私の読む「紫式部日記」
ともてはやされる。左衛門の督(かみ)藤原公任(きんとう)は、
「万歳、千秋」
と楽員と共に歌われ、更に大殿の道長様は
「ああ、何回も行幸をいただき大変名誉に思っておりましたが、今回はそれにもまして有り難いことと、感激いたしております」
と酒の酔いも手伝ってか大泣きされる。今更言うことではないが大殿自身も今回の行幸が大変名誉なことだということを充分と身体に感じていらっしゃる。目出度いことである。
殿はご自分の席に、帝は御簾の中の御座所に入り賜う、右の大臣をお呼びになり、筆を執らせて加階する者達の名前を記入させる。中宮職の役人や、このお邸の家司(けいし)のしかるべき者はみな、位階が上がる。頭の弁源道方(みちかた)に命じて、加階の案は奏上させられたようだ。
親王宣下という新たな若宮のご慶祝のために、藤原氏の公卿(くぎょう)たちは連れだってお礼の拝舞をなさる。しかし、藤原の姓を名乗るが、中心から外れた者達はこの目出度い列には参列できなかった。次には、若宮、親王家の別当になった右衛門の督、これは中宮の大夫です、中宮の亮(すけ)、これは今回加階した侍従の宰相、続いて次々に人々が謝意を表して拝礼の舞踏、左右左(さゆうさ)を行う。左右左は唐の礼法を真似たもので、あるいは立ちあるいは座し、手を動かし左右を顧み、喜悦のあまり手の舞い足の踏むところをしらないというさまを表示する。
この儀式が終わると帝は中宮様の几帳の中にお入りになり、やがて
「夜も更けたので、御輿をこちらへ」
と、お付きの者の大声があり、帝は几帳からお出になり内裏へのお帰りとなる。
帝が内裏にお帰りになった翌朝、内裏からの使者がまだ朝霧が晴れない早い刻に御来邸になった。行幸の接待に疲れて思わず寝過ごしてしまい、ご使者の姿を見ることが出来なかった。
今日初めて若宮の頭に剃刀を当てる。若宮の御髪の産剃(うぶそ)りを、わざわざ行幸の後にしたというのは、若宮のお生まれになった姿そのままを帝にご覧に入れようとの計らいであったようである。
またその日に若宮にお仕えする政所別当(まんどころべっとう)と蔵人所(くろうどどころ)別当などをお決めになった。この日、任命された政所別当は源頼定以下十一名、蔵人所別当は、源道方(みちから)以下三名、また「おもと人」(侍者)は、藤原定輔(さだすけ)以下四名である。突然のことであり前もっての内示というものがなかったので、この役職の決定に不本意の者もあったようである。
行幸を迎えるに当たって中宮さまの御居間を余り派手にするのも帝に対してどうであろうと、思い切ってお片付けになり、すっきりと簡素なお部屋にしたのであるが、片付けた諸道具をまた持ち出してきて元の場所に置いて中宮さまの御前を再び賑やかにする。何年もの間若宮誕生を願っていたことが実現して、その慶事の催し事がすべて無事に終了したので、夜が明けると道長様の北の方倫子さまも中宮さまのお部屋に来られて若宮様を大切にお世話なされる。そのお姿を見ると若宮様、中宮さまを含めてお部屋全体の雰囲気がとても華麗で行く末御安泰の兆しがかいま見られた。
日が暮れて月が皓々と美しく照らしている、そのような夜に若宮の亮になった中宮権亮藤原実成が、特別に加階したことのお礼を女房を介して中宮に言上してもらおうと、寝殿東側妻戸のあたりお湯殿の湯気で濡れているが、人の気配もないので、寝殿と東の対屋(たいのや)を結ぶ渡殿の東端にある若宮の内侍の局に顔を出して、
「どなたかいらっしゃいませんか」
と声をかけられる。返事がないので更に進んで私たちの局、渡殿中の間に、まだ桟を差さずに戸締まりをしていない格子の上を押し開いて、
「どなたかおいでではありませんか」
と声をかけるが誰も答えず、案内の人も出ていかない、今度は中宮大夫の斉信(ただのぶ)様が
「ここには何方もいらっしゃいませんか」
と声をかけられるのさへ、みんなは知らぬ振りをする様子なので、あまりにも失礼であると思って、小さく返事をする。お二人とも何の心配事もない気楽なお顔していらっしゃる。
「私の呼びかけにお答えなさらず、この中宮大夫を大変ご丁重に扱われる様子ですね。もっともなことでありますが、この皆様方の態度には感心出来ません。こんな所で上役下役の差別をひどくつけるとは、もってのほかである」
と冗談めかして仰り、
「今日の尊さや 古もはれ 古もかくやありけむや 今日の尊さ あはれそこよしや今日の尊さ」
催馬楽(さいばら)安名尊(あなとうと) を声美しく謡う。夜が更けるにつれて、月がとても明るい。
「格子下側を全部取り払って」
と催促されるが、上達部が身分を構わず身分の低い者のところに入りこんでいらっしゃるのも、こういう私の場所とはいえ見苦しいことである。若い者ならば物事を弁えない浅はかな者で済まされる。私達の場合ではどうしてそんなことが出来ようか。とんでもないことを言われる、と格子をはずさない。
【若宮に親王家が与えられる。それを祝して宴が開かれる。連続して夜の宴会が続く、照明が暗いのにこの時代の人は夜が好きである。酔った男の酔態、女も結構酔ったようであるが、どちらも断片的に出てくるだけである。衣装の描写がどうしても多い。ネット上で探して想像していただきたい。若宮生まれて五十日になる】
作品名:私の読む「紫式部日記」 作家名:陽高慈雨