所のことを、
「はっきりとしない引っ込み思案の処」
と言われるのも道理である。
齋院に働く者たちも、右のような事から中宮御所を見下げるようになるのであろう。そうではあるが、自分のほうが立派な点があって、これは他所の部署で働く人には見ても分からないだろうし、まして聞くだけではとうてい判断することが出来ないと軽蔑するのは、これはまた無茶な話である。大体、他人を非難することは容易であり、自分の心構えを決めてゆくことは難しいに違いないことだが、そうは思わないで、まず自分こそ賢いという態度で人をないがしろにし世間を悪くいう態度は、かえって心浅い人間と見透かされるようである。
ほんとうにお目にかけたかったような中将の君の手紙の書きぶりですよ。知人が隠し持っていたのをこっそりと読ませていただき、文はすぐに取り返されましたので手許にはなく、お目にかけられないのが残念です。
【紫式部は最終的に齋院の者たちに喧嘩を売っているようである。これは私の読み違いであるかな?才女であると自意識過剰な式部の一面、さらに彼女の毒舌が、当時張り合っていた和泉式部、清少納言に向かう。このことを受けて二人の才女がどう答えたのかは分からない】
【紫式部の才気は激しく中宮御所、齋院に働く女房達を批判する。彼女自身が恥をかくのを恐れて、引っ込み思案の女ではなかったのでは無かろうか、みんなの蔭から鋭い目で眺めていたのでは・・・・・。さて、当時の才媛の二人にどういう毒舌を嚼ますのだろう】
和泉式部という女房とは、しみじみとした味わいふかい手紙のやりとりをしたものである。だが彼女には常軌を逸した一面があると言われているが、何気なくすらすらっと書いた文を読むと、文筆の才のある人で、何気なく書いた文章の艶やか美しさが見られるようです。和泉の歌実に見事なものです。古歌の知識や歌作の理論の点では、本物の歌人の様ではないようですが、口にまかせた即興の歌などに、面白味のある目立つもの一点がきっと詠み添えてあります。しかしこれほどの歌人でもやはりなお、他人が詠んだ歌について非難したり批評したりしているのは、さあそれほど歌について分っているのではあるまいと思われる。口さきですらすらと歌が詠めてくるのだろうと思われるような歌風なのですね。こちらが引け目を感じるほどの歌人だとは思われません。
丹波の守の北の方を宮殿の方々の中には、匡衡(まさひら)衛門と呼んでいた。歌人としてとびきり優れているというほどではないが、まことに味わいがあって、歌人だといって、万事について詠み散らしはしないが、知られている限りの歌は、ちょっとした機会に詠んだ歌も、それこそこちらが恥ずかしいような立派な詠み口なのです。ややもすると第三句(腰句)と第四句との続きの悪い歌を詠んで、いうに堪えぬほどつまらない、形だけの風流をして見せて、自分こそたいしたものと思っている人がいる。小癪にも気の毒にも思われる歌人なのです。
清少納言という女房こそ高慢ちきな顔をしていて実に大変な女です。大層利巧ぶって漢学の才をひけらかしているが、よく読んでみると十分でない点が多い。このように他人と違って特色を発揮しようと、すき好んでいる人は必ず見劣りし、行く末はろくでもないことになるばかりなのです。また情緒本位が板についた人は、何でもない索漠とした光景を目にしてでも、無理にそこに何か情趣が有るような風情を見つけて行こうと作品を作っているうちに、自然に感心しない軽薄な作風にもなるのでありましょう。そのような人の最期は良いとは言えません。
このようにあれこれにつけても、何一つの思い出となるようなことも、取柄とすべきこともなくて過してしまった私が、夫を亡くした身で行く末を頼みとする人もなく、慰め合う友もないのであるが、だからといって私はすさんだ気持で世を過している身だとだけは思いますまい。その心失せてはいないのでしょう、もの思いが多くなる秋の夜に緑近くに出ていて、月をぼんやりながめるなら、月を昔はよく愛でて歌を詠んだものだがと若い頃の様子が浮かび、老いた我が身が目立つように感じるようなことになりましょうし、また世間が不吉だといっている月見の咎にもきっと触れることになる、と遠慮して奥に引き下がってみるも、心の中の思いを続けるのは止めることが出来ない。
風の涼しい夜に下手な琴を一人で弾いていると、
作品名:私の読む「紫式部日記」後半」の残り 作家名:陽高慈雨