私の読む「紫式部日記」後半」
心のうちのすさまじきかな
(年が暮れてわが命もまた老いて行く、その夜ふけの風の音につけてもわが心の中はわびしく荒涼としていることだ)
とつい独り言を言ってしまった。
大晦日の夜恒例の鬼やらいの儀式追儺(ついな)は早くに終わってしまったので、お歯黒つけなど、ちょっとした身づくろいをしようと、くつろいでいると、辨の内侍が来られて色々と話をしてから床についた。内匠(たくみ)蔵人は、母屋と廂は一段低くなっているが境の横木が長押、その下で女童のあてきが縫い物をしているのを、表裏を重ねて袖口や棲などを折りひねるのを熱心に教えたりしていたところが、前庭の方が何か喧しく騒ぎ立てる。辨内侍を起こすけれども急には起きてくれない。人が泣き叫ぶ声が聞こえてきて
とても恐ろしく、どうしてよいか分別がつかない。火事かと思うが、そうではないようである。
「内匠の君、起きてください」
と先に起こして、
「とにかく、中宮様は、主上の居間ではなく御居間においでです、まずは行って見ましょう」
と、辨の内侍をたたき起こして、三人震えながら足が地に着かない感じで御殿に上がると、裸の人を二人見つけた。靭負(ゆけい)と小兵部二人の女房である。盗賊に襲われたのだと分るといよいよ気味がわるい、食膳を調進する所御厨子所の人もみんな帰ってしまって、更に宮中警護の侍も、滝口と呼ばれている警護の詰め所も、追儺が早く終わったのでみんな帰ってしまっていた。手を叩いて呼ぶのだが返事が帰ってこない。御膳を納めておく所御膳宿の事務を掌る女官を呼出して出てきたその人に、
「殿上に行って兵部丞蔵人を呼んで、呼んで呼んで」
と恥も忘れて兄の惟規(のぶのり)を呼ぶように直接大声で告げるが、退出していた。格好が付かない。
【女房の悪戯を相手は中宮からの贈り物と勘違いしていた。それで大層なお返しがあったのだろう。賀茂社の臨時祭りに宮中から使者が送られる。物忌みの最中である様子が分かる。
年が終わる、大晦日の行事追儺(ついな)が早く終わり、女房達が寛いでいる夜中に盗賊が入る。警護の者達も帰ってしまっている。式部は兄の兵部丞蔵人惟規(これのり)を呼ぶようにと言うが、彼は退出していた】
式部の丞資業(すけなり)というのが来て、所々の灯台の油を一人で注いでまわる。そこらに明かりが点って人々の顔がはっきり分かるようになると、みんなが何かに怯えて呆然として向き合っていた。主上から中宮への見舞いのお使いが来られる。本当に恐ろしいことであった。貴重品・衣服・調度などを納める納殿から衣を持ってこさせて靱負・小兵部に渡される。元旦用の装束は盗んで行かなかったので、何事もなかったような風をしていたが、二人の裸の姿は忘れられない。恐ろしかったのに、しかも、もちろん滑稽だったなどと言わないまでも、ついその様子が口に出てしまう。
正月一日、坎日(かんにち)という陰陽で諸事に兇であるとして外出を忌む日であったので、若宮の将来を祝う元日に小児の頭に餅を戴かせる儀式御戴餅(いただきもち)の儀式は中止となった。三日には若君が初めて清涼殿に登院された。今年のお給仕役は大納言の君。着られる衣装は、一日の日は重袿で紅に葡萄染を重ね、唐衣は赤色。型摺りで文様を施した「地摺りの裳」。二日は縦糸紫、横糸紅の織物の表着、柔らかい絹の搔練(かいねり)の打衣(うちぎぬ)は濃い紅色で唐衣は青色、模様を色どって摺り出した裳。三日目は、綸子の桜がさねの表着、表白、裏濃紫の表着、唐衣は蘇芳(すおう)の織物。掻練(打衣)は濃い紅を着る日は紅の袿を下に着、逆に紅を着る日は濃い紅の袿を下に着るなど、それはきまった様式である。表薄青、裏縹(はなだ)、また女房達は表裏ともに萌黄色、表薄朽葉、裏黄色、表紅、裏紫、表薄縹、裏薄紫または白等々、ふだん用いる色目色目を一度に六種ばかりと、それに表着を重ねて、じつに結構な様子をして伺候する。
宰相の君が若宮の主上から戴いた御佩刀を捧げて、殿の道長様が若宮をお抱きになっておられる後ろに従う、帝の御前に登られた。 宰相の君の着ておられるのは、紅の袿三重(みえ)かさね五重(ごえ)かさね、同じ色の紅色の砧で打って艶出しした七重かさねの袿に単衣を縫い重ねそれらを混ぜ重ねてその上に固紋の同じ色のを着て、袿葡萄染めの型木の模様を浮出させて織ったもの、仕立て方が優れている。三重かさねた裳、赤色の唐衣、赤色の唐衣に菱形模様を織り出して、全体を唐風に華麗に趣向を施している。髪も美しくいつもより時間を掛けて手入れして、見た目にそして動作も優雅にすきがなく行届いていて美しい。宰相の君は背丈もちょうどよい工合で、ふっくらした人であって少し細めの顔立ち、顔の色つやが綺麗である。
大納言の君は、とても小柄で、小さいといってよい部類の人で、色白で可愛らしい風貌で、まるまると肥えている人、その人が見た目にはほっそりと見え髪は裾から三寸ほど出て髪に挿した簪などは他にない細かい細工で美しい。顔もたいそうきびきびしていて挙動など可愛らしくなよやかである。
宣旨の君は、小柄な人で、たいへんほっそりと身体が伸びて、髪が細く整って美しく、背中に垂れ下がっている髪の末が裾より一尺ほど余っていらっしゃる。こちらが決まり悪いほどすぐれた感じでこの上なく気品ある方である。宣旨の君が物陰からふと歩み出て見えても、あまり立派なので、見ている私の方がまごついてしまって、気をつかわないではいられないような感じの方である。気品ある人とはこうあるものなのであろうと、その心のもちかたが、ちょっと何かおっしゃるにつけても、思われる。ついでに人の見た目を言うのであれば、口さがないということになりましょうか。それも目の前の人ならばなおさらです。言うのは気兼ねです。だからこれはどうかな、などと、少しでも欠点のある人のことは言いません。
【年の暮れその年の最後の行事追儺が終わりホットしている大晦日の夜に宮中に盗賊が入り二人の女房を裸にして、着ている物を剥ぎ奪って失せた。女ばかりの世界は大騒ぎとなる。そうして迎えた新年の日が忌み日、一切の行事がない。「戴餅」の儀中止。若宮初の内裏へ、式部は晴れ姿の女房達の姿形、衣装を細かく記載する】
北野三位の娘さん宰相の君は、ふっくらと子供子供していて才気ばしった風貌をしている人で、一見するよりも何度も逢ううちに、じつに立派さが分ってきて、洗練された口もとの様子に、人に気おくれをさせるような気品もまた花やかな感じも備わっている。挙措動作など大変美しく華やかさが有る。気立てもじつに難がなく好感がもてるけれども、こちらが恥ずかしくなるような凛とした気品もおありの方である。
作品名:私の読む「紫式部日記」後半」 作家名:陽高慈雨