私の読む「枕草子」 279段ー最終段
と言われて笑われるが、どうしてまあ、やはりいいのだもの。
都良香 【みやこのよしか】
生年: 承和1 (834)
没年: 元慶3.2.25 (879.3.21)
平安前期の学者,漢詩人。貞継の子。本名言道,貞観14(872)年良香と改める。仁寿3(853)年大学寮に入学して学び,貞観11年対策に及第,翌年少内記として官途に就く。同15年従五位下大内記,17年文章博士となる。13年に開始された『文徳実録』の編纂に参加し,中心的役割を担っていたが,完成を目前にして没した。詩文集『都氏文集』が残る。本来6巻であるが,3巻が現存し,賦,論,賛など14種の文章72篇を収める。作品はほかに『本朝文粋』『扶桑集』『和漢朗詠集』などに残されている。良香の作品には,怪力の童子の話「道場法師伝」,富士山にまつわる伝承を記した「富士山記」,役行者 の伝説を書いた「吉野山記」など,世間の不可思議な伝承にもとづいた作のあることがひとつの特徴であるが,彼自身も神仙的人物として『本朝神仙伝』中の人となる。中途で官職をすてて大峯山に入り,死後100年ののち,昔と変わらぬ姿を人が見たという。またその秀句をめぐって「気霽れて風は新柳の髪を梳り」の句は朱雀門の鬼を感心させたとか,「三千世界は眼前に尽き,十二因縁は心裏に空し」の下句は竹生島の弁才天が教えたなどの逸話が説話集に記されており,良香の詩が人びとに愛好されたことを物語っている。<参考文献>川口久雄『平安朝日本漢文学史の研究』,中条順子「都良香伝考」(『今井源衛教授退官記念文学論叢』)
(後藤昭雄)(ネット)
【三一四】
藤原道隆の四男で中宮定子の弟、隆円僧都の乳母の、まま、など御匣殿(みくしげ)のお局に居たところ、一人の男が板敷きの許近くに寄ってきて、
「どうもひどい目にあいまして、一体どなた
に訴え申したらよろしゅうござんしょう」
と、今にも泣きそうな様子で、
「どうしたの」
と聞くと、
「ちょっと他所に出掛けた間に、住んでいるところが火事で焼けてしまい、ヤドカリのように、人の家に少しだけ尻を入れさして貰うようにして生活しています。馬寮(めりょう)の、かいばを積んでありました建物から出火致しまして、垣だけを隔てています我が家は、夜に寝所で寝ていました妻もすんでの所で焼け死ぬところでした。荷物一つ取り出す所ではござんせん」
などと、言ってきたので御匣殿お聞きになってお笑いになる。
みまくさをもやすばかりの春の日に
夜殿さへなど残らざるらん
(かいばを燃やす程度の火で、夜殿が全焼するとは何事でしょう)
草の萌え出る春の日に夜殿がやけるとほこれいかにという戯れの歌を書いて、
「これをやりなさい」
と私が投げ与えると、女房達は大笑いに笑って、
「ここにおいでの方がね、お前の家が焼けたというので、気の毒がって下さるそうな」
と男に渡すと、それを見て、
「これは、何を記された短冊でございましょう、いかほどの物を戴けるのでしょうか」
と、厚手の紙を幅一寸程に切ったもので、米塩などを給与する場合その数量を記す紙「短冊」に歌を書いたのでそう男は言った。
「読んでご覧なさい」
とだけ女房が言うと、
「どう致しまして。片目もあいておりませんでは」
と自分は文盲であるというので、
「誰かに見せて読んで貰いなさい。丁度今お召しだから、急用で御前へあがるのですよ。それ程結構なものを貰って何をくよくよするのです」
と、みんなで大笑いをして参上した後で、人に見せたのだろう、里に行ってどんなに恥じ曝しをしたことかと、御前で申し上げると、またみんなは笑い騒ぐ、
「何でまあそう気ちがいじみて」
と中宮は仰ってお笑いになった。
【三一五】
ある男が母親を亡くして、父親だけが存命で、その男親が非常に大事にしているけれど、
厄介な後妻が出来て後は、その子を室内にも出入りさせず。装束などは、乳母または亡き先妻のお身内の人々に命じてさせる。
西や東の対の屋のあたりに客間など立派だ。
屏風・障子の絵も見るかいがあるようにして住んでいる。殿上の勤務の具合も不足ない。同僚達も思うし、主上もお覚えよくて始終お召しになり、音楽などのお相手に思し召しておられるのに、それでもいつも物思いがあるらしく、世間と合わない感じで好色めいた心だけは偏屈な程にあるわけだ。
ある公卿がまたとない、と大切にしておられる妹が一人ある、それにだけは思うことも話し合って、唯一の慰め所なのだった。
【三一六】
ある女房が遠江守の子である男を愛人とし
ている、その男が、女房と同じ宮に仕える女をひそかに愛していると聞いて、怨みごとを言ったところ、
「親などを証人としてでも誓わせて下さい。
とんでもない嘘です。夢にも知りません」
と、男が言い張る、それに対してはどう言ってやったらよいでしょう、とその女房が私に相談したので、次の歌を詠んでやった。
誓へ君遠江の神かけて
むげに浜名のはし見ざりきや
(親御の遠江守を証人として、存分にお誓いなさい、私が一向あなたの態度に気づかなかったとでもいうのですか)
浜名の橋は遠江国の名所。神・守、橋・端は懸詞で考えた。
【三一七】
具合悪い所で男と語らっていた時、ひどく胸騒ぎがしたのを
「なぜそう落ちつかずにいるのか」
と、言う人に、
あふさかは胸のみつねに走り井の
見つくる人やあらんと思へば
(見つける人がありはしないかと思うので、
あなたに逢う時はいつも胸さわぎがするのです)
走井の水は逢坂の関にある清水。
【三一八】
「間もなく御下向とは本当ですか」
と言った人に、
思ひだにかからぬ山のさせも草
誰かいぶきのさとはつげしぞ
(思いがけもしないのに、一体誰がそう告げたのですか)
(「させも草」は下野国伊吹に産し「伊吹」の序。「思ひ」(火)「伊吹」(いふ)「里」(然と)「つけ」(告げ)はそれぞれ懸詞。「させも草」と「つけ」は「火」の縁語)
ある本に
「きよしと見ゆるもの」の次に【148】
【一】
夜の方がよりよく思われるもの。
濃い紅の掻練の光沢。掻練は練った絹の称。(灰汁などで煮て白くしなやかにする)
むしった綿
女は額のはれたる(額の張っている)のが髪が美しい。
七絃の琴の音。容貌が悪くて感じはよい人。
時鳥。滝の音。
【二】
灯火の光にあたると見劣りするもの。
紫の織物。藤の花。
総て紫色系は見劣りする。月夜に紅色は悪い。
【三】
聞きにくいもの。
声の悪い人が物を言ったり笑ったり遠慮なくしている感じ。
居眠りしながら呪文を唱える声。
歯を黒く染めてものを言う声。鉄を酒にひたして酸化させた鉄漿(かね)を用いる化粧の一要件。
格別すぐれたこともない人は、何か食べながらでも物をいうことだ。
篳篥(ひちりき)を練習する間。
【四】
漢字その宇を書くだけの理由はあろうが真意の解せないもの。
焼塩。袙(あこめ)。帷子(かたびら)布の下着、または帳台・几帳などの垂布。履子(けいし)足駄の類。ゆする(さんずい偏に甘)洗髪用の液。強飯を蒸した後の湯を用いる。桶舟。
【五】
作品名:私の読む「枕草子」 279段ー最終段 作家名:陽高慈雨